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民俗学・文化人類学が再創造する、あらゆる文化が溶け合う未来。SF作家・柴田勝家氏インタビュー。

「柴田勝家」という戦国武将の名をペンネームにしたSF作家をご存知だろうか。ペンネーム以上にユニークな作品の特徴としては、民俗学・文化人類学のモチーフが全ての作品に描かれていることだ。世界中のSF作品の潮流…ひいては世界のビジネス潮流でも注目を集める民俗学・文化人類学と、SFが描く未来とは?2020年9月に最新短編集「アメリカン・ブッダ」を上梓したばかりのSF作家・柴田勝家氏にお話をお聞きした。

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柴田勝家:1987年東京都生まれ。成城大学大学院文学研究科日本常民文化専攻所属。外来の民間信仰の伝播と信仰の変容を研究している。戦国武将の柴田勝家を敬愛する。2014年に『ニルヤの島』で第2回ハヤカワSFコンテスト大賞を受賞してデビュー。文化人類学的知見と量子力学を駆使した作品は選考委員の神林長平、小島秀夫両氏に激賞。2020年9月最新作「アメリカン・ブッダ」を上梓。

民俗学・文化人類学とSFが出会うまで。

-柴田さんは、元々大学では民俗学・文化人類学を専攻していたんですよね。

柴田:そうなんです。ワシはSF的な物理学ではなくて、民俗学・文化人類学・歴史学がひとつになったような学科にいました。

-そもそもなんで、民俗学・文化人類学を専攻したんですか?

柴田:ワシは小学生の頃から妖怪が好きだったんですね。決め手になったのは中学生の頃に読んだ京極夏彦さんの作品で民俗学を知って、大学で専攻したんです。

-それが、なぜSF作家へと??

柴田:高校生までは、アーサーCクラークとか古典を楽しむ程度でした。どちらかというとミステリーの方が好きだったんですが、大学生の時に伊藤計劃さんを知ったのが大きかったんです。当時、文芸部に所属していたのですが、みんな盛り上がっていましたね。現代のリアルタイムでアップデートしているSFを目の当たりにして、SFというフォーマットで話を書きたくなったんです。その文芸部にいたときに書いたのがデビュー作にもなった「ニルヤの島」です。

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↑柴田氏のデビュー作「ニルヤの島」。

-デビュー作から一貫して、柴田さんの作品は民俗学・文化人類学的なモチーフと最新科学が有機的に絡んだ、すごく不思議なバランスの作品が多いですよね。

柴田:文芸部の時にも先輩から「危ないバランスだな」と言われました。ひとつでも要素を抜いたら、崩れてしまいそうな作品だねって。

-今日はSF作家としてだけでなく、民俗学・文化人類学の観点からもお話をお聞かせいただければと思います。

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民俗学・文化人類学ってなんだ?

-柴田さんのなかで、民俗学・文化人類学というのは、一体どういうものなんですか?

柴田:最初は特に民俗学から入ったのですが、学科全体で文化人類学にも触れるようになったんですね。
まず、民俗学というのは、基本的に自国の研究・分析が主なんです。自国に対してどのような目線を持つか。もちろん日本国内で研究される外国人の方もいますが、それは日本民俗学という学問研究や、それぞれの目線から見た日本を取り上げていたりと、外から見た時に気づく文化にフォーカスしていると思います。だから、民俗学というのは、基本的には自国のことを研究するんですよ。なので、各国ごとに民俗学がある。
ただ、それだけだと、自国の文化の特異性に気がつかなかったりする。だから、文化人類学で人類全体の歴史や国家・民族ごとの比較をすることが大事なんです。民俗学で「文化を見る目線」を持ち、文化人類学で双方の「文化の橋渡し」をするイメージです。だから、民俗学・文化人類学の両方をやるといいんです。

-だから、「民俗学・文化人類学」と並べて語られることが多いんですね。それこそ「ニルヤ」にも国と橋が印象的に出てきます。あのう…そもそもなんですが「文化」って明確に定義されているんですか?

