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家族と少子化。これからの社会を考えるヒント。筒井淳也氏インタビュー。

社会学者の筒井淳也氏は、家族や結婚、少子化について、データや、エビデンス、歴史、様々な角度から問題提起をされてきた。時に書籍を通して、時に政府への提言の中で。少子化の一途を辿る日本で、「家族」とはどのようにその意味と役割を変えてきたのか、そしてこれからの社会をどのように考えていくべきか。そのヒントについて筒井氏にお話しいただいた。

筒井淳也:1970年、福岡県生まれ。立命館大学産業社会学部教授。『結婚と家族のこれから』『仕事と家族』などの著書がある。

家族はよくわからないもの。

-筒井さんは少子化・家族・仕事などさまざまな研究を手がけていらっしゃいます。

筒井:私たち研究者は、公的資金を使って研究をするケースが多いですよね。特に大規模な社会調査の場合、数千万円かかることもあります。ですから、社会的な課題に応える必要がありますよね。そういう理由から、日本が直面している少子高齢化や家族の問題を研究テーマにしています。もちろん、個人的な興味・関心も重要な出発点にはなっていますけどね。

-まずは「家族」についてお聞きしたいのですが、筒井さんはなぜ家族という研究テーマに着目したのはなぜですか?

筒井:家族って、私にとってずっと謎なんです。未だにどう説明したらいいのか、よくわからないんですよ。

『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)』筒井 淳也 (著)
家族や結婚といった、誰にも関係のあるテーマから現代社会を分かりやすく描き出してくれる。

-何か、個人的な体験がおありだったりしないんですか?

筒井:何か特別な体験があったわけでなく、研究として調べていても、家族って変なものだと思うんです。例えば、普段の生活の中で、えこひいきみたいなことって、みんなあまり良しとしませんよね。ですが、家族となるとひいきがあまり問題になりませんよね。家族だけ、なにか特別な扱いを受けているように感じませんか。

-あぁ。家族だからって許されることは、法的にも感情的にも多いのかも知れませんね。

筒井:結婚というのも不思議です。大人が長期間の共同関係を持ったり、共同生活を保つには、多くの人が結婚もしくはそれに類する関係に絞られるわけです。きょうだいや、あるいは友人同士で老後の共同生活をしている方は、非常に少ないですよね。そういうことから、家族への興味を持ったんです。

多様な価値観で揺らぐ「家族」の定義。

-筒井さんの『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)』を読んでも、家族って良く分からないものだと感じました。

筒井:社会学における定義はある程度可能なんですよ。社会学では、人々の定義は、自分たちが「こうあるべきだ」と考えている一般的な規範と結びついていることが多いと言われています。ですから、現代における大多数の方が「家族ってこういうものだ」と捉えている姿から逆算することで、定義できると考えています。

-どのように定義できるんですか?

筒井:現代では、家族は「覚悟を持ってその人と付き合っていく、自分の人生を犠牲にしてもその人を最低限、助ける関係」と考えられていることが多いです。家族は「それを引き受ける覚悟がある、もしくは周囲からそういう覚悟を期待されるもの」だと定義できるのではないでしょうか。
友人が本当に困っていた際に、自分の人生を犠牲にしてまで救う人は稀ですよね。介護なども「家族のやること」と考える方も多いと思います。多くの人はものすごく困った時に、結局は家族しか頼れないと考えている。ということは、我々は、家族をそのような存在として捉えているということですよね。

-確かにそうですね。

筒井:確かに介護や貧困など、重いケアの問題を抱えていない家族の場合、情緒や愛情でつながっているケースが多いので、こういったつながりこそが家族の特徴だ、と考えている人もいるかもしれません。ですが、こうした関係は、友人や恋人など、家族以外のつながりでも代替可能です。ですから、家族の定義にはなり得ない一方、重いレベルでの助け合いができるのは、ほとんど家族しか選択肢がない。現代的に一番シンプルに定義するなら、家族とはそのようなものではないでしょうか。

-定義をお聞きすると、家族というものがすごく重いものだと感じますね。

筒井:ただ、現在の日本では、すごく困ったり、人に頼らないといけない場面って、そこまで多くないですよね。サービスも色々と整っていますので、お金さえあれば解決できてしまうケースも多くあります。なので、家族というのをあまり意識しなくても生きていけるんだと思います。

