見出し画像

人類学のたたずまい。徒歩旅行的に導かれる未来。奥野克巳氏インタビュー。

私たちの社会とは全く違うルールで暮らす民族が世界には数多く存在する。「人類学」はそうした民族の研究を通して、私たちの社会を見つめ直すヒントをくれる。ボルネオ島のマレーシア領で暮らす狩猟採集民プナンを17年に渡って研究し続ける人類学者・奥野克巳氏に、あらためて人類学とは何か、お話を伺った。

奥野克巳:1962年生まれ。人類学者。立教大学 異文化コミュニケーション学部 教授。単著に『絡まり合う生命』『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(共に亜紀書房)など。共著・共編著に『マンガ人類学講義』(日本実業出版社)、『今日のアニミズム』『モア・ザン・ヒューマン』(共に以文社)など。

-そもそも奥野さんは、なぜ人類学に興味を持たれたんですか?

奥野:大学生だった80年代に旅をしたことが大きかったと思います。最初の旅は1982年。メキシコ・シエラマドレ山脈中に住むテペワノという民族を訪れ、約1ヶ月寝食を共にしました。

-いきなり、民族のところに訪れるなんてすごいですね。

奥野:テペワノは、中米・南米の民族を中心に編集された『世界の民族』という書籍の巻末に数行だけ記述されていました。「(メキシコの)メスキタルから行ける」という記述だけを手がかりに現地を訪れたんですよ。

-冒険のような体験ですね。

奥野:テペワノの人たちと過ごす中で、アメリカとメキシコにおける貧富の差を目の当たりにしました。それで「貧しいというのはどういうことなんだろう」と疑問が湧き、帰国後に当時の最貧国だったバングラデシュを訪れました。
そこで目にしたのは、インド・パキスタン戦争時代に生まれたたくさんの孤児が仏教寺院で暮らしている姿でした。そうすると「戦争ってなんだろうか」と疑問が湧き、翌年にはクルドの人たちが独立を目指して戦っている戦争中のトルコへ向かいました。

-旅先で生まれた疑問にインスパイアされて次の旅へ向かわれていたんですね。奥野さんがそうした旅をされていたのはなぜだったんですか?

奥野:高校生の頃の夢は「日本脱出」だったからです。

-日本脱出?なぜ、脱出したかったんですか?

奥野:高校一年生の頃に、骨折して一週間くらい安静にしてないとならなかった。その時に「あれ?学校で何やってるんだろう?学校ってなんだろう?」と感じるようになってしまったんですよ。受験ってなんだろう、ひいては人生ってなんだろうと。今思えば、青臭い悩みかもしれませんが、日本を脱出して、広い世界を見て、その答えを知りたいと思ったのが、私のモチベーションの源泉ですね。大学のモラトリアム期間を利用して、日本脱出を実行したわけです。

-奥野さんは、卒業後、就職もされていますよね。

奥野:えぇ。仕事として辺境に行けるんじゃないかと思って。外務省の在外公館派遣員にも受かったんですが、最終的に商社を選びました。
辺境への派遣を希望したのですが、結局は都会での仕事が多かったんですよ。ちょっと違うな、と思って3年半勤めて辞めてしまいました。

-すごい思い切りですね。

奥野:ちょうどその当時、インドネシアの嫁いだ友人の結婚式に誘われました。それをきっかけに会社を辞めて、1年間スマトラ島・カリマンタン島、スラウェシ島など、インドネシアの奥地を放浪しました。

-まさに人類学におけるフィールドワークのような旅ですね。

奥野:人類学の研究としてフィールドワークを始めたのは、1990年代の半ばですね。インドネシアのカリマンタン島に住むカリスという先住民と2年間暮らし、博士論文を書き上げました。彼らは焼畑農耕民で、どこかしら私たちの祖先を思わせるような習慣が残っていて、懐かしさすら感じる人たちでしたね。2006年からは、マレーシアのプナンという狩猟民に入って、1年間フィールドワークしました。それ以来プナンには17年にわたって通っています。

-個人的な旅から始まり、研究者としてのフィールドワークになったわけですね。

奥野:人類学というのは、その名の通り「人間を探求する学問」です。お話したような旅を続ける中で、人間の根源的な姿をもっと調査・研究したいという思いが強まった。研究者になったのは私にとって、すごく自然でしたね。

20世紀に変化した人類学。

-あらためて「人類学」ってどういう学問なんですか?

