歴史と文脈から考える、新しい地方都市復興。君島真実氏インタビュー。
栃木県 那須塩原市にある高林は、失礼ながらよくある地方の一地域と言える。人口も緩やかに減少し、産業も同じように衰退している。
そんな街に「河内屋(かわちや)」という駄菓子屋がオープンした。オープンしたというよりは、2005年に廃業したお店を再び復活させた。
そのプロジェクトの中心にいたのが、地元にある曹洞宗の寺院「高林寺」の副住職の君島真実氏。君島氏は、2018年忘れ去られた夏祭りを復活させ、今回の駄菓子屋を復活させた。一見関連なさそうではあるが、実は地方の文脈を紐解くことでとても自然な復興運動であるそうだ。
地域の歴史・文脈をきちんと噛み砕くことで新しい地方のあり方のヒントが見えるかもしれないインタビュー。ぜひ、ご一読ください。
-君島さんは、普段はお坊さんなんですよね?
君島:そうなんです。私は、駒澤大学仏教学部を卒業後、永平寺での修行を経て曹洞宗の僧侶になりました。現在は、駄菓子屋・河内屋からすぐ近くの高林寺という寺の副住職を勤めています。
-お生まれからこの栃木県那須塩原市高林なんですか?
君島:私自身、生まれは千葉です。2011年31歳の時に、この高林寺に婿入りしました。
-全然別の地域から移住されてきたんですね。
君島:そうなんです。高林のことを何も知らずにこの地域で暮らすことになったんです。地方の場合、お寺って地域の色合いがまだまだ色濃く残っている場所なんですね。例えば、葬式ですとか法事などで地域の皆さんが集まって話機会が多いですよね。なので、そういう地域の文化のど真ん中にいきなり放り込まれたような感覚はありましたね。
-そんな状態から約10年。まずは、なぜ高林という地域で「現代のたまり場」として駄菓子屋さんを復活させることになったのかをお聞かせいただければと思います。
君島:よろしくお願いいたします。
「みんなでやる行事」がなくなり衰退した地域で。
君島:実は自分自身、駄菓子屋をやるなんて思っても見なかったんです。高林の歴史や背景があって、結果的に駄菓子屋を復活させることになったんです。
-では、河内屋をオープンするまでの経緯をお話しさせてください。
君島:少し長くなります。先ほどお話ししたように、右も左もわからない状態で高林で暮らし始めたわけですが、とにかくこの場所がどういう場所なのか、どういう地域なのかというのを、さまざまな人から話を聞くようにして、少しずつ地域に馴染んでいくようにしました。そしてお寺というのは、何百年もの長きに渡って地域の皆さんから支えてもらっているわけですから、歴史について学ぶところから始めたんですね。
-なるほど。
君島:歴史を調べたり、皆さんから昔の話を聞くとどうも歴史の中の高林と、現在の高林に少し差を感じたんですね。皆さん「昔はすごく楽しかった」ってお話しされる方が多かったんです。
-あぁ。「昔は良かった」というような語り口だったんですね。
君島:そうなんです。古くは江戸時代は大名行列が通る宿場町として栄えたと言われていました。その名残もあって昭和40年代までは、タバコの生産を主要産業にこの通りも商店街として栄えていたらしいんですね。映画館やパチンコ屋さんなど娯楽施設も軒を連ねて、かなり栄えていた地域だったとお聞きしました。加えて、盆踊りやどんど焼き、花市などという祭りも毎月のように行われていたらしいんですね。
-そうなんですね!
君島:今では、そういった祭りもないですし、娯楽施設もない。皆さんの思い出の中の盛り上がっていた高林とは、やはりイメージが全然違うなと思っていたんです。聞けば聞くほど、高林という街が好きになってきて、私個人としても今からでも当時の盛り上がりを追体験したいという気持ちが強くなってきました。
-それにしても、それほど盛り上がっていたにも関わらず衰退してしまったのは何が原因だったんですか?
