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プレダトリージャーナル問題から考える、私たちが責任を持ち続けること。井出和希氏インタビュー。

研究者の間で「プレダトリージャーナル」(=粗悪な学術誌)が問題になっている。一見、論文を発表する場である学術誌にまつわるマニアックな話題だが、アカデミアだけではなく私たちの社会にも繋がる大きな問題だそうだ。

どういった問題なのか、どのように向き合っていけるのか。研究者の井出和希氏にお話を伺った。

井出和希/大阪大学 感染症総合教育研究拠点/ELSIセンター 特任准教授 価値や価値観に関心を持ち、書き留める行為との関係や情報と社会の関わりを中心として研究や実践、対話を展開している。最近の具体的な対象は、プレプリントや粗悪な学術誌、プレスリリースから急速に発展している技術、倫理的消費とファッションの関係性まで散漫としている。Top Peer Reviewer Award 2019 in Cross-Field (世界上位1%, Web of Science)、Sony World Photography Awards 2022(Professional Competition (Environment), Shortlist)など受賞、博士(薬科学)、薬剤師。

↑井出氏の活動の詳細はこちら

-まずは、井出さんのキャリアからお聞きしたいと思います。

井出:少し長くなりますが、お話しいたしますね。 大学では薬科学を専攻し、学部~修士の頃は基礎研究の教室に所属していました。そこで、私は手先が器用でないことに気がついてしまったんです(笑)。このままではちょっと厳しいと思い、仮に学位を取っても将来どうなるか不安でした。そんな経緯もあり、薬剤師免許の取得も念頭に博士課程へと進むことにしたんです。その際、臨床系の研究室に所属することにしました。

-そこでは、どのようなことを手がけていたんでしょうか?

井出:その研究室では、お茶などの食品の健康に対する働きですとか、いわゆる健康食品の体調に対する影響をどのように評価にするかといった方法論の開発に携わりました。色々なご縁もあり、健康関連のデータを分析する疫学研究も手掛け、博士号取得後はELSI(倫理的・法的・社会的課題)の研究や政策立案人材の育成にも関わることになりました。

-少し突然に思えますが、なぜELSIの研究に参加したのでしょうか?

井出:偶然ですね。健康にまつわるデータを扱い、活用していくことを想定するとELSIと総称されるような課題を意識することは不可欠なのです。赴任先の社会健康医学系の研究室で求められている領域でもありました。

-なるほど!

井出:それと時を同じくして学際融合教育研究推進センターで学びの研鑽をする場作りに関わったり、その後にはiPS細胞研究所で倫理を扱う部門にも所属したりしました。

-ものすごいユニークなキャリアですね。

井出:常に不安に苛まれながらも、色々な人々と言葉を交わすなかで生まれてきた関係性によるものでした。このような活動をしていくなかで、自分自身が触れることのなかった分野の色々な方々と関わり、自身が物事をどう捉え、考えを巡らせて深めようとしているかを繰り返し見つめるようになったんです。そこから、私自身の関心が「ものごとの価値や人々のもつ価値観」にあることに気が付きました。「プレダトリージャーナル」に関する調査・研究もそういった関心から、スタートしたのです。

-本日は、プレダトリージャーナルに関する問題を中心に色々とお聞きできればと思いますのでよろしくお願いいたします。

井出:はい。よろしくお願いいたします。


そもそも学術誌ってなんだろう?

-「プレダトリージャーナル」の問題を知る前に、そもそもジャーナル=学術誌ってどういうものなんですか?

井出:学術誌は、研究成果やそれに対する意見、付随する情報を伝えるためのメディアです。いわゆる雑誌のように紙で発行されるものもありますし、現在ではWEBメディアとしても成立しています。学術誌は1665年に生まれたと考えられており、現代のアカデミアにおいても、成果を伝え積み重ねていく場として中核的な役割を担っています。

-学術誌ってどのように作られているんですか?