-普段は、別に重いと感じることもなく、暮らせているのかもしれませんね。

筒井:以前は、結婚や家族を持つ意味が「生活の安定」「子どもを作ること」という時代がありました。現代では、結婚しても子どもを作らない家庭はごく一般的ですよね。それによって非常に家族の形態も多様化した一方、何のために結婚して家族を持つのか、よく分からなくなっているのではないかと思います。

-多様化の裏返しで、家族や結婚がよくわからなくなっているのかも知れませんね。

筒井:それでも私たちは、それぞれの多種多様な価値観をベースに結婚し、家族を作ります。虐待など、家族がいることによるリスクもあると思いますが、比較すると家族がいないリスクの方が高いのが、今の社会なのかもしれません。家族を頼りにしないと難しいシチュエーションもあり、他方でそうでない場合は多様な価値観が生まれてきている。それが近年顕著な状況ではないでしょうか。

頼れるのは、家族か、国か。

-いざという時に頼れるのが家族だけというのは、不安ですよね。

筒井:現在、助け合いができるのは家族以外ですと「国」なんですよね。医療や年金などの社会保険、生活保護などの公的扶助といったサービスは、国のレベルで提供されています。家族か国か、助けを求める選択肢が二極化しているのが、近代国家の特徴と言えると思います。

-間のサイズで頼れるものがないんですね。

筒井:以前は、「村」とか「同族」「同職」など様々なサイズの共同体で助け合えるシステムがありました。これらの文化は、完全に失われたわけでなく、現代でもうっすらと残っていますが、生活に困ったら何らかの共同体に頼ろう、という発想ってほとんどありませんよね。

-あまり考えたことがないですね。

筒井:企業なども生活まで助けてくれることはほとんどありません。基本的には労働に対して、対価を得るための共同体です。

-やはり、身近なところでは、家族で助け合うしかないんですね。

筒井:加えて、家族もかつての社会と比べて、役割が小さくなっています。昔の家族は、雇われている使用人なども家族同様に扱われる、一種の"会社"のような側面もあったんですよ。

-小さくなった家族以外は、国家や行政しか選択肢がないということですね。

筒井:行政は、硬直的で杓子定規でしか動けない側面があります。それは一部には、あまり裁量を自由に許してしまうと、例外が多く出てきて不公平だ、といった批判が生じる可能性があるからです。それによって助かる人もいますが、ひいきも生み出してしまう、ということですね。また、行政はアウトリーチが苦手とも言われています。行政サービスは、基本的に自分で助けを求めるために手を挙げた人にしか届かない「申請主義」なんですよ。

-自分で調べないと、知らない制度がたくさんありますもんね。

筒井:そうです。多くの人にとっては、どんな支援制度があるかなどはわからない。行政との繋ぎ役、相談できるような中間的な団体が、もう少しきめ細やかなサービスをできるよう、行政と連携する必要がありますよね。行政は、資金を提供する役割に注力するのが理想ではないでしょうか。

-きめ細やかなサービス?

筒井:具体的には、地域の人が定期的に独居老人を訪問するとか、そういうことが必要だと思うんです。そういった動きは、少しずつ増えていて、行政も中間団体を頼りにしだしています。が、中間的なサービスは、まだまだ足りないのでもっと多くの選択肢があってもいいと思います。

-どのような選択肢が考えられますか?

筒井:例えば、海外では教会ですとか宗教団体がそういった中間の役割を果たしているケースも多いんです。

-あぁ!なるほど!

筒井:ただ、日本の宗教団体はそういった側面があまり目立ちません。ただ、ごく一部の寺院では、共同墓に関連したサービスが生まれています。家族を当てにしなくても維持できる共同墓を提供するだけではなく、共同墓に生前に申し込んだ会員を集めて、ゆるいコミュニティを作っているそうです。将来一緒のお墓に入る方同士なので、助け合いにも前向きになれるのかもしれませんし、ビジネスとしても成立しているのは参考になるのではないかと。

-面白いシステムですね。

筒井:中間的な集まりというと、フォーマルな場やビジネスを想像されるかもしれませんが、もっと色々な選択肢があってもいいと思うんです。「人が集う」そのこと自体を目的とした組織…例えば、高齢者が参加できる趣味のサークルなどは多くありますが、そういった団体にも期待できるように思います。

-全く新しいサービスでなくてもいいのかもしれませんね。

筒井:ただ、問題はそういった団体にも参加していない孤立した方々がいるということです。孤立している方は、手を上げることをしない、もしくは、できなかったりします。ですから、もっと生活サポートを気軽にできるような団体は増えた方がいいと考えています。直接的に介護したり、生活サポートをしなくても、行政サービスを紹介するだけでもいいと思うんです。

