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『聖なるズー』著者 濱野ちひろ氏インタビュー。私たちが性について語り合うこと。

犬や馬をパートナーとする動物性愛者「ズー」を中心に描かれたノンフィクション『聖なるズー』をご存じだろうか。2019年に発売の本書は、開高健ノンフィクション賞をはじめ、数々の賞にノミネートされた傑作だ。「動物性愛」という極端な性のあり方は、私たちが考えるべきセクシュアリティの未来を照らす。
作者の濱野ちひろ氏に、『聖なるズー』のこと、そして現在考えているセクシュアリティのことを広範にお話いただいた。

濱野ちひろ:ノンフィクションライター。1977年、広島県生まれ。2000年、早稲田大学第一文学部卒業後、雑誌などに寄稿を始める。2018年、京都大学大学院人間・環境学科研究科修士課程修了。現在、大阪公立大学UCRC研究員。

-あらためて動物性愛について教えてください。

濱野:誤解なく簡潔にお伝えするのが難しいのですが、動物性愛とは”動物を心から愛していて、時には人間よりも信頼感・愛情感を強く持ち、性的にも欲望すること”です。動物たちをパートナーとして、セックスをしたり、愛情を持って生活をしている人々を総称してズーと呼ばれます。

-「動物との性行為」だけ切り取るとセンセーショナルに捉えられる可能性もありますからね。

濱野:えぇ。逸脱した性のあり方として、理解されないまま変態行為として差別されてきた歴史もあります。

-書籍では、変態行為という印象は受けず、ズーを通して「愛とは?」「人間とは?」という非常に普遍的な問いについて考えさせられました。

濱野:『聖なるズー』には、ある人間と他の存在がつながり、関係を結ぶ中で起こりうる癒しや誤解、セクシュアリティにまつわる様々な問題を一つずつピックアップして描きました。

-動物性愛を誤解なく理解するためにも、書籍もぜひご一読いただきたいですね。

『聖なるズー』 (集英社文庫)。

動物性愛を研究するきっかけ。

-そもそも動物性愛に着目したのはなぜだったんですか?

濱野:文化人類学におけるセクシュアリティ研究のため、2016年に30代後半で京都大学・大学院に入学しました。指導教員から「獣姦」の研究を勧められたのがきっかけのひとつです。

-文化人類学の研究としてスタートしたんですね。

濱野:指導教員は、私だけではなくこれまで何人もの学生に「獣姦を研究したら」と勧めたそうです。が、誰もする人はいなかった。これは、学術研究としては価値を理解してもらいにくいのもあって、普通は怖気づくからだと思います。

-そうなんですね。

濱野:発行から四年経つので、そろそろ話してもいいかな(笑)。20代からフリーライターの仕事をしていましたので、そもそも自著を出すことを目標としていました。なので、私にとっては怖気づくどころか、これはいいテーマだ、と。ただし、私は「獣姦」研究はしたくはなかったので、「動物性愛」にしました。あれこれリサーチしていたら、ドイツに動物性愛の団体があることを知ったんです。団体を見つけたとき、このテーマを追う覚悟が決まりました。つまり、計算も入ったテーマ選びだったんですよ(笑)。イレギュラーな年齢で学問を始めたぶん、怖いもの知らずでいられました。

-あぁ!だからこそ、研究でもあり、ノンフィクションとしても楽しめる作品なんですね(笑)。

濱野:そうなんです(笑)。当時は社会的にもセクシュアリティの問題に注目が集まりつつありました。動物性愛を通せば、広く社会に問題定義できる作品になると思ったんですよ。

-確かに動物性愛を通して、自分自身の性のあり方についても考えるヒントがたくさん描かれていますよね。

濱野:読者が思考実験しやすいというのもテーマを選んだ理由です。動物性愛のような極端な事例は、自分自身と距離を保ちながら比較することで本質的な問いが立て易いと思うんです。

-確かに「異種族とのパートナーシップ」と捉えると、ある意味ではフィクションの設定のようですもんね。

濱野:そうですよね。実は、出版して最初に反応してくれたのは、文芸を手がける小説家の方々が圧倒的に多かったんです。

フェアであることがテーマのひとつ。

濱野:もうひとつ、動物性愛をテーマにした大きな理由が当時の自分自身の問題にもフィットしていたことでした。

-お話ししづらいかもしれませんが、ご自身の問題についてお聞きしてもよろしいでしょうか?

