人工言語エスペラントから考える中立性、ハンディキャップなき対話。北川郁子さん・黒薔薇アリザさんインタビュー。
人工言語エスペラントをご存じだろうか?誰もが簡単に学習することができ、世界中の人々にとって中立な国際補助語として考案された言語である。
驚くべきことに、この言語が誕生したのは1887年。100年以上の歴史を誇るのだ。一般財団法人日本エスペラント協会の理事長 北川郁子氏と黒薔薇アリザ氏にお話をお聞きした。
-まずはお二方がエスペラントを始めたきっかけからお聞きしたいと思います。
北川:私は新設校で英語教師としての第一歩を歩み始めたのですが、英語一辺倒の外国語教育が生徒たちの世界観や価値観に好ましくない影響を及ぼしていると感じるようになりました。それは留学生をクラスに受け入れた時の、生徒たちのアジアからの留学生と米国からの留学生に対する態度の大きな違いにも現れていました。
-確かに、義務教育では、英語以外を学ぶことってあまりないですもんね。
北川:そんな思いを抱えながら、フランスやイタリアを一人旅したのですが、街中では英語など全く通じないという経験もしました。そんなこともあって、自分自身の「英語=国際語」過信に猛省を促されたんです。「英語依存」を脱したいと、さまざまな言語をかじってみましたが、どれも途中で挫折し、最後に行き着いたのがエスペラントでした。『エスペラント四週間』という大学書林の独習書で文法、発音の規則性、簡潔さに夢中になりスイスイとほぼ3週間で終わった頃「誰か話せる人がいるにだろうか」と疑問が湧いてきました。
-3週間である程度、習得できたんですね。すごい。
北川:偶然その年1982年の夏「第1回日韓青年エスペラントセミナー」(現在は中国、ベトナムも加わり「東アジア青年エスペラントセミナー」)が開かれることを協会よりの情報で知った私は、このセミナーへの参加を決めました。当時韓国は文字通り「近くて遠い国」であり、歴史的記述をめぐる「教科書問題」で反日感情が高まっているという報道が連日なされていました。ところが、実際に行ってみると韓国の学生や若い人たちが大歓迎をしてくれて、夜中までマッコリを酌み交わしながら語り合い、エスペラントが「生きたことば」であることを実感した私は、Esperanto(文字通りの意味は「希望する人」という創案者ザメンホフのペンネーム)が、まさに「希望の言語」であるということに感動して本気で学び始めることになったんです。
-英語でのコミュニケーションとも全然違うんですか?
黒薔薇:エスペラントは、両親がエスペランティストというdenaskulo(デナスクーロ、ネイティブ・エスペランティスト)でない限り、誰もが第二外国語として学習します。私も一昨年、韓国に行ってきましたが、韓国語に合わせよう、日本語に合わせようということがありませんでした。エスペラントでのコミュニケーションは非常に中立性の高い言語で、双方にハンディキャップが生まれづらいんですよ。
-もしくは、双方ハンディキャップのある状態でコミュニケーションできるとも言えますよね。
黒薔薇:ネイティブへの引け目を感じることがない訳ですから、エスペラントをもとに対等に話し合う可能性を感じますね。
-黒薔薇さんは、どのようにエスペラントを始められたんですか?
黒薔薇:学生時代に、近代国家の歴史を学ぶ中で、言語が国家の統一、国民を戦争に駆り立てる教育のために発明されてきた側面を知りました。私たちの第一言語(母国語)である日本語も、現在の標準的な文法は明治時代に作られたものですし、日本国家の戦争と植民地侵略の歴史を振り返れば、自身を「日本人」として、「日本語話者」として、「日本国民」としてアイデンティファイすることを恥ずかしいのではないかと苦しんだのです。
もう一つは、思春期に私自身がLGBTQに当てはまるマイノリティであることを自認し、国家は人々を典型的な男・女の枠組みに当てはめてきたことにも気がつきました。
そういったことを学ぶ中で、私にとっては必然的に「アナキスト」と呼ばれる方々に惹かれていきました。その中で戦前のアナキストである大杉栄がエスペラントを学んで、教えていたことを知りました。エスペラントは、特定の国家や民族に所属している言語ではなく、国境を超えて人々をつなぐ可能性があるのではないかと思ってエスペラントを学びはじめました。
エスペラント136年の歴史。
-まずは、エスペラントの歴史についてお聞きできますか?