柴田:これがね…実は、答えが出ないんですよ(笑)文化って、比較でしか気がつかないんです。例えば、「お雑煮」って味噌だったり澄ましだったりと、地域ごとに味が違ったりしますよね?それを地域ごとに比較して、その差異に気が付いた時に「あぁこれって文化だったんだ」って分かるんです。

-あぁ定義はできないけど、差異があってはじめてそれが文化だと気がつくということですね。

柴田:そうなんです。自分たちが当然だと思っていることが、当然じゃないということに気がつくこと…それが「文化」なんです。なので「これが文化だ!」と定義するものではないんですよね。自分の当たり前と他人の比較で、文化に気がつくんです。なので、世界だとか国という大きい単位だけの話ではなくて、地域はもちろん、家族同士でも差異はあるので、そこには文化があるんです。もっというと、最小単位は個人なんです。自分の中だけのジンクスみたいなものですら、文化と呼べると思います。

-ものすごく幅広い考え方ですね(笑)

柴田:そうなんです。ワシはSF作家と名乗っていますが、実はSFそのものが、民俗学・文化人類学の中の1つの文化でしかないんですよ。ちょっとこういう言い方をするとSF作家協会から怒られてしまうかもしれませんが(笑)

-(笑)

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柴田:幅広いとおっしゃいましたが、その通りでして、例えばVRの仮想空間上でひとつの友達同士が集まったりするとします。そうすると、そこに社会ができ、文化ができるんですよ。

-そうか…なんらかのカタチでそこに人間が介在すれば、仮想空間であっても文化が生まれるんですね。

柴田:新しい文化に対する目線というのは、もちろん社会学からだけでなくて、民俗学・文化人類学の蓄積から語れることも多いと思います。文化ができる過程が民俗学・文化人類学の蓄積から分析・理解することができるんですよ。

-なるほど。分析・理解とおっしゃられたように、柴田さんの作品は、どれも小説でもありながら、研究論文のような側面もあるように感じました。なぜ、SFという物語として作品を発表しているんですか?

柴田:それはその通りで、研究を小説として発表しているようなところはありますね。ワシは元々論文を書いていた時から、物語のようになりがちだったんですが、論文って、なかなか皆さん読んでくれないので(笑)

-(笑)

柴田:物語なら、あるいはたくさんの人に読んでいただける可能性があると思って、物語に寄せて書いた結果小説になったんです。民俗学・文化人類学ってすごく楽しいんですよ。もっと広く知って欲しいですし、伝えたいんですよね。あとは単純にワシ自身も本が好きですし。

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↑柴田氏最新作「アメリカン・ブッダ」。

柴田:なので、ワシは作品を寓話ですとか、社会実験のようなイメージで描いているんです。最新作「アメリカン・ブッダ」の中でも民族的な社会もあれば、「もし、物語がなくなったら?」「もし仏教を信仰するインディアンがいたら?」という極端なテーマを設定して、思考実験として描いています。極端なテーマを設定し、ヴィジョンとイメージを描くことで、今の社会への提案になったらいいなと思います。

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なぜSFの世界潮流で、民俗学・文化人類学が注目されるのか。

-今、「三体」に代表されるような中国のSFなどでも歴史や民俗学といったモチーフがかなり多く出ていて、柴田さんの作品は世界的な潮流では、すごく王道になってきているように思います。

柴田:それは、そうかも知れませんね。自国の文化とか歴史を上手に使った作品が増えていますね。ワシ自身、狙ってはいないですが、ちょうどタイミングが良かった(笑)。これから先、まだまだ民族ごと、国家ごとのSFというのも注目されると思います。最近でもイスラエルSF(シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選 /竹書房文庫)が特集されていました。ワシの作品も世界各国で翻訳されたらいいんですが(笑)

-(笑)なぜ、ここへきて民俗学・文化人類学とSFが融合し始めたとお考えですか?

