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スポーツサイエンスは、自分自身と向き合うために。スポーツ科学研究者・谷川聡氏インタビュー。

スポーツの世界でも、今やサイエンスはアスリートの能力を高めるのに欠かせない要素になっている。その理由を紐解くと、これから私たち人間がどのように身体性と向き合い、どのようにスポーツを楽しんでいけるのか? さらには人生をどれくらい豊かに過ごせるのか? そんな問いに対するヒントがあるように思う。また、遺伝や人種など医学的・倫理的要因は関係しているのだろうか? かつてオリンピアンとして活躍し、現在はスポーツ科学研究者である谷川聡氏にお話を伺い、「スポーツサイエンス」の最前線を覗いてみた。

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谷川聡:日本の陸上競技選手。現在は筑波大学体育専門学群准教授。博士。110mハードルの第一人者で、2000年シドニーオリンピック、2004年アテネオリンピック代表。東京都町田市出身。

オリンピアンとしてのキャリア。

-2度のオリンピックを経験している谷川さんですが、まずはご自身のキャリアについてお話しいただけますか?

谷川:元々は、110mハードルの選手でした。2000年のシドニーオリンピック、2004年のアテネオリンピックでは110mハードルで13”39の日本記録を樹立し、引退後は様々な現役アスリートのサポートをするべく筑波大学でスポーツサイエンスの研究をしています。

ーオリンピックに出場されているのは素晴らしいキャリアですよね。

谷川:でも、私はちょっと変わり種で。本格的にハードルをはじめたのは大学生になってからなんです。実は、高校時代まで秀でた才能はなかったんですよね。陸上はやってはいたものの、都大会に出場できるか、できないかの瀬戸際にいるくらいで、とてもインターハイなんて目指せる選手ではありませんでした。

-意外です!

谷川:やりたいことができない」という感情を抱えた少年でしたね。

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-やりたいことができない?

谷川:本当は、野球がやりたかったんですが、生まれつき、「先天性股関節脱臼」を患っていまして。せっかく打っても1塁まで走ると痙攣が起こってしまう。水泳をやっても、陸上をやっても思い通りにならないもどかしさがありました。

-ハンディキャップがある状態だったんですね。

谷川:本気になったのは大学に入学してからです。高校時代に「もうちょっと本気でやっておけばな」と悔いが残っていたので競技も続けたく、陸上部に入りました。スポーツ推薦で入った選手だけが入部できるシステムだったので、経済学部だった私は仮入部というカタチだったんですよ(笑)。

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ーのちのオリンピアンが仮入部!

谷川:期待されて入部したわけでないので、自由に活動できる時間があったのがかえってすごくよかったです。独学をしたり、先輩に教えていただく中で、ハードル競技との相性の良さに気づくことができました。

-なぜハードルを選ばれたんですか?

谷川:10mほど走るだけで先天性股関節脱臼の症状が出てしまうので100m走ができなかったんですね。今の私の知識や経験から言うと、私の症状は、股関節に麻痺が生じてしまうものなんです。ところがハードル競技は10mごとにハードルがあることで、症状が出る前に別の動きになります。ですから、麻痺が起きずに競技に臨める。

-お話を伺っていると、当時から独学でスポーツサイエンスを取り入れていらっしゃったんだろうなと感じますね。

谷川:そう言えるかもしれませんね。大学時代は指導者がいなかったのですが、シドニーオリンピックの前にはもう、専門書やトレーニング雑誌などを読みながら自分で研究していました。先天性股関節脱臼を患っていたおかげで、意識的にカラダの仕組みに向き合っていかなければならなかったんです。

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「スポーツサイエンス」とは?

ースポーツサイエンスって、そもそもどのように理解すればいいでしょうか?

谷川:基本的には、スポーツサイエンスは自然科学の一部です。統計をとって平均的なデータを導き、100人いたら80~90人の成長に貢献する平均的なトレーニングを科学的にデザインするのが基礎と言えると思います。このトレーニングは、どんな競技の選手でも1~2年間はその効果が発揮され、成長を促すものと言えます。

ーなるほど。

谷川:ところがこういったデザインされたトレーニングの仕方だと3~4年目以降は効果が出にくくなるんです。特に上位5%未満のトップアスリートには、個々の条件に合わせて科学的な分析とトレーニングメニューを創ることが必要になってくる。そこで、アスリート個人の心身の時期、その能力に合わせてデータを取り、科学的な分析とトレーニングメニューを創るというのが、スポーツサイエンスの応用と言えると思います。

-優生学的な話になりそうですが、上位5%未満のトップアスリートの場合場合、生まれ持った素質も関係ありますか?