北川:エスペラントは、ラザーロ・ルドヴィーコ・ザメンホフ(以下ザメンホフ)によって、1887年にワルシャワで発表された国際共通語で、発表から136年を迎えます。
-ザメンホフはなぜエスペラントを作ったんですか?
北川:彼は、ポーランド北部のビヤゥイストク生まれました。当時はロシア領だったのですが、ポーランド人・ロシア人・ドイツ人・ユダヤ人など言葉や宗教が違う民族同士の半目と諍いが日常茶飯事でした。そういう環境で少年時代を過ごした彼は、異なる民族が理解しあえる共通語を夢見るようになったのです。
-それにしても、一人の人が言語を作るのは並大抵のことではないですよね。
北川:彼は、ある意味で言語の天才だったようで、さまざまな言語の体系を学び、13歳の頃には人工言語を作り始めたそうです。
-えぇ!?13歳…!
黒薔薇:ただ、残念なことに最初に発明した言語案は、ロシア当局からの弾圧を恐れ、お父さんに燃やされたそうです。
北川:そうなんですよね。そういったこともあって、彼は27歳の時まで待って、国際語エスペラントとして正式に発表しました。
-ザメンホフさんは、言語学者だったんですか?
黒薔薇:学者というよりも眼科医で、ユダヤ系の開明的知識人でした。
-へー!
黒薔薇:ザメンホフは、学問的に新しい言語を作りたかったというよりも、自分たちユダヤ人も含めた世界の人々を取り巻く状況を良くしたいという大きなビジョンがあり、隔てのない言語がその核にあったと思うのですよね。また、彼は「ユダヤ人のためではないんだ」と言っています。◯◯人というような特定の人種のためではなく、「人類人(Homarano、ホマラーノ)」として人々が対等に生きていける社会を作りたいという思想が、エスペラントの根底にはあったようです。それが晩年に、ホマラニスモ(Homaranismo、人類人主義)として結実します。その生涯の中で、思想的な変遷や揺れはありましたが、晩年には「私は何人でもない。人類人だ」という確信的な宣言を出しています。
-エスペランティストは、思想的な結びつきも強いんですか?
北川:どこまで思想と呼ぶのか分かりませんが、世界の人々が対等な立場でコミニュケーションをして理解し合うことを目指す気持ち、異なるものを受け入れる寛容さは共有していると思いますね。
黒薔薇:なかには、「私の信仰はホマラニスモ(人類人主義)だ」というくらい、ザメンホフに傾倒するエスペランティストもいますが、それは全体の一部です(笑)。
北川:ザメンホフ自身は「私を特別扱いするな」と言っていますからね(笑)。
黒薔薇:よくも悪くも、歴史の中では、「プロレタリア」「マルクス主義」「左翼」のレッテルを貼られてきました。現代では、それほど思想的な背景は強くありませんね。
北川:世界エスペラント協会は、ユネスコと協働し「言語と文化の多様性、多言語の使用、あらゆる母語の尊重の推進」をアピールしています。国際母語デーに、各国言語でポスターを作成しSNSなどで発信なども行なっています。世界に6000〜8000あると言われるそれぞれの言語を尊重しながら、異なる言語話者同士のコミュニケーションにはエスペラントを使うというのが、私たちのスタンスです。
黒薔薇:国際語とは、言語による対立や差別を無くすものです。言語のもつ限界を乗り越え、分け隔てられた人々を繋ぎ直すことこそが、人工言語エスペラントの可能性ではないかと思います。
世界をつなぐプラットフォームとしての言語。
-それにしても、一介の眼科医であったザメンホフが考案したエスペラントが、なぜ当時時世界中にこれほど広がったんですか?
