いつか被災する私たちが助かり合うための「ボトムアップ型災害復興ビジョン」とは?土田亮氏インタビュー。
地震に代表されるさまざまな自然災害が多発する日本。この国において、災害対策は誰しもに関係のある話だ。
ただ、実際に自分自身が被災者になる、とリアルにイメージして暮らしている人はどれだけいるだろう。そして被災してから、今とは別様な日常に生きることをどれだけ思い描けているだろう。災害復興プロセスを研究している東京大学特別研究員 土田亮氏にお話いただいた。
災害研究とは?
-なぜ災害研究に取り組み始めたんでしょうか?
土田:出身地の宮崎県は、台風や地震などの災害が多く、小さな頃から常に晒されてきました。運動会が中止になったり、水道などの生活インフラが止まったりすることさえありました。そういう経験があって、災害に対する興味が自然と芽生え、大学院から本格的に災害研究に着手しました。
-海外での研究もされていますよね。
土田:大学院に入った頃に先生から「災害研究を本格的にやりたいなら、自分のフィールドを持ちなさい」とアドバイスをもらいました。ちょうどその頃に国際協力フィールドツアーを通して知り合ったスリランカのおじいさんからスリランカのある地域で大きな洪水災害があったから、そこで調査したらいいんじゃないかと提案をいただきました。「これは縁だ」と思い、スリランカでの災害研究に取り組むようになったんです。
-なるほど。災害研究ってあまり具体的なイメージが湧かないのですが、どのような分野に分かれているんですか?
土田:災害研究は私の見立てでは大きく分けて、理工系・医療系・人文社会系の3つに分類されます。まず理工系の研究では、どのタイミングで、どれくらいの規模の災害が発生するのか、都市や構造物、交通インフラ、人の移動がどうなるのかを統計学や確率論に基づいて再現・分析し、技術的に災害の予防や対策、リスク評価を考える研究ですね。
-技術を使って、災害発生を予測したりするんですね。
土田:そして医療系の災害研究は、災害が発生してからの「72時間の壁」に焦点を当てて研究されています。一般的に、災害が起きてから72時間、つまり3日以内が生存率を左右する重要な時間と言われていて、この間にどのように救急対応や医療・看護、公衆衛生、さらに随分時間が経った後の身体や精神的トラウマのケアを行うべきかを研究しています。
-なるほど、いざというときの救急対応やその後の回復について研究する分野ですね。
土田:その通りです。そして最後の人文社会系は、防災教育や被災後の暮らしの解明が主なテーマになります。災害が起きる前に、どう避難するべきか、避難所の運営をどうするか、さらに被災後の暮らしや生業を再興する際に見落としはないかなど、災害に備えるための知識や対応方法を検討し、社会に浸透させることが主な目的です。
-土田さんの研究は、これらのどの分野に当てはまるのでしょうか?
土田:私の研究は、3つの分野の関心や追求したいこととは部分的に重なりながらも少し時間軸が異なります。私が取り組んでいるのは災害が発生した後、どのように復興していくかという少し長い時間軸での研究です。被災地がどのようにして元の生活に戻るのか、あるいは違った形で新しい日常に移行するのか、そういったプロセスを研究しています。
被災後の復興ビジョンを描くための研究。
-あらためて土田さんの研究について教えていただけますか?
土田:「被災者が主体的に災害復興に取り組むために、その意思決定をどう支援できるか」が目下の研究テーマです。被災者が具体的な復興ビジョンを描き、それを周囲が支えながら復興を促すことができればと思っています。
-被災者サイドは、復興のビジョンって描きにくいんですか?
土田:私自身の経験上、被災すると、どうしても行政の支援を待ったり、指示に従ったりと、受け身の姿勢になりがちなんですね。
少し時間が経つと「このままじゃいけない」と思い始めて、周りの人たちと動き出す。ただ、いざ動こうと思っても、住まいや仕事…どうすれば元の生活を取り戻せるのか、なかなか見通しが立たないんです。これは復興のプロセスをきちんと明確にできていないからだと思うんですよ。
-復興までの道のりがわからないと、意思決定しにくいですもんね。
土田:被災者側が本当に望んでいる復興ビジョンが描けていないと、必要のない支援をしてしまったり、もしくはニーズに気づいていながらも手立てが悪く結果として手を差し伸べられなかったりしますよね。
-確かに。
土田:日本は災害が多い国で、誰もが被災する可能性があるわけですが、いざ自分が当事者になるまでは、どこかしら他人事に思ってしまう部分もありますよね。多くの人が復興までのプロセスをに関わりながら知ることで、被災時にも意思決定しやすくなります。そのための研究を手掛けています。
-具体的にはどのような研究方法で進めているんでしょうか?