井出:運営という観点でいうと、学会単位でやっているものもあれば、大小の出版社が主導して専門家を集めて編集委員会を作って進めていく場合もあります。一般的な雑誌や書籍と同じく、どのように作り、どう発信し、維持していくかは、課題としてありますので、その辺りは互いの得意な部分を活かしていくということになりますね。

-学術誌に研究成果を発表するのってどんな意味があるんですか?

井出:時間や空間を超えて研究という営みの過程を残していくという意味があります。また、学術誌というメディアがあることで、さまざまな研究を発表し、関心のある人々はそこにアクセスできます。成果がアーカイブされることでその後の展開・発展も望めますし、その時は注目を集めていなくても20~30年後に顧みられることだってあります。意外かもしれませんが、上手くいかなかったことを共有しておく役割すら持っています。自省も込めて時に権威に注目をしてしまう部分もありますが、コミュニケーションのハブとしても機能しますし、学術研究を長い目でみて育んでいくためにも大切な仕組みの一つなんです。

-まさに世界各地で行われた研究が、学術誌を通して発表されて、磨き続けられているんですね。

井出:そうですね。ですから、学術誌を通して研究成果を発表することは、研究者にとって重要な活動の一つとして認識されています。

-維持し続けるには、ある種ビジネスとして運営しないといけないんですよね?

井出:その通りです。そして、学術誌にはいくつかの運営方法があります。わかりやすいのは、一般的な雑誌のように定期購読(サブスク)をベースとしたモデルで、大学や研究機関がその料金を支払うことが多いです。また、掲載された論文を1つ1つ数十ドルで購入することもできます。加えて、オープンアクセス型の学術誌では、研究者が掲載に必要な費用を支払うことで学術誌が運用されます。サブスクとオープンアクセスのハイブリッドの雑誌も多いですね。

-オープンアクセス?

井出:インターネットにアクセスすることさえできれば、誰でも自由に論文を読める発表形式のことです。オープンアクセスモデルの浸透もプレダトリージャーナル問題に関わりがあるのです。

プレダトリージャーナルの問題とは?

-学術誌における大きな問題として「プレダトリージャーナル」が存在しているとのことですが、どういう問題なんですか?

井出:学術誌は、世界中で数多く発行されているわけですが、中には怪しいもの、粗悪なものもたくさんあります。それらを総称して「プレダトリージャーナル」といいます。よしあしは別として、日本ではハゲタカジャーナル、悪徳雑誌、粗悪な学術誌と呼ばれることも多いです。

-どのような問題があるんでしょうか?

井出:順を追って説明していきますね。まず、近年では学術誌が紙からデジタルに移行することで、オンラインのみで出版されるものも増えました。ドメインの取得やウェブページの運営、投稿の勧誘といったものごとも容易になり、出版社側の技術的なハードルも下がりました。このような背景もあり、多くの主体がビジネスチャンスとして参入してきたんです。

-なるほど。

井出:研究者側の事情として、「どれだけ論文を数多く出すか」ということが、キャリア形成において大事なことになってしまっています。研究者コミュニティの中では「publish or perish(=出版か死か)」と言われる程です。

-え?論文数が重要なんですか?

井出:そうなんです。論文数やその権威というものが重要視されています。現在は、あらゆる研究分野が高度化、細分化しています。同じ分野にいても、隣の人が何をしているのかよく分からないというような状況が生まれているのです。そうすると、研究者の実績を簡単に知るための方法として、論文数やその権威に頼ってしまうことも多いのです。指標は参考程度に使って、その具体的な内容や目指しているものごとに目を向ける余裕がないんですよね。ケースごとに違いはあれど、採用やキャリアプロモーションにおいても数や権威への偏りは無視できません。

-だからこそ、論文を数多く出さないといけないわけですね。

井出:そうです。キャリアを維持、向上していくためにという側面もありますし、そういった環境に長くいると論文数を増やすこと、権威のある学術誌で発表することが目的化していってしまう部分もあります。そして、研究者側の「論文を出さないといけない」という需要と、(特に悪徳な)出版社側の供給がマッチしてしまったんです。

-なるほど。

井出:プレダトリージャーナルの多くは、著者からの掲載料収入を目的としたオープンアクセス型のものです。掲載料さえ稼げればいいとなると、極端に言ってしまえば質を担保する動機はほとんどない訳です。

-えぇ!?研究者がお金を払って論文を掲載しているんですか…!?