北川:当時の時代背景として「世界語」への期待がそもそもあったと思いますね。特に文化人・知識人を中心に、平等なコミュニケーションができる言葉が作りたいという思いが強かった。
黒薔薇:エスペラント誕生以前にも、ヴォラピュクという人工言語が生まれました。当時はそれなりに普及していたのですが、発明者が所有権を主張したり、エスペラントに比べると習得難易度が高かったりといくつかの原因で廃れてしまいましたね。エスペラントは、「誰のものでもない」と著作権を放棄したこと。そして最初に作った言語体系を変えなかったということで広がりやすかったと思います。
-誕生した時から、完成度が高かったんですね。
黒薔薇:そうですね、現代日本語は読めたとしても、100年前の古い表記や文体、さらには古文となると簡単には読めません。でもエスペラントは、130年前の文献であっても、普通に読むことができるんですよ。もちろん古い言い方も存在しますが、基本的には変わっていません。
-日本でも割とリアルタイムに普及したんですか?
北川:発表された1887年に動物学者の丘浅次郎が、日本に持ち込みました。彼自身も人工言語を作ろうと考えていたらしいのですが、エスペラントの完成度に驚いて、日本でも広めたそうです。1906年には、作家の二葉亭四迷もロシアに留学中に出会って、エスペラントの教科書「世界語」という本を発表したりしましたし、宮澤賢治もエスペランティストでした。
-かなりスピーディに普及したんですね。
北川:当時は国際連盟でも、比較的小さな国を中心に共通言語を採用しようという動きもありました。日本でも新渡戸稲造を中心にエスペラント採用の動きがあったそうです。残念ながら欧米列強の言語には敵わず潰されてしまったそうですが。
-インターネットもないような時代なのに、一人の人が作ったものがこれほどグローバルに広がるなんて、信じられないことですよね。
黒薔薇:背景として、当時は鉄道や電話が普及した時代だったことも大きいと思いますね。イノベーションを背景にグローバルにおけるコミュニケーションが、可能になり、爆発的に活性化した。まだ、世界中がグローバル化に無邪気に夢と希望を感じられる時代だったと思いますね。
北川:それは大きいですよね。他にもいくつか要因があって、左翼的な運動や労働者の運動など当時の社会運動もエスペラントを広める1つの要因だったと思いますし、特に大きかったのは1915年から現在に至るまで、年に一度、エスペラントの世界大会が開催されています。世界中のエスペランティストが集まり、通訳なしのエスペラントによる会議、講演、文化交流が展開されるので、それも非常に大きな役割を果たしていると思います。今年はイタリアで開催され私も参加してきました。
-脈々と交流が続いているんですね。
北川:あとは「文通」というのが大きかった。世界中の文化人・知識人がエスペラントで手紙を交わしあったんです。先鋭的な人々が使うことで、一般的にもある程度普及したんです。
-あぁ。先端のインフルエンサーで流行したようなイメージだったんですね。
黒薔薇:エスペラントは、現代でいうFacebookのような、プラットフォームのように機能していたと言えるかもしれません。国境を越えて、特定の趣味や同好の士が集まるためにも、一役買っていたんではないかと思いますね。
北川:現在もエスペランティストは各国、地域にいますし、国境を越えたコミュニティがあります。私自身もそういったコミュニティを通して、さまざまな出会いや、学び、発見に心をワクワクさせられてきました。今は、インターネットを通じてそのコミュニティは新たな広がりを見せています。コロナ禍は不幸でもありましたが、同時にエスペラントのコミュニティーはこれまで出会えなかった人々との交流を促進している面があります。
黒薔薇:現代では、広く浅く世界と繋がるのであれば英語を学ぶ以外にないと思います。一方、エスペラントを学ぶと、深く、ニッチで良くも悪くも変わった人と多く出会えるのはすごく魅力的ですよね(笑)。
北川:そうそう(笑)。
エスペラントは「省エネ」な言語。
-言語としては、なぜそれほど学びやすいんですか?
北川:こちらの「エスペラント入門」という本を元に、いくつか特徴を説明いたしますね。まずは、読み方を習得しやすいんです。英語だと「A」という一文字に対して「エイ」とか「ア」とか、いくつかの読み方がありますよね。エスペラントにはそれがありません。28文字で構成されていて、一文字一音が原則です。
-あぁ!「A」だったら素直に「ア」と読めばいいと。
北川:母音も5つに限られていますし、日本人は習得しやすいと思います。そして、発音においても、ルールが明確でアクセントの位置はうしろから2番目の母音と決まっています。
-へー!
