ケルトから学ぶ、感性ベースの社会システム。その可能性。玉田俊郎氏インタビュー。
紀元前に、ヨーロッパの2/3もの地域を席巻していたケルトの文化。それほど広がったにも関わらず、私たちはケルトの人々や文化について詳しく知らないという人が多いのではないだろうか?
ケルトの紋様など、アイコン文化に着目し研究を続けてきた、玉田俊郎氏にお話をお聞きした。
-玉田先生は、元々はケルトの専門ではないんですよね?
玉田:元々は、インダストリアルデザインの研究が専門です。ケルトを研究するに至るまで、少し詳しくお話しいたしますね。
-よろしくお願いいたします。なぜ、インダストリアルデザインからケルトの研究もはじめられたんですか?
玉田:インダストリアルデザインというのは、「産業」全体のデザインのことです。産業革命以降のバウハウスや、英国のデザイナーであり思想家 ウィリアム・モリスなどに代表されるようなアンチインダストリーの視点を研究してきました。
-アンチインダストリー?
玉田:例えばモリスは「近代デザインの父」とまで呼ばれましたがイギリスが産業革命から大工業社会へ移行するさなか、逆行するように中世的な手仕事の美しさへと回帰しました。これには、工業化・大量生産による粗悪なプロダクトと、それによって劣化した居住環境・劣悪になった生活への批判が込められています。
-モリスってなんか植物をモチーフにした優しいイメージでした。産業にはアンチの姿勢だったんですね。
玉田:近代以前のヨーロッパは、生活圏が城壁で囲われ、その外に広大に広がる自然とは完全に遮断されていました。つまり、城壁の中だけが世界の全てであり、自然とは恐怖の対象だったんです。
-漫画・進撃の巨人を彷彿とさせますね…。
玉田:モリスと同時代に活躍したジョン・ラスキンという美術評論家も、自然をありのままに再現する「自然美」という思想を打ち出していたことからもわかりますが、当時のヨーロッパでは植物などの自然をモチーフにすることは、ある種のアナーキーなメッセージだったんです。
-自然の捉え方が日本とは違ったのですね。
玉田:モリスや、同じく19世紀の国際的な美術運動”アール・ヌーヴォー”に関わったアーティストは、ケルト文化に強く影響を受けていたことを知り、私のケルト研究が始まりました。
-専門的な研究の流れで自然に興味を持たれたんですね。
玉田:ケルトは現代にも非常に多くの影響を与えているんですよ。例えば、クリスマスはケルトの冬至祭の名残とも言われていたり、ハロウィンも夏の終わりを祝う祭が起源と言われています。その他に、現代の物語にはケルトの神話をベースに描かれているものも非常に多い。例えば、ハリー・ポッターシリーズは、魔法使いや妖精、ケルトの世界観をベースに描かれています。ケルトのモチーフも随所に散りばめられているんです。
-噂レベルで恐縮ですが、スタジオ ジブリの作品や、漫画・ワンピースなどにもケルト神話の影響があるのでは?なんて聞いたことがあります。
玉田:詳しくは作者に聞いて見ないとわかりませんが、影響はあるのではないかと思いますね。
-今回は、非常に魅力的なケルトについて、お聞きしたいと思います。
ヨーロッパ全土を席巻したケルトの文化。
-まずは、ケルトと呼ばれる人々は、いつ頃存在したのでしょうか?
玉田:紀元前500年くらいから、紀元400年にわたって存在した文化です。現在のハンガリーからアイルランドまで、元ヨーロッパの2/3にケルトの人々が住み、場所によって大陸ケルト・島ケルトと分けて呼ばれています。
-ものすごく、広大な土地に分布して暮らしていたんですね。
玉田:非常に広がりを見せたケルトですが、キリスト教の布教活動によって、アイルランドの一部に追いやられてしまいました。数多くいたケルト人たちは、宗教による支配でほとんどいなくなってしまったんです。
-現在もケルト人は残っているんですか?