土田:現在は、自ら観察する立場だけでなく、現場や出来事に巻き込まれながらボランティア活動やフィールドワークを中心に断続的にでも関わることで、被災後にどのように意思決定がなされ、どのように復興を進めていくのか、そのプロセスをできるだけ詳細に記録しています。私たちは災害直後には注目しても、時間が経つと被災地のことを忘れてしまう。メディアでも取り上げられなくなりますよね。だからこそ、生活が復旧していく過程をしっかりと記録することに意義があると思っています。
-まずは、記録を通じて復興プロセスを残していくということですね。
土田:次の段階では、そうした現地の記録を展示やワークショップなどを通して発信します。一般の方には災害の現実をイメージしてもらいやすくなり、被災者にとっても、振り返ることで復興の進捗を確認できるような機会になります。
-「復興」がただの言葉ではなく、実際のプロセスとしてイメージできるんですね。
土田:復興の現状をきちんと把握した上で状況に応じた関わり方を設計するのが理想ですから、現地の記録は、そのための共有ツールとしても機能すると考えています。記録をきちんと残しておけば、防災教育や、フィクショナルな物語として復興の道筋を広く伝えることも可能です。伝え方を工夫することで「ボトムアップ型の復興ビジョン」のあり方をより多くの人に共有できると思います。
ボトムアップ型の復興ビジョンの構築。
-ボトムアップ型の復興ビジョン?
土田:ボトムアップ型の復興ビジョンというのは、被災者自身に加え、まだ被災していない私たちもが考える主体となって、自分たちの生活を振り返り、復興のあり方を考えるまなざしのことです。例えば、被災者自身が「自分たちにとって本当に必要な支援とは何か」を見出し、そこから提案と実践することができれば、行政や公的機関が主導で進めるトップダウン型支援のあり方をずらし適切に配置できると思うんです。
-あぁ。トップダウンの指示を待つだけでなく
土田:ただ「ボトムアップ型の復興ビジョン」、つまり被災者がビジョンを描くのは、なかなか難しい。必ずしも被災地に圧倒的なリーダーがいるわけでも、正解があるわけでもない。ゆるやかに、さまざまな人の合意形成を経て、復興ビジョンが形成されていくんです。
-ちょっとイメージしにくいのですが、どのように復興ビジョンが形成されるのでしょうか?
土田:仲良くしている研究室の先生とその学生さんと一緒に訪問した、能登島での例からお話ししてみます。震災からおよそ9ヶ月が経った10月末に機会があって祭りの関係者のお話を聞きに訪れました。そこで聞いたのは、例年だと7月末に「向田の火祭」という大きな伝統ある行事が開催されています。被災した今年は、開催するかどうか、向田の人びとはとても大きな決断を迫られたわけです。最終的には、「子どもたちが期待しているから」という理由で開催しました。
-最終的に子どもたちの意見が意思決定のきっかけになったんですね。
土田:そうなんです。お祭りを再開したのは、「伝統だから」という理由だけではなく、若い世代、特に子どもたちがその風景を見たいと望んだことが大きな要因だったんです。ボトムアップの復興というのは、こうした異なる世代の意見やさまざまな価値観が交錯する中で、みんなで意思決定していくものなんです。だから、「こういう道筋で復興を進めよう」と一人の視点から決めるものではないと改めて感じました。
-なるほど!
土田:このような集合的な意思決定が、復興の土台、つまり「ボトム」になるんだと思います。そして、そのような被災者たちの意思や決断をもとに、外部や内部からの支援がどのように関わるかを考えていくことが、復興にとって重要だと思います。
-「お祭りをしたい」と掲げてくれれば、周囲からそれをサポートしやすいですもんね。
トップダウン型支援のできること。
-トップダウン型支援、つまり行政側の復興支援ってどのような可能性があるとお考えですか?
土田:行政などの公的支援は、事態がうまく運べばすごくありがたく強力なサポートになりますが、現状はなかなか厳しい状態かと推察されます。まずは、行政自体が規模縮小しているので、必要な人的・経済的リソースを割けない。ですから、ボランティアが確保できても、彼らをまとめ、指揮する行政の人材が少ないかいない。現地で助け合いの仕組みが成立しづらいんです。
こうした状況を背景に先行研究では「復興しない被災地」や「見捨てられた復興」と言われる地域が生まれていると指摘されています。
-そういった地域はなぜ生まれてしまうんですか?