柴田:古典的なSFで描かれていた「火星に行く」「月に行く」というのは、すでにおとぎ話ではなく、技術的にも可能な社会になってしまいましたよね。SFは、科学技術の発展にフォーカスしてきたところから、内面…心だとか脳内だとかを描く方向にシフトしたと思うんです。そういう内面を描くのにも民俗学・文化人類学というのは、すごく有効なんですよね。

-技術の先人間の内面があったということですね。今では、あまりSF的な世界というものが統一されていないということですか?

柴田:どうなんですかね?現代のSFは、共通の未来像があっても、なるべく描かないようにしている作家が多いのではないかと思います。例えば、「ディストピア」「管理社会」という未来に共有できそうなモチーフはありますが、すでに過去の名作が数多くその不幸も描いていたりします。今、共通の未来像に対して、新しい視点で描くのはなかなか難易度が高いように思いますね。

-ディストピア・管理社会…。宇宙を目指すような古典的なビジョンよりは少し暗い感じがしますね。その先の未来をSFで描くことも考えてらっしゃったりしますか?

柴田:そうですね。もっと先の未来を描くことは必要ですよね。ディストピアや管理社会が生まれても、そこには文化がきっと生まれますから、民俗学・文化人類学の視点からSFとして描きたいですね。

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無限の選択肢から、形成されたあやふやな社会。

-管理社会やディストピアの話が出ましたが、現在の社会はどのように考えてらっしゃるんですか?

柴田:ワシは夢想家なので、今の社会はランダムな結果で生まれた…くらいに思っているんですね。どワシは人間の生きていく中で意識的に動いている部分というのはすごく少ないと思っていて。人間がただただ、脈々と生命を繋いでいく中で、都度都度選択して行った先に「今」があるだけで、今の社会は決して誰かの強い理想や理念が実現したものではないのではないかと、思っています。社会という生き物のランダムな振る舞いの結果でしかないから、今の社会と全く別の可能性はあるんじゃないかと思っているんですよ。

-別の可能性?

柴田:そうです。ひとつの事実があったとして、それをどう切り取るか、どう解釈するかってだけの話なんじゃないかと思います。例えば科学というのは、そういった切り取り方・解釈のひとつで、思ったよりもあやふやなものだと思うんです。民俗学・文化人類学は比較を基本としています。色々な選択肢や考え方がある中で、「科学だけが正解じゃないよ」っていうことは伝えたいのかもしれませんね。

-あぁ量子力学なんかでも、二重スリット実験とか、すごく不思議で今までの科学で説明できない感じですもんね。

柴田:もっと日常的なレベルでも科学やエビデンスってあやふやだと思うんです。例えば、ワシはコーヒーをめちゃくちゃ飲むんですけど、ひと昔前までは、「飲みすぎるとガンになる」とか言われてましたよね?でも、今では健康にいいとか言われたりもする。「いや、どっちなの!」って(笑)

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-(笑)それこそ、カロリー神話ではないですけど、気がついたら当たり前だったエビデンスがアップデートされていることって多いですよね。

柴田:今って大多数の人たちが「しっかりしたもの」を求めていますよね。その結果選んだものが「科学」なわけですけど、本当は1つの選択肢に過ぎないはずなんです。あやふやな科学という1つの選択肢にすぎなかったものが、今の社会の基盤になっていることに気がつくと、すごく怖くなっちゃうんじゃないかな。今の社会がそれほどきっちりしたものでないかもね…と考えています。

-科学は選択肢にしか過ぎないということですね。まさに、宗教と科学は物事を違う側面からみているのであって矛盾していない、というような。

柴田:もちろん、SFを書くくらいなので、科学は大好きですし、先端技術は間違いなく好きなんですよね。繰り返しますが、色々な方向性と可能性があることがすごく豊かなことだと思っています。もちろん淘汰されるものもあると思うんですけど、そういった雑多な選択肢の中で、技術・工学…テクノロジーが進化していく過程というのが好きなんです。なぜならその先にこそ、文化が生まれますし。