井出:お金を払って論文を掲載すること自体には問題はありません。著者が掲載料を支払うことで誰でも自由に論文を読めるように学術誌を運営できる訳ですし、多くの方に読んでいただけるのは魅力的なことです。なかには学会や財団等の組織がその料金を支払ってくれるようなパターンもありますが、基本的には自身の研究費で支払います。分野にもよりますが、一論文あたり20~30万円程度掛かることが多いですね。為替の影響もあり、なかには100万円を超えるようなものもあります…。

-結構な金額ですね…。

井出:そうですよね。面白い研究をしていても経済的な問題で発表することが難しい研究者も出てきます。発表が難しいとなると、更なる研究費の獲得も困難になります。一方で、研究費が潤沢にある研究者はどんどん研究を推進して発表できます。このように、二極化が進むという難しさもある訳です*。

*註)なお、2023年6月に公表された骨太の方針(原案)におけるオープンサイエンスの一端として、オープンアクセス方針や投稿支援について触れられている。
URL: https://www5.cao.go.jp/keizai-shimon/kaigi/minutes/2023/0607/shiryo_01.pdf

-確かにそうですね。

井出:そのような状況に置かれているなかで、怪しい学術誌であっても論文を投稿してしまおうか・・・という選択肢が生まれます。出版社側としては掲載料で儲けることができればそれでいいので、結果としてプレダトリージャーナルがビジネスとして成り立ってしまうのです。これが、「プレダトリージャーナル」にまつわる問題の単純な説明です。

-なるほど。

井出:「じゃあ、そういう怪しい学術誌に投稿しなきゃいいじゃん」って言うと話は単純に聞こえるかもしれませんが、ここには色々複雑な問題が絡んでいるんです。

研究者界隈に留まらない、社会の問題だ。

-どのような問題があるんですか?

井出:キャリアの形成と論文数との関わりについては先ほどお話しした通りですが、「権威」についても考えてみましょう。学術誌の一部にはインパクトファクターというスコアが付与されています。全ての分野で、という訳でもありませんが、その数値を権威の高さであると考える風潮が強くあります。このスコア自体は学術誌単位で付与されるもので個別の論文について何らかの情報を与えるものではありませんし、数年単位の短い期間で引用(=他の論文でどの程度参照されたか)を指標化しているだけです。とはいえ、私が以前関わった研究室ではランキング表が壁に貼ってあり、「一流の~」とか「研究者として最低限の~」といったラベルと共に線が引いてありました(苦笑)。これは極端な例ですが、変な方向で浸透してしまっているんです。

-営業目標みたいですね(笑)。

井出:おっしゃる通りです。すごくわかりやすい指標、目標ですし、ランキング上位の権威のある学術誌への掲載というのは研究者にとってのモチベーションにも繋がるのでしょう。ある種、受験における偏差値競争の延長線上にあるようなものごとですね。一方、権威に偏ることで、競争を過度に煽ることにもなりますし、研究の目的、ゴールの設定そのものが「権威ある学術誌への掲載」になってしまう危うさも孕んでいます。

-確かにそうですね。

井出:本来的には、研究成果を発表した後に様々な研究者と意見を交わしたり、成果を起点として研究が発展していったりする潜在性こそが重要です。そして、その機会に恵まれそうな媒体に出すことが理にかなっています。しかしながら、掲載そのものが目的になってしまう。また、ものごとを単純に捉えるようなものの見方は、権威のあるなし、怪しさのあるなしといった観点から別の問題も生み出します。

-どういうことですか?