濱野:私は20代のほとんどを当時付き合っていたある男性から性暴力を含む身体的・精神的暴力を振るわれて過ごしました。恋愛や性を楽しんだり、家族を作ることもなく、20代を無駄に過ごしてしまったんじゃないか…その怒りのような思いが、セクシュアリティ研究に取り組む、大きなモチベーションのひとつでした。

-プロローグにその体験が描かれていましたよね。ズーの方々のプライベートを明らかにする前に、ご自身の体験を明らかにしていて、すごくフェアな構成だなと感動しました。

濱野:それは、すごく嬉しいですね。私が出会ったズーの皆さんは、本当に素晴らしい人々でした。彼らに直接会いに行き、分かち合う過程で、存在と存在を対等とし、優劣つけないことに驚きました。
そこから「対等性」というキーワードが浮かび上がったんです。だからこそ、フェアに書くことはとても大事なことだったんですよ。

-あぁ。素晴らしいですね。

濱野:出版して時が経って、今では、自分自身の受けた性暴力についても、少し冷静に考えられるようになりました。あの体験は決してセクシュアリティだけの問題ではなかったんですよね。特殊な人間による、犯罪に近いものだったと考えています。
元々のモチベーションだった性暴力への怒りからは距離を取れた今も、セクシュアリティの研究は続けています。
現在は新たにロボットを対象とする性愛について研究を始めているところなんですよ。

-ロボット!すごく楽しみです。

性の”どうしようもなさ”を伝えること。

-動物・ロボット、ある意味、極端なセクシュアリティを研究されていますが、濱野さんは「ここまでが性愛である」というような線引き・ルール設定をされていますか?

濱野:”人を傷つけない”だとか常識的な範囲でのルールは当然必要だと思います。ですが、私自身はどこまでを性愛とするのか、自由にしておきたいと考えています。そもそもガイドラインやルール作りには、あまり意味がないと思うんですよ。

-それはなぜですか?

濱野:ルール作りって、表と裏ができるだけだと思うんですよ。枠組みから外れる人は必ずいると思うので、表向きやらなくなるだけですよね。
日本は特に、そういうルール設定に向いていないように思うんです。もともと本音と建前の使い分けが上手なので、それを深めてしまうんじゃないかなって。

-確かにそうかもしれませんね。

濱野:ちなみに『聖なるズー』を読んだ方に「今後、濱野さんはセクシュアリティにまつわる活動家になるんでしょ?」って言われたことがあります。私、全然そんなこと考えていなかったので、びっくりしたんですよ(笑)!

-(笑)。

濱野:もちろん活動家を否定するわけではありません。
ただ、私自身は、性が持つ、どうしようもなくて、くだらないのに、こんなにもみんなのトラブルの種になることに興味があるんです。性が持つ面白みを、誰も取り上げていない角度から伝えられたらいいなって思っているんですよ。

社会とセックスを分けて考えること。

-動物・ロボットなど、濱野さんが取り上げるテーマは生殖とセックスが結びついていないことも特徴な気がします。

濱野:そもそもセックスは、生殖のためだけにあるものではないと思っています。
身近な動物を見ていると、セックスと妊娠を結びつけて理解しているようには思えないんです。犬や猫は、果たして射精や受精、出産の流れや仕組みを知っているでしょうか?彼らにとっては、セックスは遊びのひとつでしかなくて、忘れた頃に子どもが生まれてきて、なんか新しい仲間がやってきたな…くらいの感覚かもしれないでしょう。それに、ゴリラは若いオス同士で性的な遊びをするなんて聞いたこともあります。

-確かに生殖とセックスがつながっていないのかもしれませんね。

濱野:人間だけが、セックス=生殖のためだけのものとして振る舞うのは、ナンセンスではないかと思うんですよね。人間がこれほど生殖とセックスを結びつけてきたのは、戸籍や出生数、社会における管理が必要だからではないでしょうか。