土田:行政側も限られたリソース上、復興エリアを限定せざるを得ませんから、境界の外側に位置する地域はほとんど支援が届かず、支援物資の配布や災害ゴミの仮置き場の打ち切りが早まったり、ブルーシートで雨風をしのぎながら暮らしたりするという状況が続いてしまうんです。
-行政側も区切らざるを得ないですし、難しい判断ですね。
土田:そうですね。今振り返って見れば、阪神淡路大震災から復旧復興を支える主体が行政に加え、ボランティアが台頭し、さらに東日本大震災以降、行政に代わって民間のボランティアや外部団体がサポートする多彩な動きが強まり、行政の手が届かない部分を民間が長期的に支援する体制が整ってきました。民間支援は、多様な復興ニーズに応じた対応を行えるのが強みですね。
-とはいえ、民間の支援を持続させるのも簡単ではなさそうです。
土田:おっしゃる通りです。民間の課題としては、大きく資金面とハード面の問題が挙げられます。資金面については、ほとんどの団体は営利目的ではなく、寄付金、財団、基金などを頼りにしていて、様々な段取りが必要なため安定した資金取りは思うようにいきません。NGOやNPOのように、独立して資金を確保したり、財団に申請して持続的に活動資金を獲得したりできる仕組みやノウハウ、人材、実績などが求められています。
ハード面では、被災地に活動の拠点を持続的に置くことが難しいという問題があります。物資を送るにも拠点がなく、現地に組織を置けないこともあります。最近では地域や行政の協力を得て地域の施設で拠点を持つことができる団体も増えてきていますが、まだ課題は多いですね。
-復興ではなく、移住という選択肢が議論されることもありますよね。
土田:もちろん移住も選択肢の一つですが、被災者にとって、そういった大きな決断は精神的な負担がすごく大きいので、議論には注意が必要です。
例えば、佐賀県武雄市では、2019年に洪水被害を受け、住民が地域に留まり復興しようと決意した、わずか2年後の2021年に再び水害に見舞われました。このような連続的な被災は「あの時ここに住まい続けるという選択が悪かったのか?」という自己責任の思いに苦しむ人びとを多く生み出しました。
-あぁ。自己責任論に陥ってしまうんですね。
土田:そうなんです。被災すると、呆然とした精神状態から、次第に「なぜ助けてくれないんだ」という怒りに変わり、その後「自分が悪かったのだろうか」「この状況を受け入れるしかないのか」と深い悲しみや自らのやるせなさに襲われます。精神的なケアも復興プロセスではとても大事です
-確かに、普通の精神状態ではいづらいですよね。
土田:武雄市のケースについては、一度目の被災時に設置された民間のボランティアセンターが、継続的に支援を提供していたので、移住だけでなく、被災地で暮らす選択肢が用意されました。サポートが手厚かったので、住民も安心して復旧復興に臨めたんですよね。
つまり、移住してもいいし、移住しないで暮らしてもいい、覚悟や住まい続ける意思をゆっくりと暮らしに向き合い立て直すなかで回復する時間を設けて選択肢を増やしてあげることで、被災者が主体的な決断をしやすくなりますよね。加えて、選択を一度だけでなく、何度か選択できるようにすると理想的だと思います。
-選択肢を増やす支援が必要なんですね。
土田:様々な選択肢を用意して個人的な困難を抱えた人の状況を改善し、悪化しないようにするために、各々の生活の個別性や具体性に寄り添った持続的な調整を伴う支援の実践が必要です。被災した本人がどんな状況で、誰と生活していて、どんな問題に直面しているか、どんな人的・技術的資源が利用可能か、それを使用するために何を選びうる必要があるのか。
復興に対する解やイメージがあらかじめ与えられていない状況でも、被災者とそれを取り巻く家族、ボランティア、瓦礫やニーズシートなど人だけでなく、あらゆる道具などの人工物もが集合的にかかわりあい、選択肢を増やしよりよいケアをともに悩みながら考え、配慮し、具体的に試行錯誤する。そうすることで、はじめて自己責任論の限界とその先の可能性を身をもって理解し、都度個々人の状況に応じて手を打ち、他者からの支援を安心して受け入れられるのではないかと思います。
事前復興の可能性。
-事前復興(災害が発生した際のことを想定し、被害を最小化する都市計画やまちづくりを推進すること)としても可能性があるように思いますね!
