結局のところ、ストレスとは何だ? 医学と心のあり方を問う。慶應義塾大学・山縣文氏インタビュー。
コロナ禍での大きな問題にもなっているメンタルヘルスを代表に、現代のあらゆる疾患は「ストレス」が原因と言われている。が、世間は「ストレス」をあまりにも抽象的にしか理解していないのではないだろうか? 結果的にストレスのはけ口として社会への不満を募らせ、苦悶し続けている人も多そうだ。今一度ストレスとは何か、どうしてストレスが溜まるのか、そして心と身体の健康とは何なのか、慶應義塾大学・山縣文氏とともに考えてみたい。さらに、人間はストレスと無縁な生き方ができるのか、その可能性についても伺った。
【プロフィール】山縣文:昭和大学医学部卒業、同精神科に入局。うつ病の脳画像研究で医学博士取得。平成22年4月より米国スタンフォード大学医学部へ留学。遺伝子疾患の脳画像研究を行う。平成26年4月より慶應義塾大学医学部精神神経科へ勤務。うつ病や発達障害、認知症を中心に診療を行う。平成30年4月に慶應義塾大学医学部精神神経科・専任講師に就任し、新たに「大人の発達障害」専門外来を立ち上げ担当している。
精神疾患の原因を「脳」から紐解く
-山縣先生は普段、慶應義塾大学病院で精神・神経科の一般診療にあたっていらっしゃいますが、その中でもご専門は?
山縣:主にうつ病や認知症の患者さんを診ています。そして自閉スペクトラム症やADHDといった発達障害の専門外来も担当しています。
-その傍ら、数々の研究もされていますね。
山縣:はい。精神疾患と脳の関係を研究しています。例えば、ターナー症候群(※)の患者さんを対象に脳のMRI画像を撮って、白質神経繊維の状態を調べたり。また、うつ病の患者さんは前頭葉の機能が低下すると言われているので、MRIや光トポグラフィーという機器を使って脳の活動性や構造の変化を測定して、脳画像から疾患の特異性や治療反応性をみていく研究です。
※ターナー症候群=X染色体の一部が欠損、または全欠損した状態で誕生する女児の遺伝子疾患。思春期の二次性徴が起きず、その他の合併症を発症する場合もある。
-疾患の原因を脳機能の異常から読み解こうとしているのですね?
山縣:そうなんです。うつ病に関してもう少しお話しすると、実は男性よりも女性のほうが有病率が高いのをご存知ですか?
-いえ、知りませんでした…!
山縣:それを親子の世代間の側面から研究した結果、「母親がうつ病を発生すると、息子よりも娘の方がうつ病を発症しやすい」とも言われているんです。遺伝子レベルでの影響だけでなく、母親の子宮の中にいる胎内の環境や出生後の成育環境、それぞれが影響しているのではないかと考えられていますが、私はこれについて、脳のMRI画像研究から紐解いたことがあります。30~40代の健康な父親・母親とその6~10歳くらいの息子・娘のMRIを撮り比較してみたところ、なんと母と娘の関係だけ、うつ病の発症に関与する脳領域の構造が似ていたんですよ。
-それは興味深い!
山縣:どうして母がうつ病だと娘がうつ病を発症しやすいのか、初めてバイオロジカルな仮説を立てることができました。海外でもいろんな雑誌で取り上げられ、インパクトのある研究になりまして。引き続き、今度はうつ病を発症した親とその健康な子の脳の相関も調べ、論文にまとめているところです。
-内容が楽しみです。認知症の分野では、どんな研究を?
山縣:最近は、高齢者の危険運転の問題に取り組んでいます。東京大学工学部とタッグを組み、健常な高齢者の運転時の行動データと神経心理検査、脳のMRI画像を集め、脳機能や注意力が高齢者の危険運転をどのように予測するかAI技術を用いて調べています。
「ストレス」とは、何だ?
-うつ病や認知症など、社会問題と医学的に向き合っている先生だからこそ、お聞きしたいのが「ストレスとは何だ?」というテーマなのですが。まず、先生はストレスというものをどう捉えていらっしゃるか、お聞かせいただけますか?
山縣:私はストレス自体を専門領域としているわけではないので、医師としては「詳しくは分かりません」と言いたいのが本音かな(笑)。ですが個人的には、「生きている」そのこと自体がストレスなんだと思うんです。
-「生きていると起こる全てのこと」、という意味ですか?