-あぁ。生殖=社会の問題であると。

濱野:えぇ。生殖は社会や政治と切り離して考えられないから、複雑になっているように思うんです。でも本来的には、セックスと生殖は、別の問題として考えたほうがいいのかもしれませんよね。

-そのほうがシンプルに考えられるのかもしれません。

濱野:現在、セックスにまつわる問題には、たくさんの社会の問題がくっついていますよね。
例えば「パートナーをつくる」「家族をつくる」「快感を覚える」「リラックスする」…本当は一つずつバラバラの機能だと思うんです。これらをセックスと一緒くたに語るのは無理があると思うんですよ。

-あぁ。ひとつずつ分けて考えることも必要なのかもしれませんね。

濱野:映画・ドラマ・小説などの影響も大きいのかもしれませんよね。私たちは甘い恋愛譚やロマンチックな物語で、セックスの問題をふんわりとオブラートに包んできました。
男女の愛を基盤とした物語における重要なものとして、セックスが描かれることも少なくありません。セックスを崇高なもの・憧れの対象として描き続けてきたことで、ますますわかりづらいもの・語りづらいものになっていると思うんです。

-確かにそうかもしれませんよね。

濱野:私は、セックスの価値って、全然たいしたものでないと思っているんです。
私の書籍タイトルも『聖なる』って冠しているので、よく誤解もされるんですけど、セックスって全然尊いものではなくて、すっごいくだらなくて、人間のたくさんの活動の中のひとつに過ぎないと思います。
たいしたことがないものをたいしたものとしているから、未だに処女性を尊んだり、浮気・不倫の報道などで大騒ぎするんでしょうね。

-あぁもう少し気軽に扱ってもいいのかもしれませんね。

濱野:セックスの価値がインフレしていますよね。もう少しフラットに捉え直したら、もっとみんな楽になるんじゃないかなって思うんですよね。

家族の問題と生殖技術で変わる未来。

濱野:セクシュアリティ研究をしていると、特に家族の問題ってすごく大きいんですよ。

-どういうことですか?

濱野:相手が人間にしろ、動物にしろ、ロボットにしろ、そもそもの思いは「人間は一人だけで完結できない。パートナーが欲しい。」ということですよね。
今までの社会では、この思いの先に結婚をして、セックスをして、子供を授かり、家族を作るということが、ある意味で社会の規範とされてきました。

-「普通の家族」とされてきたということですね。

濱野:パートナーの対象が「普通」から外れたセクシュアリティは古くからあったのですが、生殖し再生産できる男女の夫婦だけを正しいペアとする社会の規範に抑圧され続けてきました。現代はようやく、自分が「誰」と一緒にいたいのかを主張できるようになってきたんです。パートナーは同性であってもいい。犬でもいいと私は思います。そしてロボットでも。

-あぁ。少しずつ色々な家族のカタチを話し合えるようになってきたのかもしれませんね。

濱野:みんな少しずつ家族の問題に気がつきはじめていますよね。
私たちは、性も、生殖も、フレンドシップも、経済も、愛も、全てを「家族」に背負わせてきました。パートナーを求めた先に、あらゆる要素が一つの「家庭」に入ってくるなんて、冷静に考えると無理じゃないかと思いませんか?

-確かに。家族に多くを求め過ぎてきたのかもしれませんね。

濱野:「普通の家族」が幸せだった時代もあるのでしょうが、現在はそうでないんでしょうね。"今までの家族のカタチ”を求めない人々の現代におけるリアリティの強さってすごいです。

-なぜそういう時代になったとお考えですか?

濱野:豊かになって、「なんで結婚しなきゃいけないんだっけ?」「男女ペアじゃなきゃいけないんだっけ?」って考える余裕ができたのかもしれませんよね。

-なるほど。

濱野:もう一つは、生殖技術の進歩が影響してるんじゃないかと思いますね。

-どういうことですか?