奥野:まずは、歴史からお話します。現在、私たちが学んでいる「人類学」は、20世紀の第一次世界大戦と第二次世界大戦の戦間期に誕生した学問と言えます。
その時代に、人類学はフィールドワークを取り入れることで、それ以前の人類学からは根本的に違っています。

20世紀における人類学の歴史を丁寧に紐解いた奥野氏の著書『はじめての人類学(講談社現代新書)』。

-どんな変化があったんですか?

奥野:以前は、文献のみにたよって文化を研究していましたが、それでは限界がある。そこで、ブロニスワ・マリノフスキという研究者が"わからないことがあったら、行ってみる"=フィールドワークをする人類学を提唱しました。当時、交通インフラが急速に発達していたことも背景にあったと思います。

-あぁ。確かに「行けるようになった」のは大きかったでしょうね。

奥野:フィールドワークを提唱したもう一つの重要な背景は、20世紀前半が戦争の時代だったことです。

-どういうことですか?

奥野:順を追って話しますね。まず、第一次世界大戦というのは、人類が初めて体験する未曾有の国家間戦争だったわけです。およそ850万人もの死者を出した戦争体験は、当時のヨーロッパの人々の精神に大きなダメージを与えました。
第一次大戦終戦直後の1919年から1922年にわたって、フランスの詩人ポール・ヴァレリーがまとめた文化批評「精神の危機」というテキストに詳しい記述があります。

-どんなことが書いてあるんですか?

奥野:ごく簡単にまとめると、ヴァレリーは「これほど悲惨な戦争を止めることができなかったのは、知の限界である」と記しています。当時、世界の中心かのように振る舞ってきた西欧が積み上げてきた、「知」とそれに支えられてきた精神は危機的状況を迎えていました。

-あぁ。知を積み上げたとて、戦争を止めることができなかった。無力感にとらわれそうですね。

奥野:当然、人間を探求する「人類学」も精神の危機を前に、変わらざるを得ませんでした。
何を研究し、どう解決すればいいか?その解決の糸口として、ヨーロッパから離れて、「外部」へと踏み込んでいくことが提案されたわけです。フィールドワークという手法は、そういう背景から生まれました。

-あぁ。西欧ではない文化を実際に見てみようと。

奥野:私は、非西欧社会を「外部」と呼んでいます。「外部」を直接訪れることで、世界を見るヒントがあるのではないかと、マリノフスキはニューギニアへ赴き、通訳も介さず、現地語を学び、現地の人たちと共に生活しました。戦間期に青春時代を送ったレヴィ=ストロースは、ブラジルへ。フランツ・ボアズは、移民としてアメリカへ赴き、ネイティブ・アメリカンの研究をしました。彼らは、現地の人々が暮らす社会の内側から「生」を観察し、記述しました。
つまり、「外部」へ向けて雄飛し、まだ知られていない人間の「生」を鷲掴みにする試みこそが、フィールドワークだったわけです。

-フィールドワークは、単なる手法や技術というだけでなく、豊かな精神を取り戻すための切実なものだったんですね。

奥野:20世紀の人類学は、ヨーロッパの内部で人間の「生」を探究するのではなく、「外部」へと赴くことで、危機に陥った精神・知のあり方を刷新・再考するための学問に生まれ変わったわけです。

-人類学の背景には、常に現代社会との関わりがあったんですね。

奥野:えぇ。社会問題を背景に、「外部」へと答えを求める人類学のあり方は、現代も続いています。
例えば、現在も現役研究者のティム・インゴルドは、学生時代にベトナム戦争に影響を受けて人類学を志したことで知られています。彼は、ベトナム戦争における科学の傲慢さ、人文学がアクチュアルな問題にアクセスしないことにあきれ、その中間的な研究として、人類学を選んだそうです。

もう一度「人間とは何か?」を考える時代。

-人類学の研究は、私たちの社会へ影響を与えるものですか?