谷川:ありますね。遺伝子・DNA研究の結果、どういった遺伝的要素がどんなスポーツに向いてきているのか、その条件も判明してきています遺伝子要素は条件のひとつにすぎないんですね。「結果を出せる確率が高い」という程度なんです。大人になればなるほど、また主体的にトレーニングメニューを組めば組むほど、環境要因が大きく関わってきます。

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-とはいえ、遺伝や人種的な要因は大きいように感じます。

谷川:ジャマイカ人口は300万人に満たなくて、日本は1億2000万人。これだけ人口の大きさが違うにも関わらず、ボルトのような選手が出てくるのは、やはり人種的な要因は大きいと言わざるを得ない。ただ、日本人は人口が多いので、きちんと人選すれば、可能性はなくはないでしょうね。あとは、マラソンのように、スポーツによる向き不向きもあります。ただこれを進めていくと、ある種の「選別」にもなり得る。実際に近いプロジェクトもあります。

ー選別?

谷川:私自身もプロジェクトに参加しているのですが、中高生約2000名のサッカー選手を対象に、体力測定を行っています。動いている映像をAIで分析して、プロになれる人、大学に進学する人、辞めてしまう人にどういう傾向があるかを分析する。アスリート自身が将来を「選択」しているように見えて、「選別」とも言えます

-まさにサイエンスですね。ちょっと怖くもあります。

谷川:本来的には能力値の高い子をピックアップするのでなく、怪我をした子のフォローアップや、能力を伸ばせる環境要因を創ってあげるために利用するべきスポーツサイエンスです。日本全体のスポーツレベルを高めるためのものと考えた方がいいですし、そのために機能するべきかと。スポーツの価値というとオリンピックや世界選手権への出場とか、メダルを獲ることで語られがちですが、本来はスポーツを介して学び方が主体的に変わり、人間が変わることのほうに価値があると思うんです。自分自身で主体的に学ぶエネルギーは、本当にすごいですから、そういう人を増やすためのスポーツサイエンスなんです。

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選別に対抗するための手段でもある。

-スポーツサイエンスによって、データから平均値を導き出したり、優れた遺伝子であることが明らかになるのですが、そういったサイエンスから漏れる選手もいるんですか?現代のデータからは考えられない結果を出す選手とか。

谷川:もちろんいます。イレギュラーな、私たちが考えもしない角度から結果を出す選手もいるんです。そういった選手を生み出すためにも、早い段階で能力の有無を選別されるべきではないんです。

ーなるほど。

谷川:スポーツそのものの課題でもあると思うのですが、例えば小学校クラスで足の速い子って、練習だけでなく元々走るのが速い子たちが結果が出るから評価され、走り続けそのままアスリートを目指したりしますよね。実はこれも、ある意味では選別なわけです。現状は、小さい頃から結果を出し続けた子の残る確率が高いですよねイレギュラーな子達は、残りづらくなる

ーあぁ。走るのが遅いと自然と辞めてしまう人が多いですもんね。

谷川:スポーツには、そういう自然と才能を選別してしまう側面があります。しかも、すごく早い段階で能力が選別されてしまうんです。本質的には結果に至るまでの努力や工夫、挑戦が評価されるべきで、結果は後から付いてくるものだと考えるべきです。サイエンスで勝てている理由・負けてしまう理由についてきちんと説明したり、正しい学び方・勝ち方を丁寧に伝えていく必要があるんですね。

ースポーツサイエンスは、選別をするための手段だけでなく、選別に対抗する手段でもあるんですね。

谷川:その通りです。先ほども言った通り、生まれ持った才能だけでなく、環境要因も非常に大きい世界です。なので、才能があるアスリートを選別するのが目的のものではありません

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これからのアスリートに求められるもの。

ースポーツサイエンスが一般化することで、アスリートに求められるものも変化しましたか?