君島:私的な意見ですが、住民のライフスタイルの変化が原因ではないかと思います。それまでは主要なタバコ生産や農業を通して、同じような時間に同じように農作業したり、一緒に作ったりする時間が多かったと思います。ですが、企業や工場に勤めるいわゆるサラリーマンが増えたことで、各家族ごとの生活が多様化し、みんなで何かを一緒にやるということがなくなってしまったのではないかと。
-あぁ。地域みんなで日常的に集まる機会が多いと、「お祭りでもやってみるか」って話になりそうですよね。
君島:そうですね。そういったライフスタイルの変化に伴って、お祭りなど「みんなでやる行事」もなくなってしまったのかなと思っています。
-なるほど。お祭りって農業と密接なものなのかも知れませんね。
夏祭り復活プロジェクトからスタート。
君島:そういうわけで、まずは2018年に夏祭りを復活させたんです。地域の仲間を募り、私の所属しているお寺の境内で盆踊りをやってみたら、500人以上の人がいらしてくれて。近隣の小学生が150人しかいないことを考えると、驚くほど多くの人が来てくれたんです。
-すごい人数ですね。
君島:すごく面白かったですし、参加してくれた皆さんの満足度も高かったと実感できました。この夏祭りは、2019年に第2回を開催して、その時はもっと多くの皆さんが参加してくれたんですね。お祭りの復活は大成功だったと思います。
-あぁ。新しい伝統になるといいですね。
君島:なんですが、ひとつ私の中でもったいないなと思うことがあったんです。皆さんすごく楽しそうで、その瞬間は盛り上がるんですがお祭りが終わっちゃうと、また元通りの日常に戻ってしまう。これは当然なんですけど、なんとなくもったいないと思いました。祭りのドキドキする感じだとか、楽しい感じというのをもっと日常でもキープできないもんかと考えていました。
-それは何故なんですか?
君島:自分が子供を持ったことも大きいのかなと思いますが、この地域で生まれ育った子供たちはある時期から、この町が、なんとか現状を維持しようとする姿、衰退していく姿しか見ていないんですね。そういう街であっても、自分達次第でもっとワクワクドキドキしながら暮らせるんじゃないかと思っているんですよ。そういう姿を見せたいのかも知れませんよね。
-あぁ。結局のところ、盛り上がってるところに暮らしたいというのはありますよね。
君島:とはいえ、高林という地域でずっと暮らして欲しいというわけではないんですね。色々なところで暮らすことは、いいことでもありますから。でも、今この高林という地域に住んでいらっしゃる皆さんには、この地域の素晴らしい文化と歴史があることをもっと誇りに思たらいいと思っているんですね。
なんていうか、今ここに住んでいることを誇りに思うために、毎日ワクワクドキドキしていることって大事なんじゃないかと思うんですよ。それは、自分次第でできますし、例えどういう地域に移り住んだとしてもそういう経験があれば、豊かな気持ちで暮らしていけると思うんです。
-「自分の気持ち次第で、どこでもドキドキワクワクして生きれるよ。」ということですね。
君島:えぇ。こういう活動をしていると「地方創生」ですとか「復興」のような文脈で語られてしまいますが、私の場合は、そういった意図よりは住んでいる皆さんがもっと楽しい毎日になればいいと思ってやってるだけなんですよね。
祭りの楽しさを日常的にキープするための駄菓子屋。
-話を元に戻させてください。お祭りの楽しさを日常でキープするためにどうされたんですか?
君島:その2度目の夏祭りの時に、何故か世代も所属も違う地域の皆さんから「夏祭りも復活したし、河内屋も復活できたらいいよね」なんて話をされたんです。
-え?偶発的にですか?
君島:そうなんです。今でも私自身、不思議に思っているんです。なんでそんなにみんなが駄菓子屋を待望したのかよくわからないんですけど、みんなニコニコしながら河内屋の話をしてくれたんです。
-そもそもその時点で、河内屋は閉店されていたんですよね。
君島:えぇ。2005年に閉店したので、15年くらい経っていたんですね。シャッターが閉じたお店の場所だけがあるような状態で、ほぼ放置されていました。
-15年も経つのに、みんなが何故か駄菓子屋の復活を望んでいたのはすごく不思議ですね。
君島:ひとつ考えられるとしたら、河内屋は昭和40年くらいから2005年まで営業していたので約35年ものあいだ営業していたんですね。そうすると今の30歳〜65歳くらいまでは、みんな河内屋で駄菓子を買っていた思い出があるんじゃないかと思うんです。
-あぁ。お祭りと同時にそういった思い出が蘇ったのかも知れませんよね。
君島:なんにせよ不思議なことではありますよね。そういう話を聞いて行くうちに「じゃあ、河内屋を復活させてみようか」って思ったんですね。そういう経緯で地域から8人くらいのメンバーが集まって河内屋を復活させることになったんです。
-そういった経緯で今年2022年の4月に再びオープンしたということですが、どうですか?
