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フラット化する世界から失われた景色。そして、ウィズコロナの旅とは? 旅行作家・グラフィックデザイナー・蔵前仁一氏インタビュー。

2020年、コロナ禍で多くの趣味や娯楽が失われたと感じている人も少なくないだろう。なかでも海外旅行のハードルは高くなった。今年4月、日本人バックパッカーの草分け的存在として1980年代から旅を続けてきた蔵前仁一氏が一冊のエッセイ・写真集を刊行した。タイトルは『失われた旅を求めて』。1980年代から90年代に撮影されたアジア・アフリカの風景が語りかけてくるものは何なのかー。失われた『旅』とは。これからも消えない景色とは。蔵前氏に話を聞いた。貴重なお写真もお借りすることで、失われた景色を楽しんでいただけることを祈っている。

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蔵前仁一:旅行作家・グラフィックデザイナー。1956年生まれ、鹿児島県出身。慶応大学法学部卒。1980年代からアジアを中心に世界各地を旅し、1986年『ゴーゴー・インド』で作家デビュー。1995年に出版社・旅行人を設立。雑誌『旅行人』、旅行記、ガイドブックを発行する。『わけいっても、わけいっても、インド』、『テキトーだって旅に出られる!』、『インド先住民アートの村へ』、『失われた旅を求めて』など著書多数。

1980年代のバックパッカー。

-もともと、蔵前さんはなぜバックパッカーになったのでしょうか?

蔵前:まだ「バックパッカー」なんて言葉がない時代に、初めての海外旅行でアメリカに行ったんですよ。「現代美術を見にいく」っていうのがテーマで、行きたいミュージアムが、シカゴ、ニューヨーク、フィラデルフィア、色々な場所にあったから、その全部に行こうと思ったら個人旅行で行くしかなかったんですよね。

1979ニューヨーク地下鉄

↑1979年/アメリカ/ニューヨークの地下鉄。

-ツアーなども現在よりも全然なかったでしょうから、そうですね。

蔵前:ちょうどそのころ、1979年に『地球の歩き方・アメリカ編』と『アメリカ旅カタログ』という本が出て、読んだら「ひとりで旅行できる」って書いてある。じゃあ自分で行ってみようか、と。

-当時のアメリカというと、既成の価値観に反抗するヒッピー的な感覚もあったのかな、と思ったのですが。

蔵前:創刊当時の『POPEYE』が盛んに西海岸の情報やファッションを特集して、フラワームーブメントとか、いわゆるアメリカンカルチャーも紹介していたから、ヒッピー文化は知っていましたけど、特に影響を受けたりはしていないですね。僕らが若いころは、外国=アメリカでした。パリ、ロンドンもありましたけど、海外旅行といえば圧倒的にアメリカのイメージだったんです。だから、僕はヒッピーと関係ないところでアメリカに行きたかったんですよね。

-「自分の力でどこへでも行けるんだ」っていうスタートから、バックパッカーとして各国に行くようになったと。 

蔵前:アメリカ旅行は一旦それで終わって。そのあとグラフィックデザイナーの仕事を始めたら忙しくなったので、しばらく旅はお預けだったんですね。当時はバブルも手伝ってすごく忙しかったんです。「ちょっと休みをとって海外旅行でもしようかな」と思ったときに、仕事仲間にインド好きのやつがいて「インドは面白いよ」と。「インドか~」って思ったんですけど(笑。)薦められたからね。いわゆるバックパッカーのようになったのは、その時からです。

1982バラナシで眠る人

↑1982年/インド/バラナシで眠る人。

-今でこそ、先達の恩恵に与って色々な情報にアクセスできますが、当時はインドに関する情報はかなり少なかったのでは?

蔵前:インターネットはもちろんないし、ガイドブックもたいしたものはなかった。ただ、僕が行こうと思ったころ、1981年にようやく『地球の歩き方・インド編』が出たんですよ。『地球の歩き方』が果たした役割というのは、僕にとっても、当時のバックパッカーにとっても、かなり大きいものがあったと思います。

失われた景色、失われた旅とは。

-バックパッカーとして旅をしてこられた蔵前さんにとって「観光と旅は違うものだ」という意識はありますか?