-そうか。そこで民俗学・文化人類学の研究がまた新たに始まるというわけですね。

柴田:個人的には、概ね今の社会は少しずつ理想に向かっているとも思っています。ワシは常々、一人一人が、自分の物語を残せる社会が理想だと思っているんですが、今はブログやSNSに自分自身のログを残すのが普通になりましたよね。それは、すごくいい社会なんじゃないかと思うことがあるんですね。

-いわゆるビッグデータというか。

柴田:ビッグデータって民俗学・文化人類学的にもすごくありがたいんですよね。未来の研究者からしたら「令和のデータめちゃくちゃある!」って思ってもらえますよ。きっと。人間の行動のひとつひとつが残っているというのは、すごくいいことだと思っています。

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死と俗信。

-柴田さんの作品には、「死」のモチーフが多く登場しますが、なぜなんですか?

柴田:死については、ほぼほぼ全ての作品にモチーフとして入っていますね。ワシは学生時代に「俗信」という、死を避けたいと思う呪いの研究などを専攻していたので、その影響は強いかもしれません。ちょっと脱線しますが…俗信というのは、とても面白くて。ひとつの例として、狭い村だとか、町など、集落内での命の総量が決まっているという話があるんですね。どういうことかというと、ある漁村でめちゃくちゃ魚が獲れたとしますよね。そうすると、村の中では魚の命が増えたので「誰かが死ぬ」と言われ始める。この理論が逆転すると「誰かが死ぬと豊漁になる」という俗信になるんです。どうもひとつのエリアやコミュニティで、命のプラスとマイナスでバランスを取る機能があって、そこから生まれたりするのが「俗信」なんです。

-ん?人間の命の総量だけでなく?

柴田:そうです。漠然とした「命」の概念なんですよね。人の命だけでなく、例えば木の実とか植物なんかも含まれる。限定したエリアにある生きとし生けるものを、漠然と命の総量として管理していたんです。自分たちの命ですら「神様からいただいている」くらいに考えている文化すらある。

-それって集落ですとか、あるエリアをベースとした文化なので、「定住」とも関係ありますか?

柴田:おっしゃる通り、農耕・定住で生まれたのかなと思います。そもそも文化って基本的には定住と切り離すことができないんですよ。狩猟採集的な移動する民族だと、民族単位で共有はされていたとしてもログが残りにくい。文化は定住するから残るんですよね。

-なるほど。

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デジタル・オンラインで生まれてきている最新の文化。

柴田:今、デジタルでも定住に近いことは起きていると思うんです。だからとてもエキサイティングな時代なんですよ。例えば、Twitter、Instagram、facebook、TikTok…プラットフォームごとに定住してそれぞれに文化が生まれ続けている

-デジタル空間のプラットフォーム上に文化が生まれているということですね。

柴田:そうです。なので「Twitter民」なんていいますけど、まさに「民」と化している。それぞれ、強制でもなく何かしらの帰属意識があって勝手に所属している。しかもプラットフォーム同士で、ちょっとした争いが起きたりしますよね。Twitter民が「キラキラのインスタグラマーめ!」とか、「陰キャな5ちゃんねらーめ!」とかね(笑)

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-確かにプラットフォームごとに、特性があって、小さな争いは起きていますね(笑)

柴田:もっというと、それぞれのプラットフォーム内部でも、文化的な属性が細分化してますよね。例えば、この間知り合いから、フォロワー50万人いる有名人のアカウントを教えてもらったんですね。50万人というと、日本の国民の0.5%です。でも、その方をフォローしている人は、ワシの知り合いに1人もいなかったんですよ!

-柴田さんのTwitterフォロワーだって約4,000人いらっしゃるのに、国民の1/20が注目している有名人と文化的に完全にすれ違っていた…!

