失われた日常と、失われないボランティア精神。 小林みちたか氏インタビュー。
「ボランティア」と聞いて何を思い浮かべるだろう。今回インタビューした小林みちたか氏は、東日本大震災をきっかけに世界中で、たった一人でボランティアを続けている。ボランティアをなぜ続けていくのか?そもそも「ボランティア」とはなんなのか?誰かを助けることは人間の根源的な欲求なのだろうか?
そして、一部地域だけに訪れる災害でなく、世界中が巻き込まれているコロナ禍において、ボランティアはどの様に変化していると感じているのか。
自分自身を揶揄して「震災ジャンキー」と書籍タイトルをつけるほど、理由の分からぬボランティアの世界に身を投じる小林みちたか氏にお話を聞いてみた。
<プロフィール>小林みちたか:東日本大震災での6年半におよぶボランティア活動を綴った『震災ジャンキー』(草思社)で、第1回草思社文芸社W出版賞金賞受賞。インド北部のラダック地方の旅を綴った『死を喰う犬』(産業編集センター・6月刊行予定)で、第1回わたしの旅ブックス新人賞受賞。
仕事として、ボランティアをはじめるまで。
-小林さんは、どんなキャリアを歩んで、ボランティアをはじめたのですか?
小林:新卒では新聞社で広告営業を担当していました。ですが、当時ネットを中心にメディアの業界構造そのものが変わっていく中で、自分がこのまま新聞社にいても到底活躍できない、生き残れないと不安になってきて、ベンチャーの広告会社に転職しました。
-そちらでも営業を?
小林:いえ。営業は、能力的にとてもできないと思っていましたので、自分自身で何か、広義のモノづくりに携わりたいと思って、コピーライターとして転職しました。そこで6年くらい働いたあと、NGO団体に入ったのですが、親がぶっ倒れたりしたので、団体を離れて、今に至るまでフリーのライターとして仕事をしています。
-もともとは仕事として支援活動をはじめたんですね。NGO団体って耳にはしますけど、どんな活動をしているのですか?
小林:「NGO=Non-Governmental Organization」の略で、非政府つまり民間の組織のことです。日本ではNPOと混同されることも多いのですが、ざっくりいいますと、途上国での様々な支援活動をしている団体と思っていただければと。その団体で仕事をはじめて、すぐに東日本大震災が起きたんです。
-まさに未曾有の大災害でしたよね。
小林:ええ。仕事として被災地に行くことになったのですが、とにかく怖かったです。現地について、地面に降りた途端に恐ろしさで足が震えました。「こんなめちゃくちゃになってしまった場所で、僕にできることなんて何もないだろう…。」って痛烈に思わされました。仕事としていっていなければ、逃げ帰っていたかもしれません。仕事で半強制的に活動したのは、今となっては、ボランティアに関わるきっかけとしては良かったかもしれません。
-実際に現地ではどのような活動をされていたんですか?
小林:震災直後でとにかくモノがなかったので、物資の配布がメインの業務でした。毎日届く荷物をただひたすらハイエースに詰め込んで、被災した方々へ届けていました。
終わりなきボランティアに身を投じて。
-NGOでの活動を終えても、個人として無償で東北に出向いて支援を続けられたんですよね?
小林:そうなんですよね。その頃は、特に本を書くとも思ってなくて、定期的にただただ行っていたんです。自分でもなぜ行っているのかわからないですし、周りにも同じようなボランティアの仲間がいるんですけど、よくみんなで「辞めどきがわからない」なんて話をしていました。
-その頃の活動は、書籍「震災ジャンキー」にも詳細に記されていますよね。
小林:震災のボランティアを2-3年くらいやるうちに、ようやく「これを本にしてまとめてみようかな」と思い始めたんです。ボランティアの視点で、震災や現地の様子を描き、記録しておこうと思って。
↑小林みちたか氏の書籍「震災ジャンキー」(草思社)。
-書籍自体は、震災という圧倒的な事実を前にした小林さんの実感をベースに描かれていて、なんといいますか割と俯瞰的といいますか、不思議なトーンですよね。
小林:僕はジャーナリストではなく、あくまで普通の人です。何かネタを探してボランティアに行っているわけではないので、自分の視点でしか書けないんですよね。文章にまとめだしたのも、当時の気持ちを整理するため…理解するために始めたようなところがありましたね。
-それにしても、何に突き動かされてボランティアに通ってらっしゃったんですか?