君島:4月にオープンして約3ヶ月で2500人もの方にいらしていただいています。今はスタッフ不足からほぼ週末だけの運営にもかかわらずこれだけの皆さんにお越しいただけたのは、奇跡的だと思うんです。
この地域では特出していると思います。地域の皆さんだけでなく、全然別の地域からSNSを見ていらしてくれたりする。
私たちの目的の一つとして「多様な人々との交流を産む」と言うのがあるんですが、それを達成することができてきているのかなと思います。
-河内屋は、「現代のたまり場」というコンセプトで復活させたとお聞きしています。
君島:ドキドキワクワクするスペースにしたいと思っていたので、大人のノスタルジーだけで復活させても今の子供たちには通じないんじゃないかと思っていたんです。そこでwi-fiを完備したり、クラウドファウンディングも活用したり、店の一角をレンタルボックスとして貸し出すことで、定期収入を増やしたりと試行錯誤しています。
-なんとなく「たまり場」というと、地域に皆さんのコミュニケーションのハブになるようなイメージですか?
君島:ハブというより、集まれる場所があってもいいかもなっていうくらいなんですよ。こういった地方ですと、車での移動が主となります。そうすると、個別の行動が多くなりますよね。たまれる場所みたいなものってのが成立しにくいんですね。大人達も昔の高林では「お茶っこ」って言われるような縁側でみんなでお茶をすすりながらたまるような文化もあったんですが、今ではそういう「たまり場」が無くなってしまった。特に子供たちは、親の車に乗せてもらったりするので、なんとなく自主的にたまるということがしにくいんですよね。
「たまり場」はなぜ必要か?
-そういうなんでもなく集まれる「たまり場」ってなんのために必要だと考えていますか?
君島:偶然の出会いから生まれる面白い体験やコミュニケーションの活性化などは直接的に意味があると思います。もうひとつ大事なこととしては、場所があるということで、地域で埋もれていた才能や能力を発見する助けにもなるんじゃないかと考えています。例えば、この場所で引退した中学校の先生が「夏休み自由研究講座」を開催してくれたり、他にもさまざまな人がこのスペースで何かをやりたいと言っていただけます。
-場所があることで、地域の人たちの能力が活きる。
君島:えぇ。河内屋の一角に自由に物を販売できるレンタルボックスを設置してあるんですが、これも地域の意外な才能を発掘するのに役立っています。「実は私もこんなものを作っていて…」という方がすごくたくさんいらっしゃったんです。
-今までは、作っていたりしても売ったり披露する場所がなかっただけなのかも知れませんね。
君島:そうなんです。その他にもフラッと立ち寄った皆さんが、色々なアイデアをくれたりします。「もっとこうしてみたら?」とか「これがあったらいいんじゃない?」とか。中小企業診断士が助言してくれて、駄菓子以外の収入源としてシャッターに広告出稿するようにしたりもしました。そういう感じで地域の人たちが力を発揮できる場所に成長していったらいいなと思います。
-日常的にワクワクドキドキをくれるスペースだからこそ、皆さんもアイデアが湧くのかも知れませんね。
君島:そうですね。もうひとつ大事なポイントは、特に協力をしてくれているメンバーの約半数が女性だからというのもあるかも知れません。実は、これは狙ったわけでなく偶然なんですが女性の意見がすごく多く反映されたお店なので、いらっしゃった皆さんも発言しやすい環境になっているようにも思っています。
-たまたまジェンダーバランスが良かったとはいえ、それはすごく大事なことですね。
君島:高林に限ったことではないんですが、地元出身・男性・中高年の意見って物凄く強いんです。社会的にもまだまだ女性の意見というのはやはり反映されにくいと思うんです。その点、河内屋に関しては女性の意見をすごく多く反映したことで、素敵なお店になったと思っています。これからは、障害者の方やマイノリティと呼ばれるような皆さん、海外からの受け入れなども河内屋を中心に繋がっていけたらいいなと思っています。
-すごく素敵な取り組みですね。
君島:すごい崇高な目的があるわけではないんです。むしろ、みんなでこの地域の未来を考えるためにも、活動を続けているという感じなんですよね。色々な人に助けてもらいたいんですね。この記事を読んでくれている高林にお住まいでない皆さんからもアイデアをいただけたらすごく嬉しいです。
-これからの河内屋の計画を教えてください。
君島:オープンしたばかりでまだ全然設備も整っていませんし、商売としても全然成立していないんです(笑)。駄菓子を扱っているので、薄利多売もいいところでして、現状でも光熱費などのランニングコストとトントンです。今後何か修繕が必要になった時の費用ですとか、新しいトライをするための貯金ができるような状態でもない。かといって、ボランティアや奉仕というのは、サステナブルではないですよね。儲からなくてもいいですが、ちゃんと経済的にも運営できたうえで、みんながワイワイ集まれる場所にするために「高林活性委員会」という任意団体にして、本格的に運営を整えていきます。実はこれも、プロジェクトに関わっていただいている方からアドバイスしてもらったのをきっかけに進めています。
歴史と文化。地方が持つオリジナルとは何か?