土田:もちろんです。最近では被災する前からどのようにまちづくりや組織づくりを進めていくかというテーマで、事前復興の可能性が活発に議論されていますからね。
-具体的にはどのような議論がなされているんでしょうか?
土田:議論は、誰が主体となって進めていくのかを中心に進んでいますね。行政が主導するのか、あるいは民間が主導するのかという点です。行政側としても、まだ起こっていない災害について具体的にイメージしにくい。たとえば、実際の災害時に本当に役立つのかはわからないとしても、高台に避難するとか、机の下に隠れるといった防災訓練をするとか、災害に強いまちづくりやコミュニティづくりしかない。事前復興計画は少しずつ自治体で普及していますが具体化しにくく、結果的に行政側も予算を割きにくい傾向があるように思います。
-防災訓練以上の取り組みがしにくいということですか?
土田:そうですね。それでも国際的にみれば、アメリカや日本は事前復興の研究がかなり進んでいる国です。私たち研究者が自治体のプロジェクトに参画したり、企業がサポートに乗り出したりする動きがあります。
たとえば、南海トラフ地震で甚大な被害が予測される和歌山県田辺市の漁村では、京都大学防災研究所との協働によって事前復興の取り組みが進んでいます。被災時に被害が大きくなると予想される家屋を調査したり、住民が主体となって地域の生業の継続を計画策定したり、災害から復興へのプロセスをあらかじめイメージして計画に落とし込んだり、身寄りのない方へのサポート体制を今から整えたりしているんですよ。
-具体的に備えておくことで、復興時に動きやすくなりますね。
土田:防災を取り組む上で必要なテクニックも軽んじるつもりはないですし、もちろん大切です。でも、日本はとりわけあらゆる災害の多い国で、単体だけでなくあらゆる災害が重なりうる可能性もあります。そうしたあらゆる災害と時間軸、組織づくりの境界を配慮した事前復興にきちんと取り組むのが望ましいかなと思います。
-個人で備えておける事前復興ってありますか?
土田:やはり「壊れてしまった風景や暮らしからどのように復興していくか」をイメージとして持っておくことが重要だと思います。そうした景色を事前に思い描いておくことで、災害に見舞われた時にも「別の形になってでもこの景色で生きていくんだ」とかすかな希望を持てますし、ビジョンを描きやすくなります。あとは、いざという時に相互支援できるための「助かりしろ」を作っておくことではないかと思います。
-助かりしろ、というのはどういう意味でしょうか?
土田:ひとことでいいますと、コミュニティや支援組織に属して人格的な関係性を取り結び役割をもっておくということですね。
-なるほど。
土田:従来の国と県と市の間の業務、民間と団体やコミュニティの関係のあり方では、地域の防災や復興のあり方に直接、長く影響をもたらしうることがあります。こうした硬直的な仕組みでは私たちの小さな悩みや葛藤を聞き取り、乗り越える運動すらも届かないのでしょうか。少なくとも私はそうは思わないです。
-従来の仕組みも活用していくべきだということですね。
土田:私たちの日々のありようを見直すために、直接的に抜本的に制度を変えることの難しさのなかで、顔と状況の見える関係性をもちつつ地域でいかに声をあげてそれが伝わり、政策決定や意思決定を支援する場が必要になります。非常時における明示的な助けると助けられるの軸には、意外と誰も想定していないゾーンとしての余白が垣間見えます。この余白にこそ可能性があり、助かりしろが存在すると思います。
-それこそが助かりしろであるということですね。
土田:先の佐賀県武雄市はその一つの可能性を秘めた地域と関係性だと思います。集中的な支援が入る短期に加えて中長期の復興過程を実現するために、地域が置かれた状況や文脈を斟酌し、時間と人、空間のスケールの連続性を軸にすることによって、災害が起きる前から様々なシナリオを喚起させ、それに対する実践可能な仕組みをつくっては試行錯誤してみる。そういったところに日頃から関わっておくことで、いざという時の助かるための基盤になります。
-意識して関わっていかないといけなのかもしれませんね。
土田:地域のコミュニティをベースにケアし合うような関係性が築かれていれば、災害時にも支え合える強さが生まれると思います。地方都市では比較的、地域のつながりが強く、困った時に助け合える関係があるようにも思いますが、都市部は割と希薄なので心配ですね。
-おっしゃる通りコミュニティへの参加ってハードルを感じますね。
土田:そうですよね。危機的な状況を想定することで、むしろコミュニティを作りやすくなる、参加しやすくなるという面もあるかもしれません。
-確かに、大きな危機が目の前に迫っているとなると、みんなで立ち向かおうという気持ちが生まれやすいかもしれませんね。
土田:大きな脅威が来るかもとわかっているからこそ、普段はばらばらの人々が一つにまとまって、協力し合える。そういう形での助かりしろを事前に準備しておくことが、いざという時には本当に強みになるんです。また、助けると助けられるという関係性のなかでは返す、受け取る、返し続けるなんらかの力が働きますが、助かりしろのなかでは、そうした力が発生しにくく、自然と助かったと思えるような、中空的で、でもつながりを確かに感じるポテンシャルがあるんじゃないかなと思います。
変わってしまっただけで日常は続いている。
-被災地に対して個人でできる支援にはどのような可能性がありますか?