山縣:おそらく。たぶん、多くの方は「ストレス=悪いもの」というイメージをお持ちなんだと思います。でも「ストレスは人生のスパイス」と言われるように、我々が身体的にも精神的にも成長するには不可欠なものです。たとえば、スポーツや楽器の演奏が上達するためにはある程度きつい練習が必要ですよね。それもストレスです。人生最初のストレスは窒息とも言われ、赤ちゃんはストレスを受けながら生まれてくるという話もあります。それに、ストレスは社会的側面から語られがちですが、暑さ・寒さや晴れ・雨といった気候の変化、慢性的な痛みもストレスになる。教科書的には、何らかの刺激によって生体に生じたひずみを総称して「ストレス」と言われていますね。
-特に最近はあらゆる疾病がストレスに起因していると言われがちですよね。ストレスで片付けられている感じもして、「本当に?」と疑心を抱いてしまいます。そもそもストレスは、科学の力でその正体を解明できないものなのでしょうか?
山縣:患者さんに病状を説明するとき、私たちはよくコップの例え話をします。「誰もがストレスを受けとめるコップを持っていて、その中に溜まっていったストレスが水のように溢れるとき、何らかの疾患を発症するんです」と。ただし、水が溢れるタイミングについては謎。どこにその屈曲点があるのかは人によって違うんだと思います。
-ストレスを、何らかの数値や身体的異常として捉えるのは難しいということですか?
山縣:もちろん、多くの研究者がそのための研究を進めていますが、ストレスそのものを絶対値として示す指標はないと思います。精神科では質問紙というかたちで、ストレスの度合いを評価しますが、かなり主観的なものです。分かりやすい身体の反応としては、過度なストレスを感じると動悸がして、血圧が上昇したり息苦しくなったり自律神経が乱れたりします。大勢の人の前でプレゼンをする前に緊張してドキドキしてしまう、あれです。もうすこし詳しく見ると、ストレスがかかるとコルチゾールというストレスホルモンが増加することで、免疫系、中枢神経系、代謝系などに対して様々な作用をすることが分かっています。またストレスと生活習慣病の発症リスクについても多くの研究が報告されています。ちなみに〈社会的再適用評価尺度〉(※参照)というものを聞いたことはないですか?
ーはじめて聞きました!
山縣:1960年代にアメリカで発表されたものなのですが、人生で体験する43の出来事について、ストレスの強度が記されています。結婚を平均の50として、配偶者の死が100、離婚が73、妊娠が40……。
-結婚や妊娠も? ハッピーなライフイベントもストレスなんですか?!
山縣:それが必ずしも心や身体の病気に繋がるわけではありませんが、喜ばしいことでさえ、ストレスということですね。クリスマスなんて項目もあるんですよ。そしてこの論文では、1年間に感じたストレス強度の合計が300点以上の人のうち、約80%の人が健康上に支障をきたしたと報告されています。
-とはいえ、ストレスの感じ方は人それぞれですよね。
山縣:そう。コップの例えで言うと、コップの容積が大きい人も小さい人もいる。つまり、もともとストレスに強い人と弱い人がいる。また同じイベントでも人によってストレスと感じるかどうか違いもあるはずです。さらに、コップの容積が小さくても水が溢れないよう上手く対処できる人、つまりストレスを貯めないようにできる人は疾患を発症せずに済むのです。逆にいろんなストレスが累積して水を溢れさせてしまった人は、心や身体にストレス反応を起こしやすいのではないかと考えられています。
ストレスと心、ストレスと疾患の相関
-水を溢れさせているストレスの要因としては、今、何が多いと感じていますか?
山縣:相談が多いのは二つありまして、圧倒的に多いのは仕事の問題。おめでたい昇進でさえも、重責を背負う側面から考えるとストレスに感じる方は少なくありません。それに長時間の残業、配属先のミスマッチ、上司や同僚との人間関係……いろいろな負担があります。二つ目は家庭やプライベートの問題ですね。
-そういった負荷を感じると、心にはどのような影響がありますか?
山縣:気持ちの落ち込み、不安、いら立ちを感じたり、何もしたくなかったり。また自信がなくなったり、過度に自分を責めるようになったりもします。
-カラダにも、影響はありますよね?
山縣:皆さん、胃が痛くなるとか、疲れやすくて身体がダルいとか感じたことがあるのでは? または急に動悸がしたり、じんましんや肌荒れがでたり。アレルギー症状の悪化、頭痛、肩こり、下痢……本当にいろいろな反応が起こります。ただ特に気をつけないといけないのは、睡眠が取れなくなったり、食欲が落ちるといった反応です。なんらかの精神疾患を発症している可能性があるからです。
-ならば、疾患との境目とは?
山縣:どこでそのラインを引くのかが難しいのですが、精神疾患の場合は、先程お話したストレス反応の症状があることで、日常生活に影響がでてきてしまった場合にその可能性を疑います。
-冒頭にお話しいただいた研究の内容から推察すると、ストレスの堆積しやすい体質というのもあり得るのでしょうか?
