ソーシャルディスタンスで失われた物語を、僕たちは再構築する。科学文化作家・宮本道人氏インタビュー。
コロナ禍において急速な展開をみせるリモート社会。その中で「ソーシャルディスタンス」は、新しい生活様式の規範となるばかりか、人と人との距離感や関係性まで再定義した。大きな変化を余儀なくされたのが、芸術をとりまく世界である。リモート社会において、アートから失われるもの、そして生まれるものとは何だろう? 緊急事態宣言下で、「ディスタンス・アートの創作論」を寄稿した科学文化作家の宮本道人氏に話を聞いた。
宮本道人:1989年東京生まれ。東京大学大学院理学系研究科博士課程修了。博士(理学)。筑波大学システム情報系研究員、株式会社ゼロアイデア代表取締役。開かれた科学文化を作るべく研究・評論・創作。編著『プレイヤーはどこへ行くのか』、協力『シナリオのためのSF事典』など。人工知能学会誌にて原案漫画「教養知識としてのAI」連載中。日本バーチャルリアリティ学会誌にて対談「VRメディア評論」連載中。
コロナ禍で失われたものを、〈科学文化〉で定義する。
-宮本さんは〈科学文化作家〉と名乗っていますが、もともと専門は神経科学だとか?
宮本:はい、大学院時代は物理学専攻で神経科学を研究して、今はサイエンスライティング的なお仕事をすることが多いです。並行して文芸評論も執筆していまして。特に新興メディアやその特性に興味があり、「ディスタンス・アートの創作論」を寄稿したのもその流れです。
-神経科学と文芸評論。両者は近くて遠いジャンルだと感じますが、宮本さんの中でこの2つってどのように関連づいているんですか?
宮本:もとはと言えば「現実とは何か?」を考えるのが好きで。〈現実〉を分析するツールとして素粒子物理学や脳科学があり、現実と対極にある〈虚構〉を紐解こうとしたとき、今度は文化に関心が湧いてきたわけです。
-なるほど。対になっているわけですね?
宮本:対になっていると同時に、両者は絡みあっています。科学を「普遍的な真理」と捉える人も多いと思いますが、科学は「人間が真理に至ろうとするプロセス」であり、人間の文化的な営みでもあります。科学技術は他の文化からも影響を受けて発展しますし、逆に他の文化も科学技術の影響を受けます。ディスタンス・アートもこれに当てはまります。コロナ禍で人間の行動様式が変容を迫られた結果、人類が科学技術社会を築き、その上にアートが作られる、というサイクルの速度に圧がかかっているのです。
-ディスタンス・アートって、どこかネガティブな思考で「仕方なく創っている」という感覚をもっている人も多い気がします。
宮本:おっしゃる通り、現実や生のパフォーマンスの代替物と捉えられていることが多いですね。そこに対して別の評価軸を提示したくなったのが、論を書いたモチベーションの1つです。別次元の文化として存在し得るものだし、これを研ぎ澄ましていった未来にはさらに違うものが見えてくるだろうと。
-宮本さんは、コロナ禍でアートから失われたもの・失われつつあるものは、なんだと考えていますか?
宮本:失われるというか、すでにいったん途絶してしまったと感じているのが、作品を取り囲んでいた〈物語〉です。象徴的なのが、ライブ文化だと思います。ライブに行くと、たとえばいつも会場で会う友人と交流したり、アーティストのMCに一喜一憂したり、そこで体験する一連の思い出がリアルな〈場所〉に積み重なりますよね?アーティスト側にも、「武道館を目指す」というような〈場所〉に紐づいたストーリーがあったりしたわけです。
ところが、コロナ禍でライブハウスやリアルな場所は閉ざされ、そこに紐づく物語も止まってしまいました。ウェブ上で同じように〈場所に紐づいた物語〉を紡げるかというと、現状、代替案といえるものは登場していません。人はやはり、物語に感動したり、それゆえに応援したくなったりするもの。今後は「物語を創ることができるか?」がポイントになるでしょう。
-YouTubeなどの動画メディアには楽しみ方・物語がすでにできているようにも思います。
宮本:メディアに「er」を付けて「ユーチューバー」という名前も成立していますしね。YouTubeという〈場所〉に紐づく〈物語〉が創られていった証拠だと思っています。ただ、どうしても現状の動画配信フォーマットだと、物語をリニアに積み重ねにくい。例えば、検索などのリアルな問題もありますし、情報が物量に流されてしまうんです。「ディスタンス・アートの創作論」を執筆したのも、今おきていることを誰かがまとめておかなければ、後から追えなくなると思ったのがきっかけだったんですよね。
リアルを増すために、ディスタンス・アートには何が必要か?