濱野:卵子保存に代表される生殖技術はすごい速さで進歩していますよね。これからの世代は生殖のタイミングからも自由になれる可能性もあると思います。そうすると、いよいよ”いついつまでに結婚して子供を産まなきゃ”みたいな価値観は、なくなると考えています。何十年も先に子供を産もうっていうライフデザインも全然可能になってくるわけです。

-いよいよ生殖とセックスが分けて考えられるのかもしれませんね。

濱野:卵子凍結も費用が下がって、かなり一般的なものになりました。すでに子育ては「老後の楽しみ」って話す方もいらっしゃいます。

-確かに、そういうライフデザイン、すごく素敵ですね。

濱野:20~30代の妊孕力(妊娠能力)が高い時期と、キャリア形成の期間ってどうしても被ってしまいます。
この問題を解決しないと男女均等な働き方は難しいですよね。世界には政策や制度が成果を出している国や会社もありますが、日本では働き改革などを推進しても、なかなかうまくいっていないように思います。

-あぁ。生殖のあり方から考えたほうが、解決が早いのかも知れませんね。

私たちが、セックスについて話し合うこと。

-いまさらで恐縮ですが、濱野さんはセクシュアリティやセックスについて語り合うことについてはどう思いますか?

濱野:セクシュアリティやセックスについて語り合うことは、いいことだと思います。それは間違いないと思うんですよね。
ただ、人間の性の現場には、必ずと言っていいほど密室の問題が付きまといます。大抵の動物は大っぴらに性を謳歌していますが、人間にとって性は隠すべきもの、恥ずかしいものになっているので、どんどん語りにくいものになっていますよね。

-日常的に性を語る機会って、なかなかないですよね。

濱野:本当は、避妊や快楽…性愛にまつわるあれこれを、パスタのレシピを話すくらいの気軽さで話せたらいいのになって思いますが、なかなか難しいですね。
下ネタみたいな下品さでなく、フラットに話し合う文化があるといいなって思います。私が調査の現場でやっていることは、まさに純粋に性について話し合うことなんですよね。だから語り合うことはできると信じていますが、普段の会話でいきなりできるかっていうと…私もできません(笑)。

-(笑)。いきなり話すと、セクシュアルハラスメントにもなりそうですよね。

濱野:誰でもハラスメントする側になり得ますからね。私自身も、加害者にならないよう気をつけています。

-どうしたら、話せるようになると思いますか?

濱野:一つの可能性として、すごくフラットにセックスについて語る「場」を作るのはいいかもしれません。ハラスメントが起きないような仕組みを作ったうえで、ただ話す。

-あぁ。そういう安全な場所を作るといいのかもしれませんよね。

濱野:性については誰にどれくらい、何を話していいか、みんな少しずつわからなくなっているのかもしれませんよね。
本当は"2020年台後半における下ネタのあり方"とか、気楽なテーマで話し合ったりできたらいいなって思うんですけどね(笑)。

-今日がまさにそういう「場」だったように思います。『聖なるズー』について語っているうちに、フラットに性について話せたように思います。

濱野:それは、すごく嬉しいですね。動物性愛を特殊とつき離すのではなく、自分と照らし合わせながら、性愛を考えるきっかけになってくれたらいいなと思います。

これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。濱野さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?

濱野:「飲み会」かな(笑)。コロナを境に、人との距離感が少し寂しいものになったように感じています。以前は、たまたま会った人と意気投合したり、そういう偶然って時々あったじゃないですか。その瞬間だけでも、グッと心がつながるような時って「生きててよかった」って思います。

-わかります。

濱野:新しい友達を見つけることは、人生にとっていちばん大事なことだと思う。ドイツで出会ったズーのミヒャエルも「君を友達と思っている。いつでも電話してくれ。」って言ってくれて、本当に嬉しかった。
私はもっと色々な人に知り合いたいし、知り合う場所とかきっかけとか、そういうのものを失いたくないなって思います。

Less is More.

私たちは家族のことやセックスのことをどれだけ話し合って暮らしてきたのだろう。自分自身が「普通」と信じて、何もなかったことにしてきたことは、とても多いのではないか?
そういったことを、私たちはもっと真摯に対話していくべきなのかもしれない。まずは『聖なるズー』について、誰かと語り合うことからはじめるのはどうだろうか。

(おわり)

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