天皇と天皇制から考える、社会全体をゆるやかにまとめる可能性。河西秀哉氏インタビュー。
「天皇とは何か?」そう問われて、なんと答えるだろう。「象徴」と言えばその通りなのだろうが、象徴ってどういうことか、よく分からないという方が大半ではないか。
あらためて天皇とは何か、象徴天皇制を研究されている名古屋大学 准教授 河西秀哉氏にお話をお聞きした。
-天皇・天皇制はやはり繊細なお話だと思います。読者の皆様もどうぞお手柔らかにお願いいたします。
河西:よろしくお願いいたします。今回は一見すると失礼に感じる発言もあるかもしれませんが、極力分かりやすさに主眼を置いてお話するようにしますね。
-天皇はメディアでも日々お見受けしますし、私達にとって身近な存在ではあるんですが、どういう存在なのかと問われたら、上手く説明できないんですよね。
河西:国民のほとんどは非常にフワッとした、掴みどころのない存在として捉えているのではないかと思います。それは研究者にとっても同じで、一言で天皇を説明するのは非常に難しい。歴史を少しなぞることで、なぜ「象徴」と呼ばれるに至ったか、その一端がご理解いただけるかと思います。
-短いお時間なので、かなり端折りながらですが色々お話いただければと思います。
天皇の誕生と世界最古の王族になるまで。
-まずは、天皇の誕生からお話しいただけますか?
河西:原始古代、人間社会が形成される過程で、いくつかのグループができます。その中からリーダーが生まれ、「王」と呼ばれるようになるわけです。「皇帝」「君主」呼び方は違えど、世界中の社会にそういう存在はいますよね。天皇も、基本的にはそういう存在として生まれたと思います。
-基本的には、王様だったということですね。
河西:天皇の特異性はそうして生まれたリーダーが「現代に至るまで続いてきた」もしくは「続いてきた体をとっている」ということです。中国の皇帝や、イギリスの王族などは、時代によって王が倒されたり、争いの末に新しい王が生まれたりしましたが、天皇はそうした交代が基本的にはなく、現代まで引き継がれてきました。
-どれくらい古くから続いているんですか?
河西:どこからを史実とするか、解釈によって変わりますが、およそ1500年くらいは続いていると思います。
-古事記や日本書紀などの神話の時代から続いていると聞いたこともあります。
河西:「欠史八代」と言われますが、神話に描かれる第2代から第9代までの8代の天皇は史実と考えられていません。一人当たり100年以上生きていないと辻褄が合わなくなってしまうんですよ。欠史八代以降は存在したことは確かですが、第26代 継体天皇は直系ではない可能性もあるので、そのタイミングで王朝交代が起きたと主張される研究者もいらっしゃいますね。
-これほど長く続く王族は、世界的に見ても非常に珍しいケースなんですよね。
河西:先ほど言ったような形で事実関係が微妙ではないか?と思う点はありますが、継体天皇から数えたとしても、そこから現代まで続く年数を持つ王族は、天皇家以外にはありません。その点では確かに世界でも唯一と言えると思います。
-それほど続いてきたのはなぜなのでしょうか?
河西:私は「たまたま」ではないかと考えています。たまたま倒されずに続いた結果、長きに渡って存在すると、あるところで「神聖で触れられない存在」となり、ある種の神格化してしまったのではないかと。また、卑弥呼の時代まで遡ると、王は祭祀を司る役割を持っていたので、そうした神への祈りのような側面が残っていたのも、天皇の継続に一役買っていたのかなとも思います。
-なるほど。
河西:日本には、キリスト教のような宗教がなかったのも影響していると思います。ニュアンスが伝わりにくいですが、宗教とは似て非なる祈りがあり、天皇はそれを担う人に近かったのではないかと考えられています。
権力と権威。
-歴史の教科書なんかでも、天皇が直接的に政治を行ったりしているイメージがないんですよね。将軍とかが政治を実行しているような印象があります。
河西:王には、「権力」と「権威」ふたつの力があります。天皇は、このうちの「権力」が時代とともに剥ぎ取られていったと考えられます。その時々の権力者…将軍などの政治的権力者・実力者に「権力」が委譲されていった。だからこそ、問題が起きれば「権力者」が倒され、逆に天皇は倒されることなく「権威」だけが残り、続いたと考えています。
-権力だけを受け渡していった結果であると。
河西:はい。権威だけが残り、まさに「象徴」化するわけです。そういう存在は、時々の権力者からすると非常に便利な存在でもあったと思います。
-便利?