-これからの時代にふさわしい物語の紡ぎ方とは。アイデアはありますか?
宮本:ポイントは〈空間の感覚〉じゃないかと思っています。分かりやすく、ディズニーランドを例に挙げてみましょうか。園内には、トゥモローランドやアドベンチャーランドという風に、テーマをもった空間がいくつも存在していますが、それらはうまく区切られています。ですから、コロナ以前は、場所を移動することで、ひとつの物語から別の物語へと〈移動〉できたのです。比喩的な言い方になりますが、このように出発地や目的地だけでなく〈移動〉自体も重視したメディアはあまり出てきていません。
-実際、映像が変わっても、私たちの体は、現実世界で同じ部屋にいますもんね。
宮本:そう。自分の体が移動した感覚が得られないということです。これは、神経科学的にも身体性の拡張という観点から語ることができます。箸で豆をつまむときを想像してみて下さい。箸自体の感触については意識せず、なぜか豆の感触を直接感じますよね。
-はい。
宮本:人間は自らの身体の認識「ボディ・スキーマ」を脳内に持っているのですが、箸を持つとその先端にまでボディ・スキーマが拡張されて、実際に体には触れていないのに、箸の先で豆の感触を得ることができるんです。これは〈空間の感覚〉を活かすヒントになります。例えばラッパーのTravis Scottさんがゲーム「フォートナイト」内で開催したコンサートについて考えてみましょう。
↑ゲームの空間内で行われたTravis Scottのライブ。なんと1270万人も集客した。
この試みでは、視聴者がゲーム内で自分のキャラクターを移動させることができました。それによって、ライブ会場に行って身体で音楽を聴いている感覚に近いものが得られるわけです。
-ツール類でも注目しているものはありますか?
宮本:「spatial.chat(スペーシャルチャット)」に注目しています。自分の顔が映ったウィンドウを移動させながら、人と話ができるチャットツールです。人のウィンドウに近づくと音が大きくなったり、離れたら小さくなったり。空間にいる感覚が得られるんです。
↑spatial.chatは、オンライン上の空間感覚を感じさせてくれるツール。
宮本:ディスタンス・アートだけに限って俯瞰してみても、完成度の高いものには空間を感じるんです。たとえば、アイドルグループのlyrical schoolによるREMOTE FREE LIVEのvol.2。シンプルな画面構成ながらも、メンバーが奥行き方向に動いていたり、カメラからフレームアウトしたり、それぞれ自分のいる空間を活かしています。当日の配信ではチャットにメンバーも登場し、現実のライブでは不可能なコミュニケーション空間が生まれていたのも印象的でした。
音楽動画だと、あとは在日ファンクの「はやりやまい」。
ヴォーカルの浜野謙太さんがカメラを持って動き回るんです。ああいう風にすると空間が見えてくるんだと思いました。
物語までのプロセスを再設計する。
宮本:フィジカルな移動…例えば自宅からライブハウスへ辿り着くまでを想像して欲しいんですが、電車に乗ったり車を使ったり、〈移動〉というのは物語に到達するまでの、それぞれの物語として重要だったんです。
-あぁ。移動が、「物語そのもの」と同じくらいに大事だったってことですか?
宮本:そうです。ディスタンス・アートは、自宅にいながらアクセスできるので、〈移動〉が失われてしまう。だから、新しい形の〈移動〉=物語に付随する〈プロセス〉の再設計はこれから必要だと考えています。
-〈移動〉ってどれくらい重要なファクターだと思っていますか?