土田:寄付や現地の特産品などを買うことなども有益だと思います。さらに本気でサポートするのでしたら、まずは現地にボランティアとして足を運んでみるのもよいと思います。もちろん、個々人のいろんな事情や難しさ、体力やメンタルのケア、心配もあるでしょうからすべての人が現地に行く必要はありませんが、現地の状況を風景や出会う人びとと交わりつつ、自らの身体とこころを通して知るのはその後の支援活動や復興を考えることにおいても、有意義ではないかと思いますね。
-やはり、現地のことを知っておくのが重要なんですね。
土田:被災地で得られるのは助ける経験だけじゃなく、こちらが助けられることも多いんです。復興は「助ける」「助けられる」ではなく、共に「助かる」ためのプロセスだと痛感するんですよね。現地には、美談でも、つらい現実だけでもない、想像とは違う被災者の姿とか不思議な言葉や風景、暮らしの出会いがあるんですよ。
-土田さんの研究はそういった被災地の様子を伝えるものだということですね。
土田:ええ、不思議なもので、現地を訪れた当初は悲しい気持ちに引っ張られて崩れた建物や瓦礫、いかにも災害の記録を撮影していたのが、次第に被災地の日常の風景に目が向くようになるんです。被災地は、生活がなくなってしまったわけではなく、これまでとは大きく変わってしまったのであって、そこで生きる人びとの生活は続いている。そういった姿を全身で捉え、私やあらゆる主体も巻き込まれ関わりながらも伝え続け、復興プロセスを描き出したいと考えています。
関わった人も、自分自身も「助かった」と思えたらいいなと思います。引き続き地道に被災地でのフィールドワークやボランティアを通して、多様な復興を記録し、研究を続けたいと思います。
これからの世界で失いたくないもの。
-では、最後の質問です。土田さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
土田:「思考する手」ですね。思考というと、どうしても頭で考えていると思いがちなんですが、私は手が考えると思っているんです。
ボランティアなどでもよくあることとして、作業を通して現場に晒されることで知ることがたくさんあるんです。例えば、床の下にある、床板を支える根太という柱をクリーニングしたり、床下に潜って泥かきしたり、壁の断熱材を消毒したり、初めてのボランティアだと今これは何のための作業か、作業はきちんと進んでいるのか、用語や動きやすい格好すらも分からずじまいで指示に促されるままにやっていくことが多いと思います。でも、そこで暮らしている人やベテランのボランティアの人の話を聞くと、だんだんと今ここでやっている作業や法律や制度の意味を理解し、その先での現地再建がイメージできて、この手でやっている目の前の作業に熱心になる。できなかった作業がだんだんとできるようになるんですよ。思考した手を動かすことでしか、私たちは何かを作ったり磨いたり、感覚を得たり、どんな風景を残したり作り変えたりするか、理解することができないのではないかと感じることがあります。頭で考えて手を動かすのではなく、考えた手で頭と心を動かし、目の前のこと、その先の対象や未来に向けて汗をかき、ともに喜びあうというのが大事かなって思います。この感覚は、失いたくないですね。
Less is More.
災害は、とても身近なのにやっぱりどこか絵空事のように感じてしまう。私たちはもっと自分自身もいつか、被災するかもしれないと思うことで、日常をもっと愛しく思えるのかもしれない。
(おわり)