玉田:現在は、アイルランドを中心にスコットランド、ウェールズ、フランス・ブルターニュ、ポルトガル、スペインごく少数ですがケルト語を伝える人々がいますが、"ケルト人"とくくれるほどには多くないと思います。
-そもそもケルトって民族なんですか?
玉田:民族というと一つの人種によって成り立っていることが多いと思います。その意味では、ケルトは、人種も部族も異なる人々がケルト人と呼ばれていましたので、一つの「民族」ではありません。複数の部族や民族が、独自の文化をベースに成り立っていたのがケルトのユニークなところです。
-独自の文化?
玉田:ケルトの文化について、まずは信仰についてお話ししますね。
ケルトの信仰と社会のあり方。
玉田:ケルトは自然信仰・日月信仰などのアニミズム的な信仰を持っていました。特に特徴的なのが、樹木信仰です。一番尊いのが樫の木とされていて、白樺、山査子…と時期によって大事にされる木を変えていくんです。
-樹木を神聖視していたなんて不思議ですね。
玉田:樫の木はケルト語で「ドル」と言うのですが、部族ごとにその名を冠したドルイドという神官・祭祀のような役職がありました。
ドルイドは、20年以上の歳月をかけて哲学や自然のこと、ケルト神話を勉強してその任につきます。多くの家庭で、自分の子供をドルイドにしたいと思うほど憧れられたそうです。
-ドルイドがそれぞれの部族を統治していたんですか?
玉田:実際に統治を行う部族の長は別にいました。ケルトは権力と祭祀を分けていたんです。
ドルイドは、普段は森の奥にいて、一般で言う労働はしていません。権力はないけれど、何か問題が起きると、民衆に正しい行いを教える役割でした。ドルイドの言葉には、部族の長も従ったそうです。
-少しだけ日本の天皇陛下と総理大臣みたいなイメージがありますね。
玉田:構造としては、近いのかもしれませんね。どうしても集団の中で権力構造は生まれてしまいますが、それを上手に避けるシステムになっていたのです。
-ある種の信仰をベースに異なる部族が「ケルト」として、まとまっていたなんてすごいですね。争いなどはなかったのですか?
玉田:非常に平和だったのではないかと考えています。アイルランドの発掘では、武器はほとんど出土しません。人骨などを調べても、争いによる破損は発見できていない。このことから、非常に平和な人々だったと考えられます。
-なるほど!
玉田:紀元前5世紀の中頃に活躍したギリシアの歴史家ヘロドトスが残した記述があります。それによるとマケドニアの王・アレクサンドロス1世にケルト人が謁見した際に「戦争で死んだりすることは、全く怖くない。一番怖いのは天が崩れ落ちることだ」と言っていたそうです。
-「天が崩れ落ちること」!
玉田:この記録からも、自然との調和を保つことこそが彼らにとって最大の関心ごとだったのではないかと考えています。発展するとか、他の部族や他人より富を得るようなことはまるで考えていなかったのではないでしょうか。
-どのように社会が成り立っていたのですか?
玉田:ケルトは、部族ごとに定住し農耕をしていたようですね。家畜を飼っていた跡も残っています。当時のヨーロッパは非常に温暖な気候で、食物の心配は比較的少なかったのではないかと思います。ヒエラルキーはなく、収穫物をみんなで等しく分け合っていた社会でした。
-貨幣制度はあったんですか?
玉田:はい、ケルトでは紀元前2世紀ごろから独自の通貨が製造されました。
ドイツのホイネブルグの遺跡では、当時のケルト人の工房が発見されています。分業もかなり進んでいたようで、彫金などの手工業の技術は現代と比べても遜色がないレベルだったようです。
-農業だけでなく、産業的なものはあったんですね。
言葉と神話。
玉田:信仰と併せて大事なのは、「ケルト語」です。ケルト語を話す人々=ケルト人と定義する考え方もあります。
-言葉によってケルト人と規定されていたんですね。
玉田:ケルト語には文字がなく、全ての文化は口伝によって継承されているんです。先ほどの手工業の技術なども全て口伝で伝えられていました。
-そうなんですね!文字による記録が残っていないんですね。
玉田:ある側面から見ると、文字というのは国家を作るために必要なものだったのではないかと思います。ケルトは「国家」ではないので、文字の必要がなかったのかもしれませんね。
-「国家でない」というのは非常に面白いですね。文字による記録が残っていないとなると、後世に研究しようとしてもなかなか難しいのではないですか?