谷川:ひとつ、自分の状態を客観視できるようになったのは大きな変化かと思います。例えば、GPSをつけることで練習中にどれだけ走ったのかが数値化されます。そうすると実際の疲労と練習量を客観的に理解していける。データと自分自身の体感を少しずつ擦り合わせることで、自身のフィジカルリテラシーがあがる。これが進むと、選手だけでなくコーチが大変かなと思いますデータで出てしまうので、根性論や気分で語れなくなります。もっと深く選手のことを知っていないと、正しくコーチができなくなりますからね。

ーなるほど。

谷川:スポーツサイエンスが進むことで、コーチがいらなくなるのではないかと言われることもあるくらいです。これからのコーチは「サイエンスリテラシー」、選手は自分の「フィジカルリテラシー」に向き合う時代になると思いますね。

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-コーチの方々も大変ですね。

谷川:大変ですよ(笑)。私も、ハードルの高さやインターバルは変わらないのに、フィジカルの状態によってハードルが高く見えたり、遠く見えたりした経験があります。そういうアスリート自身の見え方、感じ方など感覚と科学的データを読み解き、落とし所を見つけてコーチングすることが求められる時代になりました。

-感覚と科学のすり合わせ。実際にどうすればいいのですか?

谷川:基本は選手の状態にしっかり向き合いながら、コーチングを変えていくのが正しいアプローチだと思います。データを気にしすぎてチャレンジできなくなることもありますから、時には、あえてアスリートにデータを見せないのも大事です。

ーあぁあえて!

谷川:私がコーチをする際も「まず感じろ」と教えます。「Don't think! Feel.」映画『燃えよドラゴン』の中のセリフです(笑)。まずは、自分自身の体にきちんと向き合うのが基本です。まずは自分の体を感じて、知らなきゃいけない。サイエンスは、その上で感覚をフォローしてくれるものです。

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根性論は自分のために。

-いろんなメディアにも登場している谷川さんですが、データを扱う一方で根性論も語っているのがユニークだと思うんです。

谷川:間違いなく、根性もないと!根性論っていうと部活的な集団制のあるところで頑張ってくみたいなところがあると思うんですけど、海外ではそもそも「根性論」がないわけです。だからこそ日本人が持てるひとつの武器とも考えられると思うんですよ。本来、根性とは自分自身に向いているべきで、他人に強要するものではない。コーチやチームメイト、様々な人たちにサポートされていたとしても、最後の最後に決断するのは自分自身ですよね。スポーツは、相手との競争ではなくて自分との競争。最大の敵は自分なんです

-根性って、なかなか難しいですね。

谷川:根性というと、「もっと練習しなきゃ」というような、自分への負荷を想像されるかもしれませんが、いちばん根性が必要なのは「やめる勇気」を出すときなんです。「明日のコンディションを良くするために今日はやめておこう」と思えるかどうか。自分自身が心から納得して「やめる勇気」を持つことは、すごく難しいことです。

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-確かに心から納得してやめることができないと「やっぱり無理しておけばよかった」なんて考えてしまいますよね。

谷川:こういった心の問題は、一流のアスリートでさえ、コントロールしきれないんですよ。そういう時に「コーチに頼る」ことすら根性だと思います。

-サイエンスや根性論、いろんな角度からスポーツを俯瞰して見ていらっしゃる谷川さんにとって、スポーツとはどんな存在ですか?

谷川:分自身と向き合い変えるためのものですね。いまも陸上競技は愛していますが、たまたま僕はスポーツだったんです。自分自身と向き合うためなら、何でも良かったのかもしれませんが、私の場合はたまたまスポーツでしたし、自分自身を見つめる1つの手段がサイエンスだったんです。

-自分を見つめるときにこそサイエンスが生きてくる。

谷川:データが持つ意味や、使い方は目的次第で変化しますし、個人の能力はそれに先んじて変化し続けます。果たしていつか本当に望んだ未来になるかなんて誰もわからないんですよ。ただ、データは長い期間、きちんとログを残すことで、過去の自分から学び続けられる。流動的に変わる世界で、少しずつ自分自身を知り、変化を続けるためにスポーツとスポーツサイエンスを研究していきたいと思います。

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これからの世界で失いたくないもの。

-では最後に、これからの世界で失われてほしくないものを教えてください。

谷川:失いたくないものはないです(笑)。むしろ、失わなきゃいけないし、失うことで変わり続けないといけないと思っています。

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Less is More.

谷川氏はアスリート然としたところがなく、常に全てを俯瞰して楽しんでいるような人だった。物静かで冷静。自分自身のキャリアもどこか遠慮がちにお話ししてくれた。一貫してデータとは、自分自身を知るために使うものだと真摯にお話しされる様子は、スポーツに限らずあらゆるデータに囲まれた私たちの未来を考える1つの指針のように思う。

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↑筑波大学の研究室では、ペダルを漕ぐ際の身体データをリアルタイムで表示するマシンの効果の効果を検証していた。私たちに惜しげも無く貴重な研究を見せてくれた谷川氏にこの場を借りて感謝を申し上げる。

(おわり)



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