山縣:おっしゃる通りです。生まれ持った気質や成育環境によるパーソナリティの形成の結果、ストレスに弱い体質を持つ可能性はあります。またセロトニンという脳内伝達物質のトランスポーターの遺伝子多型の種類によって不安やうつを発症しやすい人もいます。
-お話を伺って、ストレスが心の問題に発展し、それがトリガーとなって身体に問題を生じさせることが分かってきました。
山縣:そうなんです。実際にはストレスという名前の物質があるわけでなく、外界からの影響という現象や状態像を示す用語なので、よくよく考え出すと難しい問題になる。コップの中に溜まっていく水の正体は、まだ明かされていないんです。
ストレスとの向き合い方
-ストレスの正体は分からないとして、現時点で、私たちはストレスをなくすために何ができますか?
山縣:ストレスをなくすとか、ゼロにしようと考えるのではなく、いかにストレスと付き合っていくかという考え方が大切です。ストレスの感じ方が人それぞれであるのと同じく、解消法や対処法も人それぞれじゃないでしょうか。ただ、多くの患者さんと接していて大事だと感じるのは、自分の心や身体の変化を認識すること。最近、すごく疲れているとか、夜眠れないとか……普段と違う違和感を感じたら、直近の生活を振り返ってみて、以前よりもストレス状態が高いことを理解する。そこから始めるべきです。そして、その違和感が数日続くだけなら問題ありませんが、1~2週間続くのは良くないので、診察を受けてほしいと思います。
-自分の平常運転時を知り、精神状態と向き合うことですね。向き合ってみて、明らかな原因が見つかった場合、どのようにアドバイスをされるケースが多いのでしょう?
山縣:基本的には、ストレスの原因を軽くできないか相談します。問診で何がストレスになっているか患者さんと共有し、場合によっては家族からも話をうかがいます。ですが意外と、心の問題って本人は気付きにくいものですよね。多くの患者さんが、「夜が眠れない」「食欲が落ちた」「周囲から様子が変だと言われた」などの身体の症状や他人に指摘されたと訴えながら、自分でその原因を認識できていないことがあります。よく話を聞いてみると、「え、そんなことで?」と思うくらい些細なことが、本人にとっては大きなストレスになっていたりもします。
-本当に、人それぞれなんですね。
山縣:逆を言えば、自分で変化に気付ける人は、コップの水を溢れさせずに済む人です。コップに水が入ってくると、ストレスを解消するというかたちで、大なり小なりコップの底に穴を開け、水位が上がらないように調整しているはず。ですから、自己モニタリングができることって、とても重要なんですよ。
-だとすると、うつ病もストレスをきっかけに発症するというイメージで合っていますか?
山縣:正しくは、「ストレスが引き金になるケースが多い」ですね。うつ病にもパターンがあり、大きな誘因がなく普通に生活している人が発症するケースもあるんです。ちなみに、うつ病に似た病態に適応障害がありますが、こちらは明らかにストレスに起因する疾患なので、原因を取り除けばある程度早く回復します。職場で部署異動した途端に症状が軽くなるとか。しかし、うつ病の場合は原因を取り除いても、脳に機能異常が起きているため、休息して投薬治療を受けないとすぐには回復しません。
コロナ禍で変容するストレス
-「コロナ鬱」という言葉まで生まれましたが、実際、うつ病患者さんの数に変化はあるのでしょうか?
山縣:日々診療する中での主観ではありますが、患者数の増加はあまり感じられていません。ただ、主婦の方が増えたなという肌感はあります。生活様式の変化で趣味や習い事ができず、友人にも会えなくなったり、在宅ワークで夫や子供がずっと家にいたりすることがストレスとなっているケースが多いです。逆に、会社勤めの方は、職場に出勤しなくて良いことがプラスに作用している人もいるように感じていますね。
-そういったプラスマイナスで相殺されて、数としては安定しているのかもしれませんね。主婦の例のほかにも、増えている症例はありますか?
山縣:大学生が本当に大変そうですね。特に、発達障害の学生は困っています。オンライン授業になったことで、課題提出の数がとても増えていますが、期日までに提出できないことで単位を落とし、留年をしてしまうケースです。ADHDの特性があると、計画が立てられなかったり、ギリギリまで手がつけられなかったりするので、学校に行けば周囲のサポートが得られるものの、自分のペースに委ねられるオンライン授業には苦労しています。一方、集団が苦手な自閉スペクトラム症では、自宅で比較的マイペースに過ごせるので大学生活が少し楽になったという学生もいます。
-企業でも、オンラインが効率化を加速したため、その波に乗り切れない人が出てきているようですね。効率がいいという人もいれば、ツラいという人もいますよね。
山縣:医師は基本的には対面の仕事なので、まったくそういった変化がないんです。ですが多くの方は働き方や生活様式が一変して、選択肢がさまざまに増えたことがストレスを誘引するのか、軽減するのか。どちらもあり得ますよね。
ストレスという病理がなくなる日は来るか?