井出:プレダトリージャーナルは、悪意があることを前提に語られることが多いのですが、その「粗悪さ」の中にもスペクトラムがあるんですね。例えば、志ある新興の学術誌だったとしても、体制が整っていなかったり、資金面での制約があったりして、「今はまだ」十分な質を担保できていないものもあります。学術誌を運営しながら徐々に質を高めていこうというものもあるので、全てを悪徳であると決めつけてしまうことは避けたいところです。

-委縮してしまって挑戦的な取り組みをしにくくなってしまう部分もありそうですもんね。そういえば、プレプリントという言葉をどこかで聞いたような覚えがあるのですが、これも今回のお話と関係があるのでしょうか?

井出:そうですね。プレプリントというのは、査読という専門家による審査を経ていない論文のことをいいます。先取権を獲得することや早い段階で論文を公開してコメントを貰い、内容を磨いていくという目的があります。その他に、とりあえずコンセプトを公開しておこう、データがあったから解析をしてみたというような、査読誌への投稿を前提としないものも存在します。未査読の論文、査読済みの論文、査読済みとは謳っているけれど怪しい論文など・・・状況は益々複雑になっています。

-あぁ。一口に論文といっても、多様なものなのですね。

井出:そうなんです。それに、数の面でも本当にたくさん出ていて、有名でよく使用されるデータベースであるWeb of Science Core Collectionに限っても、近年では毎年250万報以上の論文が出版されていることを観察できます*。

*註)井出和希, 林和弘. オープンアクセス型学術誌の進展により顕在化する「Predatory Journal」問題-実態、動向、判断の観点-. STI Horizon. 2022; 8(2): 38-43. doi: https://doi.org/10.15108/stih.00299

-250万報・・・!

井出:凄まじい数ですよね。パンデミックを経験するなかで、先ほど話題に上ったプレプリントがニュースやプレスリリースの根拠として活用されることもありました。このような状況も相まって、インフォデミックが加速していった部分も見逃せませんね。

-まだ査読されていない、信頼性の不明な情報が拡散されてしまうこともあるんですね。

井出:そうですね。分からないことが多い中で少しでも情報を…という動機は分かりますし、よくもわるくも情報を拡散しやすい基盤は整っていますから。とはいえ、後から間違っていると分かったことが同様に拡がり理解されるかというと、そういうものでもないんですよね。

-専門分野だけの話でなく、私たち一般層からしても、とても影響の大きい問題ですね。

井出:研究者コミュニティというのは、社会と切り離して考えられません。研究者であっても、社会の一部として諸活動を営んでいます。ですから、あらゆる人に影響を及ぼしうる問題だと思いますよ。

システムやルールで解決できるのか。

-そういった状況で、井出さんはどのような調査・研究をしているんですか?

井出:プレダトリージャーナルに関しては、そうだと疑われる学術誌の特徴をまとめたり、啓発資料を作成したりして、それをもとに対話の契機をつくる活動をしています。また、最近、オープンアクセスやプレプリントに関して、研究者がどう認識しているのかを調査しました。分子生物学という分野の研究者にアンケートをしたところ、633名の方から回答をいただき、9割以上の方がオープンアクセスで成果を公開することを望んでいました*。

*註)Ide K, Nakayama J. Researchers support preprints and open access publishing, but with reservations: A questionnaire survey of MBSJ members. Genes Cells. 2023; 28(5): 333-337. doi: https://doi.org/10.1111/gtc.13015
(以下より無料で閲覧可能)
https://onlinelibrary.wiley.com/share/author/AGSVEU5GR3BHUAT4HCEB?target=10.1111/gtc.13015

-限られた分母とはいえすごい割合ですね!