玉田:そうなんですよ。ですから、先ほどお話しした、ヘロドトスの書のように周辺国家のテキストによる記録はすごく貴重なんですよ。
-なるほど!さまざまな文化を口伝のみ継承し続けるなんて、難易度が高いですよね。
玉田:そこで、大事なのが「ケルト神話」です。ケルトの人々は、伝えやすいように神話という物語にして語り継いだわけです。数多くの物語の中に教えや戒め、生きていく上で必要な哲学ですとか、ケルトの知恵を織り込んだんですよ。
-ケルトにとって、神話とはある種のルールみたいなものでもあったんですね。
玉田:そうですね。人間には絶対に超えることのできない世界を構築し、それらを上位概念として置くことで、平和に暮らせたんでしょうね。
-神話というファンタジーを信じることで社会が成立していたなんて、すごく面白いですね。
玉田:私は、信仰・言語・神話などと同じくケルトにとって「アイコン」というのがとても大事だったのではないかと考えています。
アイコンの意味を読み取る感性力。
-アイコン?えっと…「アプリのアイコン」とか、そういう意味のアイコンであっていますか?
玉田:そのアイコンのことです。「アイコン」を理解するために、「シンボル」という言葉との比較から話してみますね。
-よろしくお願いいたします。
玉田:「シンボル」というのは、あるものと置き換え可能なモチーフということです。特に意味もなく「あなたのシンボルは”☆”ね」といっても成立するのがシンボルです。
-あぁ。そこに意味や文脈がなくても、あるモチーフや画像をひとまず置いておけるみたいなことですね。
玉田:はい。一方、アイコンは、シンボルと違って、ある画やモチーフがある種の窓やドアのような、ある世界への入口なんです。先ほど「アプリのアイコン」とおっしゃいましたが、アプリのアイコンは、アプリの入り口であり、そのデザインは、アプリの内容ともつながっていますよね。
-確かにアイコンを押すと、そこから世界が広がるようなイメージがありますね。
玉田:アイコンという言葉の源泉は「イコン」、つまりロシア正教における「聖像画」です。つまり、アイコンというものは、その裏側に膨大な情報や意味を持っているんです。
-そのアイコンがケルトにもあるということですか?
玉田:ケルトには、文字がない代わりに紋様があるんです。代表的なのは、トリスケリオンと呼ばれる、3つの輪が渦巻いているアイコンです。アイルランドにあるニューグレンジと言う遺跡の前に置かれた石にも渦巻き紋様が描かれています。
-不思議な紋様ですね。これには、どんな意味があるんですか?
玉田:これは、「∞」という文字のように、終わりと始まりがなく絡み合っています。日本で言う輪廻転生や循環を意味していると口伝で伝わっています。
-へー!
玉田:この石は、神社の鳥居のような役割なんですが、まさに神聖な入口=アイコンです。この渦は、天体であり、やはり輪廻転生・循環を表しているものと思います。
-こういったアイコンは、ケルトにとって大事だったのですか?
玉田:ケルトの口伝で「視覚」について伝えられています。それによると、ケルトにとってのアイコンは、視覚的な言語、ある種の文字、言語以外のコミュニケーションツールとして捉えられていたのではないかと考えています。
-どういうことですか?
