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お布施と唐揚げ。新しい循環の在り方。三浦祥敬氏インタビュー。

三浦祥敬氏は、全国各地を巡礼しながら、各地で唐揚げを無償で配りながら暮らしている。面白いのは、唐揚げを売るわけでなく「配る」。その代わりに貨幣はもちろん、衣食住などのお布施をいただくことで、生きていくという稀有な暮らし方をしているという。私たちはこれから不安定な経済や貨幣といった制度とどのように向き合い、不安に苛まれることなく楽しく暮らしていけるのか。そのヒントがもらえるのではないかと思い、お話を聞いてみた。

三浦祥敬(みうらしょうけい): 1991年佐賀のお寺生まれ。2021年7月7日から、お経や弔事と関わりのない場面でお布施を贈り、お布施を受け取ることだけで生活してみる「OFUSE Experiment」という生活の実験を行いながら、寺社仏閣・霊山などを訪ねながら全国を巡礼している。食べ物、泊まる場所、お金とのご縁をよく頂き、カラアゲを贈ることが多い。空揚げ歴は16年、カラアゲを対価を頂かずにお布施し始めて1年半、全国を巡り始めて11ヶ月(22年6月時点)松本紹圭氏との共著本で『トランジション何があっても生きていける方法』(2019年、春秋社)

↑祥敬氏の現在地は、notion上で確認できる。

ボランティアでも宗教でもない「お布施」による生活。

-まずは祥敬さんの現在の活動について教えてください。

祥敬:2021年7月から、日本各地を旅しつつ、各地で唐揚げを揚げて集まっていただいた方に無料でお配りしています。

-無料で!それはボランティアとかではないんですよね?

祥敬:自発的にやっているという意味ではボランティアですが、普段からボランティアとは呼ぶことはなく、「お布施」と呼んでいます。自分で揚げた唐揚げを皆様にリターンを前提とせずにお渡ししています。その一方で、日々泊まるご縁や食べ物とのご縁をお布施していただくという生活です。お布施頂く方々は唐揚げを食べたことがある人もいるし、食べたことがない人もいます。

-すごい活動ですね。他に仕事をするわけでもなく、唐揚げをお布施するだけで生きていくということなんですね。

祥敬:厳密には、自分がすることに対してリターンを前提として働くということをせずに生きています。何かをお手伝いすることもありますし、面白そうなプロジェクトに誘ってもらった場合は参加することもありますね。報酬を前提とすることを「仕事」だとすると、仕事をしていませんし、何かしらに貢献することを「仕事」だとすると、仕事をしている時もあります。 やっていて、おのずと商品と貨幣の交換に囚われずらくなりました。別の切り口では、贈与論や寄付論にもつながる話かもしれません。

-祥敬さんは、「お布施」というモチーフも使っていますし、「現代仏教活動家 」と名乗られています。こういった活動は仏教の一環としておこなっているんですか?

祥敬:最近は、仏教も考えるようになってしまったという感じなんですよね。私自身がお寺の子として生まれたので、仏教を意識させられることがすごく多かったんですね。仏教や宗教全般が苦手な時期も経て、現在は仏教を参照しながら表現活動をするというあり方に落ち着いています。仏教の基準を正しい教えとして自分の生活に適用していくというよりも、仏教の物語や言葉が意味することを実際にやってみて自分の生活を実験的なものにしてみたり、創作活動のモチーフに使わせていただいています。

-いわゆるお坊さんや宗教家でないということなんですね。

祥敬:解釈は他の方々に委ねてます。よく自己紹介の場面では、「お布施の生活をしている無所属派新人です」と話します(笑)

-(笑)。

祥敬:一つの教えや宗派に留まってしまうのも怖いことでもありますし、それによって自分自身が苦しくなることも多いと考えているので、あくまで仏教や宗教を自分自身の体験と照らして研究している立場かなと思います。

活動に至るまで。

-それにしても、どうしてこんなユニークな活動をされているんですか?