北川:動詞の語尾変化も規則的です。現在形「-as」、過去形「-is」、未来形「-os」と 決まっているんです。例えば「愛する=amas」「愛した=amis 」「愛するだろう=amos」と変化します。
-すごく規則的なので、1つの単語を覚えると、色々と展開できそうですね。
北川:他にも名詞の語尾は「-o」、形容詞にするなら「-a」、副詞なら「-e」と決まっています。これだけ覚えておけば、1つの単語をすぐにさまざまな表現に活かせるんですよ。エスペラントは「省エネ言語」と言われるんですけど、いくつかのルールを覚えるだけで学んでいけます。
-お話し聞くと、学べそうな気がしてきました。
北川:あとは反対語である接頭辞「mal-」が便利です。例えば「amo=愛」という単語を覚えたら「malamo=憎しみ」になるんですね。こうした接頭辞・接尾辞をつけて、覚える単語が少なくても、工夫しながらコミュニケーションができます。
-あぁ。ルールが少ないから、工夫しながらコミュニケーションする。
北川:そうなんです。知らない単語があっても、接頭辞や接尾辞のルールを覚えていると、なんとか話しが通じるように表現ができるんです。年に一度世界のどこかで世界エスペラント大会が開かれ、世界70カ国前後から1000人〜2000人が集い、通訳なしでエスペラント語のみで会議や講演、演劇、コンサート、ワークショップ、観光などが行われていることもエスペラントの発展に寄与していると思います。今年はイタリアで開催され、私も参加してきました。来年はアフリカ・タンザニアでの開催が決まっています。日本でもこれまでに2回(東京、横浜)開かれています。
黒薔薇:大抵の言語は、一通り習得しても、新しいスラングやミームがドンドン生まれて、ネイティブの会話についていけなかったりしますよね。エスペラントにはそういうことがないので、話しやすいというのもあります。知らない単語が出てきても、基礎的な知識から大抵類推できます。
北川:そうそう。大抵の言語はネイティブが有利ですが、エスペラントは、ほとんどの人が、初心者から始める言語なので、間違えるのも怖くないですし、言語によるハンディキャップが生まれにくいんです。
黒薔薇:文法的に正しい・間違いは一応ありますが、色々な言い方があって、語順も自由でいい。それがかえって表現の幅を広げてくれるんです。
北川:すごくクリエイティブな言語ですよね。エスペラントでの文学や詩作も、ものすごく盛んなんですよ。個々のセンスを表現しやすいんですよね。
-新しい単語とかは、どうしているんですか?
北川:コンピュータ関係の用語とかは、英語を基にすることが多いのですが、新しい単語には最初いくつかの呼ばれ方があり、だんだんとみんなが使っていく中で1つにまとまっていきます。あとは、エスペラント・アカデミーという有識者で構成される言語委員会があるので、そこを中心に決まっていく場合もありますね。
黒薔薇:スマートフォンなんかは「saĝtelefono(サヂュテレフォーノ)」=「賢い電話」って言ったりします。
北川:「poŝtelefono(ポシュテレフォーノ)」=「ポケットの電話」と呼ぶ方もいますよね。エスペラントでは、1つの言い方だけが正しいわけでなく、ある程度意味が伝われば、いくつかの呼び方があっていいんです。ですから、新語で困るということはありません。
-あぁ!なんか皆さんがそれぞれ工夫しながら話しているイメージが少し理解できました。
黒薔薇:エスペラントは、完璧な人工言語であるとは思いません。欠点もたくさんあると思います。特に性別や障がいに関してなどは、現代の人権感覚に照らせば旧弊もあり、男性形を基本として女性形(-ino)があるなど、他のヨーロッパ言語同様の問題もあります。それでも、これほど世界に普及し、認知された人工言語は他になく、人工言語の入門としても学ぶ価値は大いにあると思います。
現在の日本におけるあり方。
-日本ではどれくらい普及しているんですか?