小林:よくわかりません。衝動にかられる理由がよくわからないので「震災ジャンキー」ってタイトルをつけたくらいで。もちろん「誰かの役に立っている」という喜びみたいなものはありました。それは否めないんですが。
-なるほど。
小林:でも、ひとつ。NGOでの活動を終えたときに、「自分は、本当に仕事としてしか活動していなかったのだろうか?団体を辞めたら、活動も終わりなのか?」と自問自答したんです。なんとなく、被災した方々を見て見ぬ振りをすることが怖かったんですよね。そういうことをするとろくな死に方しないんじゃないかなと思って(笑)。
子供のころから、因果応報のようなものを妙に気にする性格なんです(笑)。
自分にしか意味のないことを。
-小林さんは、震災のボランティア後にも様々な活動をされてますよね。
小林:ランドセルをネパールの子に届けたり、ソーラークッカーをヒマラヤの奥地まで200kmくらい歩いて届けたりしました。
-それは、いわゆる「仕事」としてですか?
小林:いえ、誰にも頼まれてないんですけど、やってみたいのでやってみようと(笑)。うんっと…僕は割とダメなところがたくさんありまして。例えばお酒が好きなんですけど、酔っ払って色々な失敗をしたりとか、そういうことがたくさんあるんですよ。なんというか、そういう普段のダメ〜なところの帳尻合わせでボランティアをしているという感じなんですよね。
-なんか不思議な感覚ですね。そういう普段の埋め合わせなら、周囲の人にするほうがいいんじゃないですか?(笑)
小林:もちろん、周囲の皆さんには親切にしたいですし、しているつもりです(笑)。でも、人から見たらなんかすごいボランティアに見えても、ちょっとした親切くらいの気持ちでやっているんです。そもそも日頃の愚行の帳尻合わせですし。僕の中で、ボランティアをするときに2つのルールがあって。ひとつめは「無理してやらない」ってことです。自分の好きなものの中でだけでやろうと思っています。僕の場合は、元々旅行が好きなので、海外での支援は旅したい場所に行くついでにボランティアをするような感覚です。もうひとつが、「意味を求めすぎない」。
-意味を求めすぎない?
小林:はい。世界って色々と複雑な関わりの中でできていると思うのですが、何がどこでどう関係し合っているかなんて、僕には到底理解できません。そういった複雑な関係性に意味を求めることはちょっと大変だと思うんですね。
-あぁだからこそ「無理してやらない」。
小林:そうですね。実はそういうことに気がついたのも、福島でのボランティアがきっかけでした。「君は、東京の人間として恥ずかしくないのか」と現地の方に言われてしまったことがあったんです。僕は、震災が起きるまで東京で使っている電気が福島で作られていることすら知りませんでした。普段何気なく過ごしている、その全てが世界の何かに関係があるんだと気がついたんです。少なからず何事も全ては影響し合っているわけで、意味がないことは何一つない。それなら意味を求めることすら意味がないと思い至りました。それ以来、「自分にしか意味のないこと」ほど大切なことはないと思って、活動しています。
-ちょっと、仏教的なイメージすらありますね。
小林:いえいえ、そんな大きいことじゃないんです(笑)。そもそも「人のためにやる」ってのは苦手なんですよ。人助けではなくて、「困っている人をサポートできる自分でいたい」という、非常に利己的な考えなんです。もちろん無理はしないので、できる範囲ですが。
-ボランティアに参加しない・できない理由として利己的なんじゃないか?「自分のため」でしかないんじゃないかと考えて、足踏みをしてしまうことが多いのかと思うんです。
小林:多分そういうことで足踏みをしてしまう方は、頭のどこかで何かしら「社会を変える」というような大きい野望や視点があるんじゃないかって思うんですよ。僕には、あまりそういう高尚な志みたいなものがありません。そもそも社会を変えるとか、そんな大それたことを僕ができるとも思えないですから。なので、気軽にボランティアを楽しめているのかなって思います。例えば、さっきのソーラークッカーやランドセルを持って行ったことも旅行のついでにお土産を持っていくくらいの気持ちなんですよね。