祥敬:卒業間際から学びはじめたデッサンをきっかけにアートの世界に興味を持ち始めまして、アートのマネジメントや、作品制作のイベントを手掛ける会社で働き始めることになったんです。なんですが、1年半ほど働いているうちに、自分自身が仕事というものに対してポンコツだということに気がつきまして(笑)。

-そんな(苦笑)。

祥敬:あんまり上手く働けなくて退職をすることになったんです。その後はフリーランスとしてイベントデザインですとかワークショップのコーディネートをする仕事で生計を立てていましたが、やっぱりなんだか上手くいかないなという。そんな思いを抱えて仕事をしているうちに、躁鬱病などのメンタルの病にかかってしまったんですね。

-そうなんですね。

祥敬:「もう働きたくない!」って気持ちになってしまって一度あらゆる仕事をやめてみたんですね。そんな時に吉野山でゲストハウスも運営されている山伏さんにお会いするご縁がありまして、その方を頼りに吉野山で、何もせずに一日ぼーっとしていたりしたんですね。少しずつ元気になってきた頃に、吉野の方々が集まるご飯会に呼んで頂いたんです。

-なるほど。

祥敬:私の得意料理が唐揚げだって話をしたら、「ぜひ作ってくださいよ」って言われまして(笑)。そこで唐揚げを揚げたのが今の活動の大きなきっかけになりました。その時の唐揚げが好評でその場で4カ所くらいで作って欲しいとお声がけをいただきまして。

-それほど美味しい唐揚げだったんですね!

祥敬:15年くらい前から、ただただ自分自身で美味しい唐揚げが食べたいと思って作っていただけなんです。学生時代には味の開発をする実験の回数が著しく増えてしまって、目の前から唐揚げがどんどん揚がってくるので、食べきれなくなって友達を招いて食べてもらっていました。唐揚げを前にして、みんなでどういう味にしたらいいのか議論していましたね。社会人の生活の中で、そういう唐揚げが好きだったり、友人に振る舞ったりということも忘れてしまっていた。そういう生産性もなく”ただただ無性に好き”というものが、日々の仕事の中で自然と失われてしまったんです。

-社会に出ることで、失われてしまった。

祥敬:もう一つ、すごく象徴的だったのが同時期に詩を書き始めたんですね。友人に「最近何してるの?」って聞かれると「詩を書いてるよ。全く生産性はないんだけどね。」って答えていたんですね。その時に自分自身が「生産性」って言葉を自然に発している、つまり生産性に捕われているってことに気が付いたんです。自分自身は好きで詩を書いているけど「お金になっていない」ことに対する罪悪感があったのかもしれません。あぁこの気持ちが自分自身を苦しくしているんじゃないかと。

-「生産性」がないけど好きなコト・モノにあらためて気がついたんですね。

祥敬:そうなんですよね。ひとまず、生産性がなくとも揚げて欲しいとお声がけいただいたので、望まれるままに唐揚げをあげ続けていたんです。そうすると不思議と心と体が軽くなっていったんですね。

唐揚げを配るほどに楽になる。

-そんなに好評でしたら商売にする道もあったのではないですか?

祥敬:実は吉野町のチャレンジショップに出店したことがあるんですが、なんか違うんですよ。売れても嬉しくないんです。なんだろうこの違和感はと思って、次は「いくらでもいいですよ」ってシステムにしてみたんです。値付けはそれぞれいただけるだけでいいですよって。それでもそんなに嬉しくなかったんです。

-不思議な感覚ですね。

祥敬:ある時から唐揚げを無償で配る…その場にいる皆さまにお布施することにしてみたんです。唐揚げをお布施すればするほど楽になる。お金は無くなるんですけど(笑)。

-(笑)。

祥敬:同時に各地で唐揚げを揚げ続けるうちに、衣食住に対するお裾分けをいただけるようになったんです。

-どういうことですか?