玉田:先ほどの石に描かれた渦巻き紋様を見ると、単純な幾何学模様ではなく全体が少し歪んでいたりしますよね。こういった歪みなどにもなんらか意味があったかもしれません。ただ、現代の私たちは、こういった紋様の意味やそこに込められた思いを読み取る能力が失われてしまったのではないかと思っています。
-なるほど。受け取り側次第で、アイコンに込められた情報が読み取れていないだけだと。
玉田:ケルトはヨーロッパの端から端まで、それこそ海を渡って文化が伝わっています。同じような紋様が文化圏全体に伝達していることからも、これらのアイコンがただの紋様ではなく、なんらかの意味を持っていたことは、充分に考えられるでしょう。
-私たちの感性では読み取ることができないのかもしれませんね。
玉田:まさに!私たちは、文字によるコミュニケーションや、効率性を重視したシステマティックな社会デザインが進むにつれ、感性が痩せてしまったのかもしれません。
本当は、ケルトのように、神話…つまりファンタジーや、対話、アイコンによって伝える方法もあったはずなんです。感性をベースにしたコミュニケーションというのは、本来人間が持っていたはずなんです。ケルトは、もっとふくよかな感覚や感性を持っていたのではないかと考えています。
ケルト的なあり方を社会全体で考えていくこと。
-ケルトは言葉や宗教、神話やアイコン…現代と比べると随分と不思議な社会だったんですね。
玉田:私のもう一つの専門がデザインマネジメントです。その観点から見ても、ケルトは現代に重要な示唆を与えてくれます。
-玉田さんは、一般社団法人 日本デザインマネジメント協会の代表理事であり、研究者でもありますよね。
玉田:はい。産業革命以降のインダストリアルデザインは、人と機械との関係が切っても切り離せなくなりました。主軸が機械や工業で、人間はサポート役になってしまったわけです。それを象徴するのが、当時の映画「モダンタイムス(チャップリン主演)」です。劇中でヒューマンエラーがコメディとして成立しています。完全に人間と産業の主従が逆転してしまったんですよね。
-産業主体の社会になってしまったわけですね。
玉田:産業主体の社会にもいいところはたくさんありますから、善悪を語るつもりはありません。ただ、近年は加速度的に技術が進み過ぎているのではないかと、私個人はすごく危惧もしています。個人では手に負えないような非常に複雑なプロダクトが増え、しかもデジタルでつながって抜け出せないようになっている。
-確かにそうですね。
玉田:そういった産業は、結果的に富の集中を生み出し、世界中で格差は広がり続けています。このままでは、気がついた時には取り返しがつかない状態になってしまうのではないかと思っています。
だからこそ、デザインマネジメントの領域についても、もっとケルト的なマネジメントってあり得ると思うんです。産業だけでなく、社会全体で模索するべきではないと思います。
-あぁ。ケルトを参考にした社会のデザイン、できたらいいですね。
玉田:特に日本には、そういった社会を形成できる可能性があると考えています。ケルトの文化を研究していると、日本の縄文時代の文化と類似点がとても多いんです。
-へー!面白いですね!
玉田:日本は縄文時代から現代に至るまで、神社などを介して、アミニズム的な文化がずっと続いています。普段私たちは意識していませんが、縄文的文化が根強く残っているのではないかと考えています。
-あぁ。神道とか神社って、宗教とも違う感じがありますもんね。
玉田:そうなんです。なので、日本には縄文的・ケルト的な文化を生み出せるチャンスがあると思うんです。
これからの世界で失いたくないもの。
-では、最後の質問です。玉田さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
玉田:何かと同化する気持ち・感覚を失いたくないなと思います。プロダクトでもデザインでも紋様でも、なぜそれが作られたのか、どんな思いで作られたのか、私たちの目に映るものには、そういう情報がたくさん込められているはずなんですよね。一つひとつ、きちんと立ち止まって見ること、感じることで意味合いが変わってくると思うんです。
-まさにケルトの感性を取り戻すようなイメージですね。
玉田:えぇ。ケルトの祭祀・ドルイドは、何もないときは、森の奥で一日中空を見ていたそうです。空を見ること自体が仕事でした。私は、もっとそういうことを大事にしていくべきなのではないかと思っています。
Less is More.
ケルト文化、聞けば聞くほど魅力的で、不思議だ。現代を生きる私たちも、もっとファンタジーをベースに色々なことを話したり、システムを作ってみても面白いのかもしれない。
(おわり)