-少し気楽な印象ですね。

筒井:現在、東京だけみても、生活保護を受けている高齢者世帯が約12万世帯もあります。誰にとっても人ごとではなく、当事者になり得る問題です。家族が不安定化しているので、ますますそういった中間的な団体の重要性は上がっていると思いますね。

「家族主義からの脱却」は可能なのか。

-先生は、『結婚と家族のこれから 共働き社会の限界 (光文社新書)』の中で印象的だったのが「家族主義からの脱却」です。あらためてお話いただけますか?

筒井:障がいを持った際や、介護が必要になったとき、失業時など、「いざという時」に、家族しか頼れないのは、リスクも高いし、かえって不自由でもありますよね。では、もしも、行政や国家、中間団体が「いざという時」の面倒を見てくれるのなら、個人の人生を犠牲にしてまで誰かの面倒を見なくていいですよね。

-そうですね。いざという時を気にせず、安心して暮らせそうです。

筒井:つまり、みんなの助けで、みんなが「自立」する。それはひとつの理想の形でもあると思います。そういう社会を想像すると、知人や家族同士で重い助け合いをする必要は無くなりますから、「家族」という単位は必要なくなるのではないかと思います。

-現在の家族の定義から考えるとそうですね。

筒井:もちろん、その上で結婚したい人はすればいいと思いますし、家族を持ってもいい。成人間の関係は、自由にしたらいいと考えています。ただ、そういうある種の理想的な社会で、問題となるのは子どもをどう作り、どう育てるかですね。どれだけ成人間の関係が自立し、自由になったとしても、親子間の関係は個人化しませんからね。

-そうですよね。

筒井:社会保障システムの維持可能性という意味でも、個人の自由ってことで好き勝手に生きれるかというとそういうわけにもいきません。
人間は年齢と共に生産性が落ちてきますから、それを支える仕組みは必要です。労働力などは移民などで解決できるケースもあると思いますが、それだけでは解決できない問題も多くあります。

-維持可能性を考えると、自由すぎても成立しないのかもしれませんね。

筒井:私自身も、誰もが自由で多様で構わないと思いますが、そういった社会保障システムのことや、次世代のこと、維持可能性まで織り込みずみで結婚や家族の議論をしている人は、どれだけいるのだろうと疑問はあります。

-理想的な社会保障と次世代ってなかなか両立が難しいのでしょうか。

筒井:そうでもない思いますよ。リスクは国や行政が担当し、成人間で自由な関係を結べるようにする。それに加えて子育てをする親の権利や補償なども充実させる。この二つを意識すれば、そんなに難しいことではないのではないかと思いますね。

-そうお聞きすると、可能に思えてきました。

筒井:ただ、不思議なことに、人類の歴史からみても、成人間のカップルって、多くのケースでは2人という単位が基本になっているんです。世界中、多くの社会は「2人」をベースに形成されているんです。

-ということは、自由な関係が結べるようになっても、今とあまり変わらないのかもしれませんね。

筒井:もちろん例外は数多くありますよ。でも、例外ということですので、やはり数は圧倒的に少ないわけです。現在もポリアモリーのような選択肢はありますが、少なくとも日本では有名人がそういった生活をするとニュースになるくらい珍しいですよね。もちろん例外から学ぶこともたくさんありますが、少し未来を考えてみても、3人以上のカップルが当たり前になる見通しって、今のところあまりないように思うんです。

-自然と2人という単位でくっつき合うのは、ちょっと不思議ですね。

筒井:不思議ですよね。2人というのは、移動可能性が高まると言われてたりします。シンプルに考えると家族がたくさんいると引っ越しをしたりするのも大変ですが、2人だとある程度簡易ですからね。
あるいは、2人でいることは、それ以上の人数よりも情緒的に関係が安定するのではないかとも考えられますが、まだよく分かってはいないんですよ。

「バランスの取れた少子化対策」とは。

-先ほど子どもを作る話が出ましたが、筒井さんが提唱されている「バランスの取れた少子化対策」についてお聞きしてもいいですか?