祥敬:例えば唐揚げと引き換えに洋服をもらったり、「これたべなよ」って食材やサラダをいただくこともありました。気がついたら、すごく栄養バランスの整った食事になっていったんですよ(笑)。

-すごい(笑)。

祥敬:住については「住むところがないなら泊まっていって」って言ってくれる方が関西圏にすごく増えました。

-ご縁が増えていったんですね。

祥敬:唐揚げを揚げて配れば配るほど、縁ができて衣食住が充実していく。世界ってすごく不思議で面白いと改めて思えたんですね。学生時代に、夢中で自分のために唐揚げを作っていた、あの楽しさが戻ってきたような感覚でした。無邪気で誰のためでもなく生きていた。そこで、家も引き払って全国を巡礼してみたいなと思って、旅に出ました。

-唐揚げを揚げながらの巡礼なんですね。

祥敬:唐揚げに救われたような気持ちです。巡礼しながら唐揚げを作り続けるうちに、自分自身が色々楽になる。

今の経済と別の循環の可能性。

-それにしてもその「楽になる」って感覚は、どうして得れるとお考えですか?

祥敬:うーん。先ほど「生産性に対する罪悪感」ってお話をしたと思うんですけど、自分自身が何かをした対価としてお金が入ってくるという構造が現代の一般的な経済の循環だと思うんですね。その対価を得るために、自分自身のスキルを高めたり知識をつけたり付加価値をつけていくわけです。ある意味では、自分自身を商品として高めていくようにも思ますよね。

-はい。

祥敬:自分自身で価値を高めて、雇用契約を結ぶということは、自分自身で「市場」で売られにいくようにも感じるんです。

-あぁ自分自身で市場の競りに出しているような。

祥敬:あ、そうですそうです。そういう市場に自分自身を出して、売り買いされているという自覚がないとすごくしんどいというか。市場で売れない、売れにくい価値というのも無数にあるわけです。その一つが、無料で唐揚げを配るという活動で、現在の市場価値からは少し外れていると思うんですよね。なので僕自身は、唐揚げを揚げることで市場から降りた感覚を得られたので、楽に過ごせていると今は冷静に思いますね。

-市場から降りたというのはすごいですね。

祥敬:僕の活動は、唐揚げを食べていただいて喜んでもらうだけで完結するんです。自分自身の活動に対して値付けをすることを放棄したので「美味しかったありがとう!」だけで終わりなんですよね。価値ってものへの捉え方が全然変化したんです。

唐揚げを揚げるための油も持ち歩いて巡礼をしている。

-とはいえ、どうやって生活するの?原材料どうするの?って不安はありますよね?

祥敬:もちろん!今も不安になることもありますよ(笑)。活動の中でお金を頂いたりすることもありますし、先ほど言った通り衣食住のような、お金ではない別の価値をいただけることもあります。一般的な目線に立つと生活自体が破綻しているのですが、とっても面白いですよ。今の所持金は50円です(笑)。

-50円!

祥敬:不思議なことに、こういう活動をはじめて、不安ではあるんですけどすごく明るくいれるんですよね。活動の中で、ゼロになっても死なないということが実感として得られたことが大きかったのかなと思いますね。会った人とどれだけ楽しい時間を過ごせるかって、お金への還元はできないことですから。今の社会のシステムとまるで違う循環の可能性を身をもって感じていますね。

-今の社会と別の可能性ってどんなことですか?

祥敬:サービス化する、商品化するという「誰でも使えるようにする」ってことですよね。例えば僕だったら泊めてもいいけど、誰でも泊まっていいってことはないですよね。誰でも泊まれるためには、ホテルとか旅館とかある程度のルールを決めたサービス・商品となります。実は、唐揚げを無料で配るっていうのは、非常にパーソナルですごくめんどくさい関係を作り続けるということでもあるんです。そういうめんどくさいけれど、一方ではすごく大切な関係の中で生きていると感じています。

-あぁ。そういうめんどくさを引き受ける代わりに、心の楽さを得るような。

祥敬:活動を始めた初期は、何かをもらった時に「何か返さなきゃ」っていう罪悪感みたいなものがあったんです。でもお布施を贈り、お布施を受け取ることをたくさん繰り返していたら、感覚が変化しました。返ってくる感謝すらも報酬にせず、贈らせていただくことが成り立つことを喜び、ありがたいご縁で頂くことを喜ぶ。まだまだ練習中ですが、そういう巡りのあり方を体感させていただいています。

-そういった気持ちの循環みたいなものが、別の可能性につながるのではないかということですね。

祥敬:もちろん、こういう巡りだけでなく、感謝を表現するために贈り物をすることもありますし、感謝している表現として頂くこともあります。そういうやり取りもまた商品経済の中でこぼれ落ちてしまうものなので、大事に贈り、受け取っています。

活動の先に何を描くか。

-こういった活動の未来にどのようなことを考えていますか?