河西:例えば、江戸時代の将軍や各大名は、幕府からでなく、天皇から任命されて官職を得るシステムでした。しかし実際にその官職を決めるのは幕府です。でも、任命するのは天皇。”権威を司る天皇から任命”されて、はじめて権力者は「権威」を纏う。幕府は天皇の権威をうまく使って大名の統制を図っていたわけです。
-「勝手にやってるわけではなくて、天皇に言われてやってるんだよ」という感じですか?
河西:そういうことですね。幕府が長期化し、統制が取れなくなってきた江戸時代後期になると「天皇から委任されたから、やっているんだ」というようなことを言い出していましたから。
-権力者の状況が悪くなると、天皇はある種のスケープゴートとして利用されてもきたわけですね。
河西:責任を分散させるシステム、天皇の権威を借りるシステムとしても機能していたのかもしれませんね。
-なるほど。日本は長きに渡って、権力と権威を分けることでバランスをとってきたんですね。
明治時代から戦後に至るまで。
-かなり駆け足ですが、次は明治時代の天皇についてお聞きしたいと思います。
河西:まず、幕末のからお話ししましょう。薩摩・長州が倒幕して明治政府が樹立します。その際に薩長が大義名分として「王政復古」を掲げたわけです。
-歴史の授業で聞き覚えはありますね…(笑)。
河西:(笑)。王政復古をものすごく噛み砕いていうと「江戸幕府はどうしようもないから、古代のように天皇が実際の政治をすべきだ!権力を委任元に戻すべきだ!」ということになります。
当時、鎖国していた日本に黒船が訪れ、外圧を受けていたわけです。日本が植民地にならないよう「強い古代の日本」に立ち返ろうと。
-わかりやすい解説、ありがとうございます(笑)。
河西:ただ、王政復古は大義名分…つまり建前なんですよ。伊藤博文をはじめ薩長のメンバーが実質的な政治権力を握っていたのは明らかですから。
「自分たちが権力を握るわけでなく、あくまで天皇が政治を行うためのお手伝いをしているんだ」という建前で、当時の幕府を倒したんです。
-あぁ。またもや天皇の権威を借りて、討幕したんですね。
河西:倒幕以降も明治政府は、天皇という存在を制度に組み込み、作為的に「神性」を帯びさせてその権威を高めました。
-作為的に?
河西:例えば、全国の神社は元々天皇と関係がない土俗的な信仰の場所だったわけです。それを「天皇の祖先であるアマテラスをお支えした神様を祀っている」と定義され、意図的に天皇と地域の氏神が一緒にされたんです。いわゆる「国家神道」ですね。天皇は、明治以降に神に近い存在として、私たちの普段の信仰と結び付けられてしまったんです。
-現在の感覚から言うと、ちょっとおかしな祭り上げられ方に思います。
河西:明治から第二次世界大戦の敗戦に至る80年弱は、天皇は非常に”不思議な”扱いだったと思いますよ。
第二次世界大戦に至る際も「ヨーロッパ近代に対抗する、アジアをまとめるリーダー・盟主としての天皇」なんて、日本の知識人やメディアは真剣に議論していましたから。アジア諸国から見たら、他国である日本の天皇がリーダーなんて全くおかしなことです。でもそれも、天皇の権威が、悪い意味で権力側に使われてしまったと言えるのではないでしょうか。
-1945年に終戦を迎え、現在まで続く日本国憲法によって私たちの知る天皇と天皇制(皇室制度)に繋がっていくわけですね。
河西:戦後であっても、戦前教育を受けた方々が政治を担っていたわけです。ですので、戦前の価値観は戦後にも色濃く残っていて、天皇に関しては憲法第一条に明記されるくらい、その存在は日本社会の中では、大きかったと思います。
-冒頭に明記されるのはすごいことですよね。
河西:敗戦したとはいえ、支配者層は1000年以上続いた天皇という文化を失いたくないという思いはあったのでしょう。
また、近隣のソビエト・中国を中心に共産主義の影響が非常に強くなっていたのも影響していると思います。支配層は共産主義の台頭に非常に怯えていて、国体(国家の根本体制)を守りたいと考えていたのではないでしょうか。国家がドラスティックに変革することを恐れていたんだと思いますね。
だからこそ、天皇制は絶対に残さねばならなかった。
-なるほど。
河西:そういう状況の落ち着きどころとして、天皇は「象徴」ということになったのではないかと思います。
制度から見る天皇。
-歴史を辿って朧げにその存在はイメージしやすくなりました。ですが、日本国の象徴が「人」や「一族」で、それが制度になっているのがよくわからないですよね。
河西:変ですよね(笑)。誰にとっても、よくわからない制度なわけです。
これを戦後80年近くに渡って、その内実をどうやって埋めるべきか、色々な人が様々に解釈し続けてきた。そういう不思議な存在であり、一口では説明できない制度なんですよね。
-研究者の河西さんからしても、やっぱりちょっと一口では言えないものなんですね。
河西:国家のシステムではありますが、今は政治的なシステムではないですし、意識しないレベルで私たちの日常にもすごく影響があります。すごくユニークだと思いますよ。
-我々の日常には、どんな影響があるんですか?