蔵前:そういう言いかたってよくされるし、「『トラベラー』と『ツーリスト』は違う」とか、映画のセリフでもあったりするけど、僕はそんなのはどうでもいいと思っています(笑)。やけにこだわって「俺は絶対に観光地なんか行かない」って人もいるけど、観光したかったら観光すればいいし、したくない人はしなくていい。本当にどっちでもいいんですよ。

-なぜこの質問をしたかというと、蔵前さんの著書『失われた旅を求めて』を拝読して、この景色が失われた理由の一つに「観光」が観光地をフラット化していったのもあるのかなと。

蔵前:観光地の話をすると、かつてと今では観光地の様相はかなり変わっています。なぜかというと、世界経済がどんどん良くなってきたから。いわゆる第三世界と呼ばれていた、インド、東南アジア、中東でも所得が上がってきたんです。今までは、先進国から観光客を迎え入れるだけだった人たちが、経済状態が良くなって旅行をするようになった。世界中で観光客が爆発的に増えた。日本も「インバウンド、インバウンド」と言い始めたのはそういうこと。その結果、観光地がすごいことになって、バルセロナやフィレンツェなんかが「反観光客」と言い出した。その意味では一変したと言ってもいいですね。ちなみに「観光地のフラット化」っていうのは、どこも同じようになった、ということですか?

-各国、都市の差がなくなってきているというか、どこにでもショッピングモールがあったりだとか。

蔵前:それはその通りです。東南アジアも、シンガポール、バンコク、クアラルンプール……そういう大都市はどんどん発展して、どこを歩いているかわからない、似たような街になっている。つまらないですよね。

-『失われた旅を求めて』はそういう変化に対して感じるものがあって書かれたんですか?

蔵前:それだけではないですけど、実際に失われたものがあるじゃないですか。戦争や災害によって失われたものがあって、さらに経済発展によって都市化されて、それこそフラットになって。それは歴史の必然なので、ある意味しょうがないことではあるんですけど。ここ30、40年で世界が大きく変わったというのを感じて。僕らにとっては30年前って「ちょっと前」の感覚で、そんなに昔ではない……それはオジサンとして気をつけなければいけないんだけど(笑)。

-(笑)

蔵前:でも30年前に生まれた人は当時のことを知らないわけですよ。30年前の中国なんて今とは全然違うのに、現在30歳の人は誰もその景色を見たことがない。シリアやイエメンも戦乱で失われてしまった。「かつてはこうだった」と記録に留めることは、意味があるんじゃないかと思ったんです。

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↑1983年/中国/西安駅。

-反響はいかがでしたか?

蔵前:同世代で懐かしさを感じてくれる人はわりと多いですね。僕もそうですけど、旅行者って観光地で記念写真は撮るけど、日常の風景はあまり撮らない。だから海外の、普通の街の景色を見ると「ああ、こういうところがあったんだ」って思うみたいです。


インドはなぜ変わらないのか?

-他の国や地域のフラット化は進んでいるなか「インドだけは変わっていない」と書籍にもありました。なぜでしょうか。

蔵前:もちろん変わってはいるんだけど、ちょっと見た感じが変わらないんですよ。中国なんかだと根こそぎ変わるじゃないですか。インドは変わったところも、まったく変わらないところもある。その幅がすごく広いんです。例えばインドの都市で、かつては電話屋だった店がネットカフェになって、さらに次に行ったらSIMカード屋になっていたりする。看板も、昔はテレビの広告だったものが今はスマホだとか、そういう変化はあるんですが、パッと見はほとんど変わらない。インドの面白いところです。

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↑2018年/インド/ニューデリーメトロ駅。

-一方で、景気が良くなったり、ITが進化したり。インドの「変わる・変わらない」のバランスが不思議だとも感じます。

蔵前:インドは世界で一番貧富の差が激しくて、貧しい人たちのなかには、ほとんど教育を受けられない人もいます。そういう人たちは、いくら「景気が良くなった」「ITの時代だ」といっても上に上がって来れない。僕は最近インドの田舎ばかり回ってるんですけど、電気が通ってない村だってまだあるんですから。

-カーストという身分制度の存在も大きいのでしょうか?