-それくらい軽やかな気持ちだと、参加しやすいですね。
小林:何かを突き詰めて考えると、必ず足踏みしてしまう。まずは好きなアクションにつなげるといいんじゃないかと思います。ボランティアをしたときに、嫌な思いをする方もいるかもしれないですけど、少しでも喜んでくれる人がいるなら「ちょっといいことになってたらいいな」くらいの気軽さで行動してみるといいのかなと思います。
-「こんなことをして意味があるのだろうか?」と考えすぎてしまいますよね。
小林:ボランティアだけではなくて、人生の色々なことに「意味」みたいなものを考えだすとどうしても病んでしまうと思うんですよね。大層な意味がなくても、好きなことならやっているときの「醍醐味」みたいなものはあるはずです。だから割と刹那的な楽しさを大事にしてもいいのかなと思います。
コロナ禍でのボランティアの変容。
-海外での活動もコロナで制限されていると思うのですが、コロナ禍でのボランティアには何か変わったことはありましたか?
小林:まず、世界には、もっとめちゃくちゃな状況ってのがずっとあったんですよね。戦争・貧困はもちろん、感染症もすごくたくさんありますよね。コロナが軽いとは思いませんが、先進国が打撃を受けるとこれほどまでに過剰反応するのかと脆さを感じました。
-確かに、いざ自分達のことになると、すごい反応になってしまいますね。
小林:はい。なので、僕自身は気持ちのうえで、そこまでの変化ってないんですよ。もちろん、現地に駆けつけてのボランティアというのはできません。支援業界全体で、寄付金とかは減ってるんじゃないかなと思います。でも、僕は間接的なアクションでも、いいと思うんですね。募金とかはもちろんですけど、僕は「思う」ってだけでも全然いいことだと思っています。何事も好奇心、興味を持つことから始まると思うので、そういう、誰かや何かを考えたり、思いを馳せるチカラってのちのち何かに繋がるんじゃないかと思うんですよね。
-コロナももちろんですが、バブル以降デフレ続きの日本がシュリンクの一途を辿る中で、ボランティアをする余裕が失われているのかなと思います。
小林:余裕の産物としてのボランティアは減ると思いますけど、ボランティアって「誰かが喜んでくれること」くらいに考えるのは、どうですか?例えば、普段の仕事も「対価」が発生するというだけで「誰かが困っていること、誰かが喜んでくれること」をやることで成立しているわけで大差ないとも言えますよね。だから、日常の中で困っている人が困らないようにしていくみたいな些細なボランティアは全然できるんじゃないかなと思います。自分のやりたいこと、好きなことをやることが、自然と社会のちょっといいことになっていたら、もうそれでいいんじゃないかと。
-すごく素敵な考え方ですね。
小林:落としたものを拾って落としましたよって声をかけるくらいのもので。人の役に立とうとか、そんな大げさなものではないと思うんですよね。
これからの世界で失いたくないもの。
小林:特にないですね…(笑)。しいていうなら、堀切菖蒲園に好きな酒場があって、良く飲みに行ってたんですが…そこで飲む酎ハイがなくなってしまったらちょっとショックですね(笑)。
Less is More.
小林氏は、とにかく「身軽」。ご自身でも、そのスタンスを愛されているように思う。だからこそ、助けた誰かに荷を背負わせないように活動されている。活動そのものに意味を求めず、自分自身の心を整理するためのボランティア。私たちは少し利己的になったほうが他人に優しくできること。
小林氏のお話は、余裕が失われた現在だからこそ、私たちがポジティブなアクションに一歩踏み出すためのヒントがたくさんあるように感じた。
(おわり)