-そもそも日本はストレス社会。うつ病患者さんが多いのも社会問題です。
山縣:自殺者数の推移を見ても、2011年までは年間3万人以上。国の自殺対策が功を奏して減少してきましたが、それでもまだ多い。自殺者の多くは直前にうつ病を発症していることが言われています。重症のうつ病の方は、自殺願望を抱くので周囲が気づかないと自殺しまうリスクが高くなります。個人的には、重症のうつ病患者さんはある種の時限爆弾を抱えていると考えています。だからこそ、きちんと医療が関わらないといけない。
-日本がこのストレスという社会病理から脱却するには、どうしたらよいと思いますか?
山縣:先程もお話したとおり、ストレスがなくなるということはなく、むしろ情報化が進む中でストレスは大きくなっていくと思います。そこにコロナウィルスの感染拡大の問題が起き、ニューノーマルと言われる新しい生活様式や価値観が生まれている。リモート勤務をする人が増え、会社に出勤をしなくてもいい。本社を地方に移す企業もでてきています。日本人はもともと個と集団の境界が曖昧なところがあるように思いますが、コロナ禍でその境界がすこしハッキリしてきたように思います。ここがひとつのキーワードかもしれません。今後数年でこの状態がどのように変化していくのか分かりませんが、一方で、相変わらず日本人は生真面目だったり、周囲の目を気にしすぎるところがあるのでないでしょうか。
-気にしすぎて、自家中毒を起こしてしまうのかもしれませんね。
山縣:そうですね。僕も、もっと周りの目を気にせず生きなきゃって、思うようにしているんです。そういう意味では、コロナ禍で、以前より周りを気にせずに済むことが増えているのは良いことかもしれませんね。 そもそもうつ病になる人は、調子が悪くなっているにも関わらず「自分が休んだら職場に迷惑をかける」って言うんです。実際はなんとかなるものなのに、そう思えないのが日本人のマインドなんですね。
-心の問題に戻ってきましたね。先生にとって、「心」とは?
山縣:心の前に、「意識」のことを考えます。意識って、何でしょう?我々は起きて目を開けた瞬間に映像が広がり、音が聞こえ、五感を通して様々な情報を認識します。意識もストレスと同じで、脳内でどういう風に創られているのかハッキリとは分かっていません。しかし人間の感情は意識の上に乗っかっているので、意識がなければ感情もない。だから、意識がどういうふうにできているか解明されない限り、感情、心の正体も分からないと思うんですよね。ちなみに、僕が精神科医を志したきっかけは、大学2年生のときの解剖実習で初めて人の脳を見たこと。当時、僕は失恋をしていたのですが(笑)。取り出した脳はほんの小さな塊で、「こんな小さなモノに自分の感情を操られているのか」と、ムカついたんです、すごく(笑)。 で、脳を知り、人がどう感じているのか、どう思っているのかを知りたくなって。それもこれも、ストレスも、いまだに不可解なことが多くて、難しいけど面白いですね。
これからの世界で失いたくないもの。
-ストレスは直接の専門領域ではなかったと思いますが、たくさんお話を聞かせていただきありがとうございました! では、最後の質問です。未来に残したいもの、あるいは失われてほしくないものは何ですか?
山縣:残しておきたいものというか、ますます必要となってくる能力として「イマジネーション」かな。もう知識をたくさん持っていることは段々意味がなくなってきて、コロナで行動が制限されるなかで、「実体験」をすることも難しくなってきている。知識や擬体験はインターネットで簡単に手に入る世界のなかで、物事をある程度の倫理観をもってかつ円滑に進めていくためには、ますます「イマジネーション能力」が求められるようになると思う。人との関わりにおいても、「やさしさや思いやり」のベースには必ず、イマジネーションに基づく共感が存在している。在宅生活が続き、生活様式が大きく変化していくなかで、ストレスを抱えながら、これからどのように生きていくのか、個人としても将来をどう描いていくのか、イマジネーションが必要だし、人と人との実際の距離が離れていくなかで、人間関係においてもイマジネーションが求められると思う。でもこのイマジネーションを育てるには、たくさんの実体験が必要ではないでしょうか。
Less is More.
「ストレス」未知の部分が多い領域であることがとても良くわかった。テキストだと伝わりにくいが、終始リラックスした雰囲気で話していただいた山縣氏。その態度は、周囲をとても和やかにしてくれるものだった。やがて、私たちがストレスを根本的に失くせる日を夢見て、気楽に過ごせるといいなと思った。
(おわり)