蔵前:「留保制度」といって大学入試や公的機関の就職で下位カーストを優遇する制度があって、カーストが低くてもIT系の大学に入って活躍したり、政治家でもトップになったり、という人はいます。ですが、全体としては、貧富の差に関してカースト制度もネックになっていますよね。

-なかなかガラッと変化するのは難しいと。

蔵前:中国が大きく変化したのは、共産党一党支配だからだと思っています。共産党が「こうやる」って言ったら誰も反対できない。高速道路を作る、鉄道を引く、と政府が決めたら、金さえあればつつがなく実行できる。だけどインドには選挙があるから簡単にはできないんです。さまざまな改革を打とうとしても、票を得られなければ途中でダメになったり、あるいは反対運動が起こったり。他国と違って人口も莫大なので、貧富の差も大きいし、それぞれの層もものすごく厚い。それをいっぺんに引き上げるっていうのは、やっぱり難しいですよ。

-蔵前さんの出版社・旅行人から出た『食べ歩くインド』。これもインドの層の厚さというか、多面性を感じるものでした。

蔵前:長年、インド各地の料理を食べ続けてきた小林真樹さんが書かれた本ですね。インドの食べ物というと、おそらくほとんどの日本人は「カレーでしょう」と思うだろうけど、実にさまざまなバリエーションがあって。これを読むと「インド料理」とひとことで言っても、アーンドラ料理とかクールグ料理とか、各地でさまざまな料理があって、それぞれに特色があることがわかるんです。僕も長い間インドに行っては、よく知らずにその辺の食堂で「おいしいな」なんて食べていたんですが、それが何であるかを教えてくれる、画期的な本です。


揺れ動く世界を旅して、見つけるもの。

-観光地の景色からは多様性が失われつつあると感じますが、今後、世界全体はフラット化していくのでしょうか。ここから世界はどう変わっていくとお考えですか。

蔵前:そんな単純にはいかないと思うんですよ。グローバリズムが進んできた一方で、揺り戻しとしてトランプ大統領が現れて、各地にミニ・トランプみたいな指導者が出てきて、人々が支持する。グローバリズムに対して「こんなのはダメだ」とナショナリズムが呼応する、今はそういう時期にあるのではないかと考えています。それが進んでいけば、各世界で、反グローバリズムがいわゆるセクト主義になっていくかもしれない。それはなんとも言えないです。

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↑今回の取材は、オンラインにて行われた。

-簡単にグローバル化が進んでいくわけではない、と。

蔵前:ある程度グローバリズムが広がると、今度はグローバル企業によって富を独占されて、貧富の差が激しくなって「これは良くない」と保護主義、セクト主義に走って、膠着して、その繰り返し。つまり、理想の形なんてないと考えています。EUも、第二次世界大戦の反省としてヨーロッパ人同士が戦うのではなく、「ヨーロッパ人同士で仲良く、経済もマーケットも共有して通貨も統一して、一つの共同体としてやっていきましょう」というのは理想だったわけですよね。でも何十年もやってるとその歪みが必ず出てくる。ある種の理想の姿を追い求めていても、それは幻ですよ。理想を実現するなんてできないと思います。

-そうした世界の変化のなかで、旅の持つ意味は変わりましたか?

蔵前:働いていない時は何年でもブラブラ旅行できたのが、仕事を始めてからは最大1、2ヶ月しかできなくなったり、そういう変化はありましたけど、もともと「旅とはなんぞや」と観念的に考えて旅行しているわけではないんです。抽象的な言いかたも好きではないし、旅の意味なんていうのは、僕には必要ないものですね。

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↑今回インスパイアされた蔵前さんの書籍「失われた旅を求めて」は絶賛発売中。貴重な写真の数々が掲載されている。

-蔵前さんにとって、旅は仕事でもあるわけですが、そのあたりは。

蔵前:名目が「取材」だとしても、結果的に本が書けるかどうかはどうでも良くて、ただ旅をしてるだけです。旅をするまでは本になるかどうかなんてわからないし、書かなくてもいいと思っています。その点は本当に変わりません。変わってきたのは、旅のなかで追いかけるものですね。

-どのように変わったんでしょうか?