-お話をお聞きすると、地方自治体が取り組まなきゃいけないような地域復興を、DIYで手がけているようなイメージがあります。
君島:河内屋のような試みは、高林だからこそできたとも思いますが、一方でどんな地方の街でもできるんじゃないかなとも考えています。その地域の歴史や文化という文脈を大事に、その中でどういったことをやるかということさえ大事にすれば、地方都市ってまだまだ色々な可能性があるんじゃないかと思うんですよね。
-地域の歴史や文化という文脈?
君島:いわゆる「地方」と呼ばれる地域のオリジナルなものって、突き詰めると歴史や文脈しかないと思うんです。私が高林に来たばかりの頃も「高林みたいな地域なんて、日本中どこでもあるじゃん」っておっしゃられる方が多かったんですね。でも移住者の私からすると全然そんなことはないって思ったんです。方言ひとつとっても高林でしか話されない独特な言葉です。ずっと住んでいる人にとって当たり前と思っているような文化や歴史の魅力を捉えて、その文脈に沿って地域の活性を手掛けること。これは、これからの地方の可能性の一つかと思っています。
-どの地域も、「地方」みたいなキーワードで括られるものでなく、きっと全部が独自性を持っているということですね。
君島:そうですね。おそらくそうだと思います。夏祭りにせよ河内屋にせよ、私が何かをやっているという意識は全然ないんですね。ゼロから考えて「駄菓子屋をやろう」と思っても決してうまくいきませんし、地域の歴史や知財を使わせていただいているという意識なんです。
地域の皆さんに助けてもらっていると思いますし、本当にみんなでやっているというイメージなんです。
未来に向けた「今」の編纂活動。
-これから、どのような活動を考えておられるんですか?
君島:自分の人生をかけてやりたいのは、高林の文化を引き続き掘り起こして残すことなんです。その一つとして、郷土史研究会を作りたいと思っているんです。歴史的な情報や、それこそ今この街に暮らす皆さんの話も、デジタルを活用してアーカイブとして残していきたいなと思っています。高林の歴史って、大正まではすごく多く残っているんですけど、大正から現代までの歴史はきちんとまとめられていないんです。
-そうなんですね。近代の方が歴史がまとまっていないと言うのは不思議ですね。
君島:そうなんですよね。大正以降ってすごく大きく変化した時代だと思うので、これはきちんと情報が残っているうちにまとめておくべきではないかと思っています。
-残しておくことで、未来の誰かがまたそれを財産として地域活性のプロジェクトに使うかも知れませんもんね。
君島:あとは歴史を辿ると河内屋の裏手に見える山に、元々修験道の山伏が修行するための道があったらしいんですね。それを復活させたい。
-そう言うのって、観光業的な角度で考えてらっしゃるんですか?
君島:実は、江戸時代にその道が作られた当時から、外貨を稼ぐという側面も強くあったんです。飢餓や世の乱れを治めるという目的を建前としながらも、貨幣経済の一環としてそういった山伏の道が作られたようなんです。山伏の修行は、とても神聖なものです。なので、商売のために復興しよう、儲けるために復興しようと言うわけではありませんが、これも地域に色々な産業が生まれる一助になればいいですよね。歴史を知れば知るほど、その地域のオリジナリティを知ることができます。今回のインタビューは、たまたま私でしたが、本当に面白いのは、あらゆる地域の歴史と文化だと思いますし、主役になるべきなのはその地域に暮らすすべての人だと思いますよ。
これからの世界で失いたくないもの。
-では、最後の質問です。君島さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
君島:「ドキドキワクワク」ですね。ドキドキワクワクしなきゃいけないわけでもないですが、なんか楽しいじゃないですか(笑)。
-(笑)。
君島:何かあった時に、楽しめる力というか…好奇心やチャレンジというか…うまく説明できませんが、そのほうが楽しいじゃないかという気持ちです(笑)。
Less is More.
平日の午前中だったにも関わらず、取材中はひっきりなしに多様なお客様がいらしていた。例えば、駄菓子をカゴいっぱいにしてきていた親子連れが数組。ドライブの途中に立ち寄ったというご婦人。実際に訪れた方が「地域通貨みたいなものがあったら子供達にも安心して買わせられるのに!」と非常にユニークなアイデアを話しておられた。その他にもレンタルボックスを活用しにきた方も数組おられた。
地域の歴史と文化、その文脈から地方の在り方を再考するのはこれほどまでにみんなの日常をお祭り気分にさせるのかと思うと、非常にワクワクドキドキすることだと、心から思える体験だった。
(おわり)