奥野:現代社会は、決して"生きやすい社会"とは言えませんよね。社会システムが、壁にぶち当たっていると言われながらも、それに対する突破手段を未だ持ち得ていない。
現代社会に感じる違和感は、現代社会の内側にいるかぎり突破できません。人類学を通して「外部」のあり方を知ることで癒すというか…困難な時代に対する処方箋にはなるのではないでしょうか。

-現代社会への違和感を抱える人が多いからか、近年、人類学はすごく注目されていますよね。

奥野:出版社の方にも「人類学ブームがきている」と言われたりしましたが、私自身はそんなに流行しているとは感じていないんですよね(笑)。

-そうなんですか!

奥野:社会のあらゆる場面で「人間とは何か」を問われているというのは、感覚的に理解できますけどね。

-どういうことですか?

奥野:例えば、昨年はChat GPTに代表される生成AIが注目された1年でした。ノンヒューマンがヒューマンらしく振る舞うことは、私たちにある種の不安を生み出してしまった。その他にも、地質学的に「人新世」と区分されるほど、人類の振る舞いが地球環境に対して絶大な悪影響を及ぼしている時代に我々は暮らしていますね。

-昨年は、温暖化を実感する災害も多かったように思います。

奥野:こうした不安や災害を背景に「人の営みとは何か」「人間とは何か」という根源的な問いに向き合わざるを得ない時期に来ているのではないかと思います。「人類学」というのは、まさに人間を総合的に捉えることが必要とされる学問ですから、注目が集まっているとしたらその辺りかなと思っています。

自分達の社会を見つめ直すヒントになる。

-実際、人類学はどのように処方箋として機能するんですか?

奥野:プナンの人々を例にします。先ほど、現代社会は、決して「生きやすい社会ではない」とお話しましたが、プナンの人たちは、私たちが感じているような生きづらさは感じていません。ふらっと現れた親父がエロ話でゲラゲラ笑っていたりして、馬鹿馬鹿しくも楽しい生活を送っています。

夜、狩猟キャンプで肉を焼くプナン。(写真提供:奥野氏)

奥野:彼らは、お金も持っていないし、ほぼ何も持っていない。彼らが持っているのは、山や森や川から獲れた獲物くらいで、我々の基準からすると全員が貧しい生活です。
ですが、驚くべきことに彼らは、私たちが実現したいと考えてきた「貧富の格差がない社会」を既に形成しています。

-へー!

奥野:私たちの社会には、ブルシットジョブなんて揶揄されるような、嫌な仕事ってたくさんあるでしょう。多くの人は、金を稼ぐことを一番に考えないといけないわけです。プナンの暮らしは、そういう暮らしのある種、対局にあるんです。全員がHAVE NOTで、HAVEとHAVE NOTの差がない。

-なるほど。

プナンの民については、奥野氏の著書『ありがとうもごめんなさいもいらない森の民と暮らして人類学者が考えたこと』(亜紀書房)に詳しい。

奥野:全員がそういった暮らしで、プナンの人たちは、反省も謝罪も、感謝もしないんですよ。これは私たちにとって衝撃ですが、同時に潜在的にどこか羨ましくも思いませんか?

-あれこれと、謝ることも多いですからね(笑)。

奥野:プナンの例のように、私たちとまるで違う社会のあり方を知ると「あ、こっちの方が楽になるんじゃないか?」と感じますよね。これが人類学から導く答えというか、ヒントだと思いますね。

狩猟小屋で吹き矢の練習をするプナン。(写真提供:奥野氏)
吹き矢で樹上の獲物を狙うプナン。(写真提供:奥野氏)
テナガザルを担いで狩猟から帰って来たプナンのハンター。(写真提供:奥野氏)

「貧富の格差」と「権力の集中」が起きないプナンのあり方。

-それにしてもプナンは、本当に私たちからは信じられない社会ですね。

奥野:私たちの現代社会の問題の中でも、「貧富の格差」と「権力の集中」は特に大きな問題だと思います。このような大問題を解決するために、世界中の知を集結し、学問を進歩させてきましたが、未だに解決に至らない。でも、不思議なことにプナンは、この二つとも解決しているんです。

-どのように解決しているんですか?