柴田:それくらいそれぞれの文化が細分化しているのか!と実感したんですね。なんだかもうその事実って興奮しませんか?(笑)

-興奮します(笑)プラットフォーム内で細分化することで、文化の断絶や争いが起こっているんですね。

柴田:歴史的に見ても、やっぱり争いごとが起きると人が傷つきますし、文化も傷つきます。だから、あまり争いは良くないです。余談かもしれませんが、「融合できない文化が対立する」と言われています。文化的に近いと対立する。全く関係ない、離れた文化は意外と仲良くできるんですよ。

-あぁ同族嫌悪というような。

柴田:それに対しての解決策として、ワシは「全員が全員そこそこの無関心でいれる社会」が理想なんではないかなと思います。そこそこの無関心が大事だと思っていて、ある程度の距離感をお互いが理解できる社会だといいなと思うんです。言い換えると、「共感する社会」というのが、ワシの理想なんですが、共感とはお互いがここまでと線引きしたところを理解することだと思うんですね。ワシは、人間に物凄く興味がありますし、知りたいと思う反面、お互いがある程度の無関心でいるという両極の対立した考えでバランスをとった社会形成が理想ではないかと思っています。

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-すごく面白いバランスですね。ただ、「家族」ともなるとある程度の無関心とも言ってられない部分もありませんか?

柴田:それは、多分「家族」の概念のほうを見直してもいいのではないかなと思います。民俗学・文化人類学をやっていて、例えばサザエさんみたいな家族のカタチって、ここ数十年の歴史から見ると一瞬でしかないカタチだということがわかるんですよね。現代の家族像は変わった…昭和からすると壊れたと言われたりしますが、歴史を紐解くと、様々な家族の形が無数にあったんですよね。例えば、これからは、血縁に頼らなくてもいいし、生活に必要な部分だけを共有するシェアハウスで暮らすような家族のカタチもありえると思うんです。

-柴田さんが未来に向けて大事にすべきことってなんだと考えているんですか?

柴田:未来…ワシは全てを楽しむことが肝要だと思っていますね。これからの時代、楽しいものが短いスパンで次々と現れては消えると思っているんですよね。時の流れからすると、一瞬のフラッシュのように。もしかするとそれを追っていくと疲れちゃうかもしれないですが、多種多様なエンターテインメントをそれぞれうまく味わえるように。そういう生き方を意識することが重要ではないかと思います。そのエンターテインメントの1つが「本」であります。なので、ぜひみなさま、ワシの作品もぜひ選択肢の1つとして、楽しんでいただければと(笑)。

-楽しませていただいております(笑)。

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これからの世界で失いたくないもの。

柴田:「推し」ですね。アイドルでもなんでもいいんですけど、「推し」を失わずにいたいです。ワシは「推しに恥ずかしくないことを。」という標語を掲げていまして。この社会…ともすれば悪いことをしてしまいそうになるかもしれない…ゴミをポイ捨てしてしまったり、何かをチョロまかしてしまったり…大小様々な悪事を働いてしまいそうになる時、昔だったら「お天道様が見ている」と言ったりしましたよね。そのかわりに「推しが見ているかもしれない」と考えるとですね、悪いことはできなくなりますよね。

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Less is More.

特に印象的だったのが「推し」の話。柴田氏は、神様や超自然的なものではなく、現存する人間同士が補完する新しい社会構造を、ユーモアたっぷりに語っていると思うのは、考えすぎだろうか?

ご本人の非常にユニークなキャラクターにフォーカスすることなく、民俗学・文化人類学の研究者であり、優れたストーリーテラーとしての柴田氏にスポットを当ててたインタビューをお届けした。

私たちは、これから、科学のあやふやな部分を民俗学・文化人類学で補完するような社会を描くのかもしれない。私たちは、もしかするとSF的な世界を描いてしまった結果、世界中のあらゆる知恵を結集して、新しい未来を描くタイミングなのかもしれない。ひとまず、ひとつの未来のあり方として、柴田勝家氏の作品に触れてみてはいかがだろうか。

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(おわり)


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