蔵前:昔はできるだけ多くの国に行って、未知のものを見たい、聞きたい、知りたい、という旅行をしていました。それが一段落して、ここ10年以上は、インド先住民族のアートを追いかけてインドの田舎ばかり行くようになった。それも本当にたまたま出会った、というだけなんです。僕はグラフィックデザイナーだからモダンアートが好きだったので、無意識に風景の中から偶然、先住民族のアートを見つけた。そういう夢中になれる発見があることが、僕が旅に誘われる理由ですね。

僕らはちょっと甘いのかもしれない。

-移動が制約されるなど、旅行はコロナ禍の影響をダイレクトに受けていると思います。どう感じてらっしゃいますか?

蔵前:むこう3年くらいインドに行けないのでは…と考えると辛いですね。世界の中でも、インドは回復するのが最も遅いんじゃないかと思うんですよ。人口からしても貧富の差からしてもインドは最も規模が大きいので、全員にワクチンを打つのは難しいでしょう。インドに行きづらくなるのは非常に悲しい。

-3年ほどは新しい旅には出かけられない?

蔵前:国内は旅行するつもりです。まだテーマを考えているところですけど、DIYでキャンピングカーを作ってあちこち行きたいな、と。

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↑1990年/マリ共和国/ドゴン。

-いいですね。それならソーシャルディスタンスも保てますし。では今後、ウィズコロナの世界、そして旅は、どうなっていくとお考えですか?

蔵前:僕の希望としては、この状況は3年くらいで収まって元に戻っていくんじゃないか、と。都会にいれば「ウィズコロナ」「人との距離をとる」でいいかもしれないけど、世界から見ればそのルールどころじゃない国もたくさんあるんですね。

-確かに、世界全体で見たらそういう人の方が多いのかもしれない。

蔵前:「コロナに注意しよう」って言ってるのは都市の住民だけです。コロナだけでなく、マラリア、ペスト、チフス…恐ろしい感染症は、いくらでもあって、検査をする間も無く、倒れている人がいて、子どもがどんどん死んでいる。コロナ以前から、そういう日常を過ごしている国だってある。幼児死亡率もすごく高いんです。

-世界はずっとウイルスにまつわるディザスターに晒されているということですよね。

蔵前:アフリカなどでは、NGOなどが援助活動はしてますけど、簡単にはいきません。彼らはそう生きていくことを受け入れざるを得ないんですよ。ブラジルだって何十万人もがスラム暮らしで、狭いところに密集してるのにソーシャルディスタンスなんて無理でしょう。世界にはもっと大変な人たちがいて、「ウィズコロナ」なんて言ってる僕らは、そういった人々の暮らしに比べたらちょっと甘いんじゃないですか。

-そうかもしれません。

蔵前:日本も現在の生活を続けることは、精神的に厳しいのではないかと思います。人間同士はやっぱり会いたいし、くっついていたいものですよね。だから、少しずつこの恐怖も受け入れるしかなくなるんじゃないかと思っています。

これからの世界で失いたくないもの。

-最後の質問です。蔵前さんにとって、時代や世界が変わっても、失いたくないものは何ですか?

蔵前: 難しい質問ですね。今までやってきたことや、今の立場や環境については、非常に過不足なく恵まれていると思っていて。だから、自分を支えてくれている人や、自由にしていられる環境は失いたくないですね。すごく当たり前のことかもしれないですけど。

Less is More.

1980年代から今日まで、経済発展や戦禍、災害によって変化していく世界を、その足で歩き、その目で見てきた蔵前氏。だからこそ「かつては良かった」というノスタルジーに溺れることなく、現在を見つめられるのだろう。失った風景を嘆くだけでは新しい「旅」はできないのかもしれない。揺れ動く世界、フラット化する景色の中から、自分は何を見つけられるのか……本インタビューから、多くのヒントをもらったように思う。

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(おわり)


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