河西:元号なんてまさにそうですよね。公的な書類の多くはなぜか西暦でなく、年号で記すことが多くあります。他にも、祝日なんかもそう。例えば「海の日」って、元々は明治天皇が初めて船に乗って旅をした後、無事に帰着した日だって知っていますか?
-そうなんですか!
河西:建国記念の日は、ハッピーマンデーになっていない特別な祝日なんですが、この日も初代 神武天皇が即位したと言われている日なんです。私たちは、普段は天皇制なんて意識していないと思いますが、意外と染み付いている、影響を受けているんですよ。天皇制に支配された時間の中で過ごしているとも言えるかもしれません。
-あぁ。意識すると、意外とたくさん影響を受けているんですね。
河西:「我々の生活に非常に密着していて、それをなんとなく受け入れている」私の考える天皇制は、そういう存在なんですよね。
-年号ってすごく不便に思うこともありますし、制度を守り続ける意味はあるのでしょうか?
河西:現在も天皇制を守りたい人々はいらっしゃいますね。
いわゆる保守層の一部の方は、「伝統的な日本」を守る「象徴」として、天皇を位置付けて、より強化したいとすら考えています。
例えば「女性天皇」や「女系天皇」の問題を「家父長制や伝統的な家族の形態を壊しかねない」という意図と結びつけて「天皇が伝統を崩すと、歯止めが効かない」と論じる方もいらっしゃるんですよ。
-あぁ。1000年以上続く伝統を簡単に崩していいのかと。
河西:えぇ。ここで善悪を論じたいわけではありませんが、天皇というのは非常にフワッとした掴みどころのない存在だからこそ、個人的な思いや思想を仮託しやすいと思います。
-自分自身の意見を投影しやすい存在でもあるということですね。
これから天皇が担えること。
河西:そういうフワッとした状態で、大多数の国民に緩やかに受け入れられている、とてもユニークな存在だからこそ、現代社会で担えることもあるのではないかと思っています。
-どういったことを担えるとお考えなのですか?
河西:現代は非常に個人主義的で分化が進んでいます。イデオロギーの対立も非常に深まっていますし、まとまりのない社会といえるでしょう。そういう現代で、天皇という存在はゆるやかに社会全体をまとめる存在になり得るのかなと考えています。
-社会全体をゆるやかにまとめる?
河西:近年では、東京オリンピックの際に象徴的な事例がありました。当時パンデミック禍において開催する/しないで意見が割れていましたよね。
-世論も真っ二つでしたよね。
河西:混沌の中、宮内庁長官は陛下が「心配しているように拝察される」と発言しました。
政府は観客を入れて強行する姿勢でしたが、この発言によって世論が動き、無観客での実施が決まりました。
双方が振り上げた拳を下ろす役割を担ってくれたんですよね。天皇という存在は、混沌とした社会で、そういった対立を諌めるような役割を担える可能性があるように思います。
-なるほど。
河西:被災地訪問の姿などを見ても、政治が行き届いていない部分にきちんと目を向けてバランスを取ってくれているように思うんですよ。
-社会のバランサーみたいな役割でもあるのかもしれませんね。
河西:不思議な制度ではあっても、今のところ天皇に変わる存在はありません。民主主義が不全を起こしつつある現代で、分断をゆるやかに統合できる可能性があるのではないかと思っています。
-戦前のように、おかしな方向に祭り上げられる心配はありませんか?
河西:皇族制度そのものを皇族側が変えることもできませんし、政治的な行動もできない。そういう仕組みになっているんですよ。
だからこそ、私たち国民が、少しだけ天皇とは何か?そのあり方について考え、時に変革を促す必要はあるのではないかと思います。そして、おかしな方向に行かないようにチェックする必要もあります。
これからの世界で失いたくないもの。
-では、最後の質問です。河西さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
河西:あたたかみ、コミュニケーションですね。オンラインでのコミュニケーションは、便利だけどどこか切ないようにも思うんです。肌感覚からわかるものってすごく多いと思うんですよね。
天皇に引き寄せてお話しすると、実際に被災地を訪れてているからこそ、その姿に胸を打たれるわけです。あたたかみとコミュニケーション、直接的な接触を失いたくないです。
Less is More.
日本は、権威と権力を使い分けながら、社会を形成してきたのかもしれない。この視点から、もう一度考えてみることで私たちの社会に別の可能性が見えてはこないだろうか。
日本という国のユニークな制度として、注目してみてはいかがだろうか。
(おわり)