筒井:少子化対策については、割とシンプルに「子育て支援」だと捉えている方が多いんですよ。しかし日本の少子化は、結婚する人が減ったことが大きな原因です。ですから「子育て支援」だけでなく、結婚しやすい環境、生活や生き方の支援することも重要です。どちらかひとつを実施すれば解決するわけでなく、どちらもやることが必要なんです。「バランスの取れた」というのは、考え得る施策を「全部やる」ということなんですよね。

『未婚と少子化 この国で子どもを産みにくい理由 (PHP新書)』筒井 淳也 (著)
データ・統計といったエビデンスを元に、客観的視点で少子化の原因について学ぶことができる。

-あぁ。子育てだけ支援しても、解決しないということですね。

筒井:多くの人は、ある状態に対して、「これをやれば解決」という究極の解決方法があると思い込みやすいんですよね。そんな単純な問題でしたら、とっくの昔に解決しているわけです。問題が持続的に残っているということは、そういった魔法のような解決方法はなく、地道に、総合的に解決するしかないということです。

-シンプルに考えたい気持ちは、わかりはするんです。少子化対策って、どこから考えたらいいか分からなくなるんですよね。

筒井:順序から考えると、賃上げや雇用の安定から考えるといいかもしませんね。将来の見通しがつきやすくなるので、家族を作りやすくなると思います。加えて、働き方改革も同時に進めないといけませんし、子どもを作った後の色々な不安材料を解決する施策も同時に進めるべきでしょう。…やはり、どこからというより、全部やるしかないんじゃないかと思いますね(笑)。

-お聞きしていると、確かに全部やるべきですね(笑)。

筒井:ネガティブに考えれば、全部やったとしても、もう少子化は止まらないかもしれない。それでも解決を望むなら、全部やるしかないと思います。
もし、シンプルに考えたいのでしたら、「18歳~22歳くらいの学卒時点の皆さんが、将来を思い描きやすくする」ということかも知れませんね。未来が明るくないと、結婚や子どもを作るどころではないですからね。

-あぁ。そういうイメージで共有するのは、とても分かりやすいですね。

マジカルな方法はない。

筒井:概して、社会設計を構想する際には、大きな合意が取れるところからやってみることが重要です。例えば「出自による格差が大きくならないように社会設計をする」こと。これは、社会学だけでなく、現代哲学などにおいても合意が取れると思います。「自己責任でないのに引き受けてしまった困難に起因する格差をなくすべきだ」ということです。これに反論するのは、なかなか難しいのではないでしょうか。

-あぁ。みんな、概ね賛成できることから考えようということですね。

筒井:政府も基本そういった合意に基づいて、制度設計しているとは思います。大枠ではそうなっていると思いますが、なかなか未来の世代に対してどこまで責任を持つのか、というのが難しい点ですね。
多くの人が、間違いなく未来の世代の必要性を感じながら、現在の利益を優先させてしまったり、後ろめたく資源を浪費しているのが現状ではないかと思います。きちんと話をすり合わせていけば未来の世代はどうだっていいんだという結論には至らないと思っています。でも、人間はなかなか聖なる存在にはなれないといいますか、そういうものなんでしょうね。

-どうすればいいとお考えですか?

筒井:みんなで考えるしかないと思いますね。何かマジカルな方法はないときちんとみんなが認識すること。その上で、話し合い、合意を得て、制度設計するしかない。
一番良くないのは、何か魔法のようなうまい方法があると考えてしまうこと。ある天才が全てを解決してくれるとか、すごいシステムができるとか。それはありませんから。一人一人が当事者意識を持って、学んで、考えて、少しずつ解決するしかないと思います。そこからは逃げられないと思います。

-泥臭くとも、そうしないと解決しないのですね。

筒井:きちんと意見を言うためにも、少しだけ知識を学ぶことが必要だと思います。そのこともあり、皆さんと知識を共有していけるように、書籍を書いたり、活動をしているんですよ。

これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。筒井さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?

筒井:知的好奇心です。常に自分の知らないことを勉強し続けて、自分自身の考え方が変わるという感覚は持っていたいですね。
すべてがわかったみたいな境地には達しないものだと思っていますし、常に自分は間違ったことを言っているのではないかと疑問を持っていたい。そのためにも、知的好奇心は、失いたくないなと思います。

Less is More.

少子化のことを考えると、なんとなく日本の未来が暗いような気がしてしまう。そんな方も多いのではないかと思う。ただただ、憂うだけでなく、学び、考え、話し合う。筒井氏は、とても冷静に私たちを勇気づけてくれるように感じた。

(おわり)


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