奥野:プナンでは森から獲った動物を、等しく平等に分配することで「貧富の格差」を解消しています。分かち合う精神に基づいたシェアリングエコノミーが浸透し、社会的振る舞いとして、シェアリングが徹底しています。これによって、全ての人類が拭い難く持っている独占欲が削ぎ落とされています。

-「権力の集中」はなぜ起きないんですか?

奥野:プナンにも「ビッグマン」と呼ばれるリーダーは存在します。ビッグマンは率先して、物やお金を分け与える人です。自分の持っているものは、服すら分け与えてしまうので、共同体の中で最もみすぼらしい格好をしているんですよ。

-服すら!私たちのリーダー像とはかなり違いますね。

奥野:ビッグマンには、アドホックなリーダーとしてお金や「あそこに獲物の足跡があった」などの情報が集まります。彼の言葉は、集団の中で、最も信頼され、しばしば起こる喧嘩の仲裁役としても活躍します。
ただし、ビッグマンも人間なので、当然独占欲は持ちうる。彼が自分のためにお金を使ったり、何かをため込むような素振りがあると、みんなが彼の元を離れて別の気前のいいリーダーのところへエスケープするんです。こういった仕組みで権力が芽生えないように作られています。

-独占欲そのものがないわけでなく、システムによって、工夫して、独占欲を抑えているんですね。

奥野:これらのシステムは、彼らの工夫と努力によって成立しているんです。西欧社会が散々努力しても解決できない「貧富の格差」と「権力の集中」が生まれない構造を、彼らは独自のシステムで作り上げているんです。

-ある種、洗練すら感じますね。

奥野:文明的には進化したはずの私たちは、未だに戦争をしたり奪い合ったりしているのに、「先住民」であるプナンはこの問題をすでに解決できています。さまざまな示唆にとんでいますよね。

閉じてしまった人類学を開く作業。

-奥野さんは、1月からYouTubeチャンネル「聞き流す、人類学。」をスタートされますね。

奥野:映像で伝わるものは、多いですからね。

-どのような思いからはじめられたんですか?

奥野:人類学の研究は、マリノフスキ以降「書く」ということを中心的に進められてきました。
1980年代〜2000年台前半は、「ポストモダン・ポストコロニアル」の時代と呼ばれています。この時代、人類学は文化を「書く」という方法論に対して反省を促されたんですね。

↑こちらが「聞き流す、人類学。」のYouTube公式チャンネル。

-反省?なぜですか?

奥野:当時のポストモダン思想の影響を受けて、人類学が、西欧側からの一方的な視点で、局所的な民族を取り上げて、記述することへの正当性を疑ったわけです。ある文化を書くことは、旧植民地宗主国の研究者の視点・感覚に貫かれているという問題が、人類学内部で発見されたのです。猛省の結果、2000年代には人類学は、「終わった学問」と言われるくらい面白さを失いました。

-あぁ。研究者の視点や感覚を否定すると、研究しにくいですもんね。

奥野:当時、人類学は学会内部で閉じてしまって、形式化していたんでしょう。非常に閉鎖的で蛸壺化していた。本来的には、こういうことは、どうでもいいんですよ。私たちは、「人間とは何か」を知りたいわけですから。
人類学という狭い業界においても「内部」が生みだされ、「外部」へと出ていく必要があったわけです。でも、それは、「内部」にいるとなかなか気がつかない。

-あぁ。人類学研究だけをやっているだけでは気がつかない。

奥野:人類学は終わったと言われた2000年代。私自身が、ブレイクスルーを探す中で、既存のやり方とは違う「外部」のやり方を試すことが必要だと考え、文学に範を求めたことがあります。他ジャンルを参考にしたことで、自分自身の「書く」という行為に力をもらえました。
現在も漫画やノンフィクション、エッセイにも挑戦していますし、他業種の人々や、今までと違ったやり方をするべきだろうと思うわけです。