祥敬:正直いうとわからないです(笑)。ただ、20年近く悩んだ結果実家でもある「お寺」について今一度考えてみようと思っています。自分自身でもアイデア段階ですし、場所に縛られることにもなり兼ねないので、慎重に考えてはいます。

-お寺に可能性を感じているんですね。

祥敬:この世で生きていていいんだという安心感に繋がるのはいくつかあると思うんですが、大抵は心の安定・食べ物がなくなっても大丈夫なこと・仕事がなくても大丈夫なことが大きいのかなと思うんです。お寺を中心にそういう不安を全て解消できる場所みたいなものができたらいいなと思ったりしています。

-あぁ。安心できる場所を作るということですね。

祥敬:みんなで食べ物作って、みんなで食べるみたいな。だから、お寺を中心に一つの地域をハックするような感覚で場所を作り出せたら面白いんじゃないかなと考えています。これって、唐揚げを無料で配っているうちに、出てきた発想なんですよね。お布施だけで成り立つ地域があったら面白いと思います。いわゆるサービスですとかシステムみたいなものと離れた場所を作るのが一つのアイデアですね。

-すごく面白い場所になりそうですね。

祥敬:もう一つ、今の活動の延長ということでは、唐揚げの本とお布施の本を作ろうと思っています。この本は、僕がこういう活動の中で出会えた方々のおかげでできたと思うので、書籍自体も販売はせずに、欲しい方に無償でお布施する予定です。バーコードもつけず、本屋さんなどの流通には乗らないものにする予定です。いわゆる自費出版ではあるんですけど、お金と交換できないものとして、流通させてみようと考えています。もちろん、お金をお布施していただいても構いません(笑)。

-すごく楽しそうに活動されていますね。

祥敬:「喜捨」って言われたりしますが、読んで字のごとく色々なものを捨てるほど喜びにつながっているように思います。自分の考えもしなかったことが起きて、毎日すごく楽しいですよ。

これからの世界で失いたくないもの。

ーでは、最後の質問です。祥敬さんがこの先の世界で失いたくないものは?

祥敬:「贈る心」が残って欲しいですね。例えば道とかを歩いていて考えるんですが、今ある道って長い歴史の中で誰かが少しずつ切り拓いたり、そこをみんなが歩いてきたことでできてるんですよね。
そういう意味では、人が知らない間に少しずつ協力してできたものです。今、何気なく歩いている道も、名もない多くの方々からのギフトなのだと思います。道を歩くことができること自体が、ありがたいことだと感じます。それは華道、茶道、仏道、神道などの文化的な道の世界にも言えることですし、私たちが人生の道をどう生きるかということにも言えます。
そしてまた、私たちが今の道を歩くということが、これから生まれてくる方々の苦しみをほどいていくお布施にもなりえます。その時、未来の人たちに感謝されるためにするのではなく、未来の人たちがただ受け取ってもいいんだと思ってもらえるような残し方をどうできるでしょうか。私は贈り受け取る世界を生きたいです。巡ることで身体が楽になっていくような流れを小さくも起こすことができたらと思います。

Less is More.

今回、祥敬氏は長野県諏訪を巡礼する最中に合流するかたちで取材をさせていただいた。時には野宿をしながら日本各地を津々浦々、唐揚げを揚げ続ける祥敬氏の姿から、何かしらの勇気をもらえるような気がする。
何も持たずとも、明るく楽しそうな姿が、とても印象に残っている。

(おわり)


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