井出:一方、生の声の部分を見ると、掲載料の高騰に苦しさを感じていたり、学術誌や学術論文の増加と共に生じている質のバラツキに疑問を持っていたり、プレプリントの扱いに悩んでいたりという実態が浮かび上がってきました。この結果は調査を一緒に行った分子生物学会の年会で共有して議論したのですが、このように、研究者やコミュニティ自身が課題に真摯に向き合う機会を設けていくことが不足しているように感じます。

-そうなんですね。

井出:プレダトリージャーナルに関しても、特徴を知ったり資料を読んだりして身近な問題であることを実感することで、自分事として言葉を交わす機会が生まれていくことを意図して活動を展開しています。言葉を交わすなかで、そもそも何故我々は研究をしているのだろうかと考え、価値基準を含め、根本の部分を改めて見つめ直すことが大事なのではないでしょうか。

-あぁ。何かシステムやルールで解決するわけでなく。

井出:システムやルールという意味では、悪意のあるプレダトリージャーナルに関して、60~70項目の観点に基づいて個別に判断するという手もあります。この観点で学術誌を分析したPredatory Reportsというデータベース(Cabell's International)もありますが、収載されているかどうかでよしあしを判断するというよりも、「なぜ疑われるのか」を理解することが肝要です。例えば、査読方針が明確に示されているか、編集委員会の情報が明記されているか、などです。他にも、Think. Check. Submit.と呼ばれるツールも参考になります*。

*註)参考:Think. Check. Submit. URL: https://thinkchecksubmit.org/journals/japanese/

井出氏が最近リリースした啓発資料*。言葉を交わすきっかけとして活かしたいと考えている。

*註)井出和希, 林 和弘, ホーク・フィリップ, 清水智樹. 粗悪な学術誌・学術集会を拡げないために. IAP, 2023. doi: https://doi.org/10.18910/91457

-にも関わらず、問題はなかなか無くならないんですね。

井出:一筋縄ではいかない、広範な問題ですからね。だからこそ、言葉を交わすことを大切に、一歩一歩進めています。よしあしのリストを作ったり、ガイドを渡したりして終わりという問題ではありませんから。時々、「この学術誌ってどうですか?この出版社って大丈夫ですか?」と聞かれることもありますが、そういう時にはまず、先ほどお話ししたような簡単に二分できない問題であることをお伝えしながら相手の質問の背景にある思考を辿るように心掛けています。

-かなり、草の根的な活動もされているんですね。

井出:そうですね。これは、この問題が大きな示唆に富んでいると思う部分もあるからです。問題を突き詰めていくと、「なんのために研究をしているんだっけ?」とか、「(信じてきた)権威ってなんだっけ?」とか、ごく単純なんですがすごく根本的で本質的な問題について考える機会にもなると捉えています。

-少し詳しくお聞きできますか?

井出:どの学術誌が適切かというのは、どうしてもケースごとの判断によるので、それぞれが「これでいいのだろうか?」と具体的に考えることが必要とされます。学術誌への投稿を考えたり掲載を喜んだりするとき、権威に惹かれる自分自身に直面することになります。そうした時に、この価値(観)はどこからくるのだろうか・・・と思いを巡らせることができますよね。承認欲求を満たすだけではもったいない。

-そうですね。

井出:もちろん、研究を行い、論文として発表されるまでの研鑽は素晴らしいことです。ですが、論文発表は過程や手段の一つであり、目的ではありません。発表した後に皆でそれについて議論したり、着想を広げていったりすることが重要なんです。数や権威に捉われて息苦しくなってしまうことなく、そういうことに思い馳せられるだけの、余裕やあそびを持つことできる環境や思考について手の届く範囲から一緒に考えていきたいです。

-問い続ける姿勢やそれを支える余裕が何より大事なんですね。

井出:そうですね。誰かの決めた価値や自分自身の抱く価値観の成り立ちを問い、自省的である姿勢こそが、この問題に向き合うことの意義ではないかと思います。

-システムやルールというよりは、一人一人のあり方でないと解決できないのかもしれませんね。

井出:もちろんシステムやルールに基づくアプローチが不要な訳ではありませんが、これは自分達の研究の根底に何があり、どこに向かいたいのかという問いから目を背けずに歩を進めることでもあります。

私たちが気をつけるべきこと。

-先ほど、研究者だけでなく、社会全体の問題であるとお話し頂きましたが、私たちはどんなことに気をつければいいのでしょうか?