-確かに、奥野さんは、幅広い作品をリリースされていますよね。

奥野:一度、閉じてしまった人類学をもう一度開く作業だと思っています。YouTubeもその一つですね。

-「外部」のやり方を試すためにも、YouTubeを始めるということですね。

奥野:21世紀が生み出したメディアの中でも、YouTubeには、まだ可能性が残されているのではないかと思っています。もちろん玉石混交で、どうでもいい映像も多いですが、有益なものも多く見受けられます。YouTubeは今後、アカデミアに匹敵するような、知が集積する無料プラットフォームになるかもしれませんよね。ともかく、模索する価値があると考えています。

-絵本作家の加藤志異さん、考古学者の石井匠さんと奥野さんの御三方が中心ですが、不思議なメンバーでワクワクしますよね。

奥野:お二方以外にも、全員で10人以上の仲間が集っています。YouTubeを運営をすること自体が、私自身の新しい学びになっています。

↑打ち合わせの様子からアップされている。

-新しい研究としても、機能してそうですよね。

奥野:人類学におけるフィールドワークという手法は「未開社会」だけでなく、近代社会においても可能だと思います。

-あぁ。日常の中でも、フィールドワークはできるということですね。

奥野:私が考えている人類学の本質は、フィールドワークやエスノグラフィだけでなく、振る舞いそのもの、たたずまいのようなものだと思っているんですよ。

人類学のたたずまい。

-人類学のたたずまい?どういうことでしょうか?

奥野:私も非常に影響を受けているティム・インゴルドは、こんなことを言っています。
歩くことには、二つの容態がある。一つは、トランスポート=輸送。もう一つがウェイフェアリング=徒歩旅行であると。
「輸送」とは、ある目的地に一直線に進むこと、「徒歩旅行」はあちこちに立ち寄ったり、その場所で得られた情報で、また別の場所に行ったりすることです。

-なるほど。「輸送」と「徒歩旅行」ですか。

奥野:「輸送」は、ある種の「目的論」です。例えば、ビジネスにおいても、何かを開発する際も、TODOリストに沿って、全てのリソースを使い、粛々と速度を持って目的を遂行しますよね。近代社会というのは、この「輸送」的な考え方でずっとやってきたわけです。
ですが、現在は環境危機・気候変動・戦争など、先の見えない不確定な時代です。日本国内においても、少子高齢化・年金問題…不安は多い。
そういう時代に「輸送」的=目的論的な考え方はフィットしないわけです。つまり、「徒歩旅行」的に行動するしかない。ふと、立ち寄り、得たもので不安を解消しながら次を目指す。

-「徒歩旅行」的に行動することが、人類学の振る舞い・たたずまいということですね。

奥野:ひとまず、行ってみる、やってみるというのが、人類学的なたたずまいと言えるかもしません。
インゴルドは、こんなことも言っています。"考えてから作る"ことは専門家的な考え方。一方"作ることを通じて考える"これは、クラフツマン=職人的な考えだと。
何か行動を起こし、行動を通して考えないと次には進めない。実践しなければ、考えることもできない。"考えてから作る"ような専門家は今の時代にフィットしないというようにも捉えられます。

-"作ることを通じて考える"職人的に行動するしかない時代だということですね。

奥野:えぇ。私たちの開設したYouTubeをやるというのは、とりあえず立ち寄り、やってみる、「徒歩旅行」的・職人的な意味合いがあります。こうした、人類学的なたたずまいというのは、これからの時代、意識していくべきかもしれませんね。

1月27日(土)開催予定【YouTubeチャンネル『聞き流す、人類学。』キックオフ・トークイベント】にも注目ください。

これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。奥野さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?

奥野:全てが失われてもいいんじゃないでしょうか。こだわらない、固執しない、我執がない方が良いと考えています。失いたくないものなどないです。

Less is More.

YouTubeチャンネル開設について聞くと「毎週の定例では、数時間に渡って議論をしているんですよ」と無邪気にお話してくださった。まさに、ブラブラと仲間たちと「徒歩旅行」を楽しむかのような姿が印象的だった。「人類学のたたずまい」とは、日常をフィールドワークのように楽しむことなのではないか。

(おわり)

この記事が参加している募集

みんなにも読んでほしいですか?

オススメした記事はフォロワーのタイムラインに表示されます!

公式Twitterでは、最新情報をはじめ、イベント情報などを発信しています。ぜひフォローお願いいたします。