北川:協会をベースに数えると1,000人前後ですが、実際にエスペラントを話す人数は正確には把握できていないんですよ。若い人は組織に入らず楽しんでいたりしますからね。「ことのはアムリラート」というアドベンチャーゲームでは、異世界の少女とのコミュニケーションにエスペラントが使われ、それをきっかけにエスペラントを学び始めた若い人たちが、エスペラントのイベントに参加する現象も起きています。ドゥオリンゴ(Duolingo)という無料言語学習アプリで、エスペラントが学べるようになったので、世界では、ものすごくエスペラントを学習する人が増えているんですよ。
黒薔薇:特に若い世代を中心にすごく増えていますね。アプリは教科書なんかより、例文が現代に即しています。ネット用語もたくさん出てきますし、ジェンダーロールについてもアップデートされています。私もDuolingoについて、日本エスペラント協会の月刊誌『エスペラント(La Revuo Orienta)』に寄稿しています。
北川:世界では、100万人以上は学んでいると思います。
-あらゆる国境を越えてコミュニケーションできることで、随分と世界の見え方も違いますよね。
北川:近年では多様性ですとか多文化共生というキーワードを良く耳にしますが、エスペラントは誕生以来そういう文化が自然とありますし、真の国際化について、それぞれが考え続けてきた歴史があります。エスペランティストは「民際外交」を実践する中で、「地球人」「人類人」を目指してきました。言語を通してゆるやかに連帯していくことは、本当の意味でのグローバリゼーションを考えることではないかと思いますね。
-確かにそうかもしれませんね。
北川:エスペランティストには、環境問題や貧困、人権問題等に関わり、社会的な活動をする人たちも多くいます。そういった社会課題についても世界中で対話されているんですよ。
黒薔薇:エスペラントは、グローバリゼーションに対しての、ある種のオルタナティブな可能性だと思います。ザメンホフは、土地や民族を超えた現代でいう「メタバース」のようなものを言語から考えていたのかもしれません。エスペラントという言語によって、国境を越えて小さいが結びつきの強いコミュニティを形成する可能性があると思うんですよね。
-実際の土地や民族に縛られずにコミュニケーションできるのは確かにメタバース的ですね。
北川:エスペランティストは、自由にホームステイを提供する「Pasporta Servo(パスポルタ・セルボ)」という文化があるんですね。こうした信頼関係を結べるのは、黒薔薇さんのいう通り、コミュニティが小さいからこそできると思うんです。
-すごく不思議な信頼関係ですね!
北川:協会としては、エスペラントの文化を数多くの人に知ってほしいと思いますし、学んでほしいとも思っています。
協会のHPにもネットで学べる無料の「ドリル式講座」や通信講座の案内もあります。地域のエスペラント会でも講座を開いています。
年に一度日本エスペラント大会という大きな催しもあり、一般公開の番組も無料で用意されています。今年は10月21(土)〜22日(日)に川崎市で開催されます。
是非多くの方々に気軽に参加していただきたいですね。エスペラントを通じて、色々なことに繋がっていく面白さを味わっていただきたいと思います。
これからの世界で失いたくないもの。
-では、最後の質問です。お二人がこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
黒薔薇:エスペラントには、130年を経て、私たちエスペランティストがまだ気がついてない可能性があると思うんです。それは、まだ誰も言い表せていなかったことを言い表す可能性。感情なのか、何かモノなのか、現象なのかわからないのですが、今はまだ言葉にできない、言葉になっていない、新しい何かを生み出す可能性。それを模索するための余地・余白を失いたくないと思います。
北川:私は、寛容さを失いたくないですね。私自身、エスペラントを学ぶことで寛容さを色々な人と共有できるようになったと思います。現代のヘイトスピーチに代表される状況には、本当に心を傷めています。異なるものへの寛容さがあれば、世界はもう少しだけ住みよくなるんじゃないかと思います。微力であっても、世界の人々と連帯しながら、多様性を認め合う寛容な社会を実現するための希望のともしびとしてエスペラントがもっと活用されることを願っています。
Less is More.
多様性を議論するには、どの言語で話し合うべきなのだろう。お二人がおっしゃる通り、多少時間がかかっても、回りくどくても、言語を学ぶことからはじめるほうが、平等に話し合えるかもしれない。
取材当日、事務局にお邪魔して驚いたのはその来客の多さ。様々な人が訪れ、対話を交わしていた。そして、テキストでは伝わりにくいが、お二方のお話は非常に建設的で、何よりもその場にいるすべての人を尊重し合う空気に満ちていたことだった。
(おわり)