宮本:ちょっと、根源的なお話をしますね。動物は、人間も含めて、〈縄張り意識〉を持っています。自分の縄張りから出て〈偵察〉をして、安全な場所を見つけたら〈移動〉する。新しい場所に移動するまでのプロセスを、物語として記憶していくわけです。自宅から出て、新しい誰かと出会って、その移動のプロセスを物語に紡ぎ、記憶を持ち帰って自分の経験にする…という生活様式が成立していました。
宮本:ところが、コロナ禍が状況を変えました。例えば「zoomで知らない人と飲み会をしましょう」となった場合、自分の家=縄張りから他人にアクセスするという、今までの生活様式にない、イレギュラーな状況が生まれてしまう。すると縄張り意識に脳のリソースを割くことで楽しめなくなったり、そもそも他人に縄張りに入られて緊張したくないから繋がりたくなかったり、といったことが起きてしまうんです。
-アフターコロナ・ウィズコロナでは、プロセスを設計する必要があるんですね。
宮本:そうです。そのプロセスをどう設計するかを考えるのは大事ですね。
リスクだらけの世界には、価値観の多様性が不可欠。
-今回、宮本さんが〈ディスタンス・アート〉という概念を生んでくれたことで、その大きな可能性を感じています。〈空間〉という課題などをクリアしていった先に、まだまだ面白くなりそうですね。
宮本:〈空間〉〈プロセス〉だけでなく、〈ラグ〉をどう楽しませるかということがディスタンス・アートの課題なんですよね。ラグ自体は、5G時代だろうが、仮に5億G時代が到来しようが、人間が宇宙に広がっていけばいくほど通信にかかる時間は大きくなって永遠に“ラグい”んです。ところが人間という生き物は、わずか0.1秒以上ラグがあると違和感を覚えると言われている。
なので、今後は、ラグありきのアートやテクノロジーの設計が必要だと思います。そのためには、欠けている部分を“補う”方法論だけではなく、欠けている部分を“利用する"方法論が登場することにも期待しています。
-欠けている部分を利用する?
宮本:例えば、YouTubeLiveのメイン画面でラグが発生している間、チャット欄を見る余裕ができて逆に楽しかったりすることがあります。そのように、ラグをなかったことにするのではなく、ラグを上手に使う、ラグを魅力的に見せる設計というのは可能なはずです。
-そういう課題感も、すべてコロナ禍が見せてくれました。今後、リアルなライブとディスタンス・アートは、どちらも支持される時代になっていくのでしょうか?
宮本:並走していくと思います。コロナ禍によって急速に発展したリモート社会が、今後もっと大きな災害によって打撃を被る可能性だって否定できません。そういう場合、今度は逆に、全くリモート技術を使わないアートが重視されるかもしれない。
宮本:いつか電力がスムーズに供給されなくなったら? 太陽フレアの影響で電力網や通信に被害が及んだら? …我々はありとあらゆるディザスターを想定しておかなければならず、同時に、ディスタンス・アートのように、それに対応した色々なアートのチャンネルを準備しておくことが必要になってくるのではないでしょうか。
宮本:文明のレベルが高度になると、ディザスターリスクも飛躍的に高まります。グローバル社会では、グローバルにそのリスクを共有している状態です。ウイルスの感染拡大にも、まさにこういった背景があるわけです。こう考えると、災害間発生のスパンがどんどん短くなっていっても不思議ではないんです。いつか、被災している期間が被災していない期間を上回る年が続くかもしれない、という可能性も視野に入れて、アートの将来像を考えた方が良いと思っています。
これからの世界で失いたくないもの。
ー最後に、宮本さんにお伺いします。世の中から絶対に失くしたくないものは、何ですか?
宮本:〈選択肢の多様性〉ですね。災害が起こると、もともと弱い立場の人間が取り得る選択肢の幅はさらに狭まります。「Black Lives Matter」に関連する一連の流れは、それを映し出したという側面もあると思います。選択肢は注意を払っていないといつの間にか失ってしまっている場合も多いので、選択肢をどう守れるか、別の選択肢をどう作り出せるかなどを常に考えておくことが、復興や防災のキーに成り得ます。「ディスタント・アート」も、アーティストにとっての新しい選択肢と言えますよね。こうした多様な選択肢がうまく組み合わさり、これまで誰も考えていなかった選択肢を作り出せたら、世界も次のフェイズに進めるのではないでしょうか。
Less is More.
私たちの社会は、コロナ禍でどう変わるのか。アフターコロナ・ウィズコロナ…言い方は山のようにある。
宮本氏が定義した「ディスタンス・アート」からは、「ネガティブな要素によって失われてしまった物語を数えるよりも、新しく生まれた選択肢をポジティブに楽しみ、世界をネクストフェーズに進めよう。」そんなシンプルで豊かな未来への提案を感じる。
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(おわり)