井出:一つは、「科学そのものが曖昧さを伴う」という前提に立つことではないでしょうか。「科学的」と聞くと、なんとなくすぱっと正解を提示してくれるような印象を抱くかもしれません。しかしながら、断定できる情報って実はすごく少ないですし、確らしさも論文発表後に更新されていくものです。科学は曖昧さを伴うと知っているだけでも、随分と違うように思いますね。

-なるほど。

井出:あとは、ある情報が何に基づいているのか、研究者や発信者の権威や人格と事実を分けて考えることも大事ですね。研究者であっても、ちょっと自分の専門と分野がズレただけで、その情報が正しいかどうか分からなかったりもします。ですから、一度立ち止まって、一歩引いてみるっていうのは、すごく大事ですよね。次から次へと押し寄せる情報に疲れや不安を感じてしまう時は、意識的にSNSなどから距離を取ってみてはいかがでしょうか。

-井出さんご自身は、どうやって情報を選び取ってるのでしょうか?

井出:ニュースをはじめとしたメディアからの情報でしたら、その根拠をあたるようにしています。たとえ大学等の研究機関によるプレスリリースが情報源であっても、それがちょっとした探索的な研究の結果であって確からしいことが分かるのはこれからなのか、ある程度妥当であると受け止めてよさそうなものなのか、情報源をできる限り辿りますね*。

*註)井出和希, 岸本充生. コロナ禍における研究情報の発信を振り返る―「プレスリリース」の目利きになろう―. SpringX 超学校(CiDER X ナレッジキャピタル). URL: https://www.youtube.com/watch?v=z3mhkWUyYMI

-メディアを運用している側としても、気をつけないといけないことですね。

井出:そうですね。ニュースが何を情報源としたものなのか、伝える中で抜け落ちてしまうケースが散見されます。きちんと情報の背景を示していくような文化が根付いていくとよいですね。

-近年ですと、メディアに研究者がコメンテーターとして登場することも増えましたが、気をつけるべきことはありますか?

井出:ビジネスサイドは「何を目的として、何を研究者に問うのか」を明確にし、自分たちを振り返ることが大事なのではないでしょうか。権威がある、有名だというマーケティング的な観点だけでなく、そこにきちんと意味がないと空しいですよね。

-それにしてもプレダトリージャーナルの問題って、改めて社会全体の問題を考えるきっかけになりました。

井出:「私たちがお互いの価値観をどのように理解し、言葉を交わすか」が私の営みの中心にあります。プレダトリージャーナルの問題も、私たちのあり様、あり方を考える1つの題材として引き続き扱っていきたいと思います。

これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。井出さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?

井出:「肌触りを大切に向き合い続けること」と「言葉を交わし続けること」ですね。
肌触りというのは、実際にどのような状況にあるのか、何を考えているのか、その輪郭に丁寧に触れることを大事にしたいということです。そして、1つ1つのものごとを丁寧に捉え、言葉を重ねていきたいと考えています。そうしてこそ、はじめて自分が、私たちがどこに行きたいのか、どんな未来に向かいたいのか、これからの世代と何をつくっていきたいのかがようやく浮かび上がってくるのではないでしょうか。このような営みの大切さを私自身は強く感じています。

Less is More.

井出氏の研究は、非常に現実的な問題から、哲学的な問いを導いてくれる。「粗悪さ」「正しさ」とは何か、どう考えていくべきか。そういった本質的な問題を考えるの補助線としてのプレダトリージャーナル問題。
研究者ではない読者の方にとっても、非常に興味深く示唆に富んでいたのではないかと思う。
自戒を込めて、当メディアも責任を持ち続け、あり方を考え続けていきたいと改めて考えるきっかけをもらった。

(おわり)

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