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「蟻鱒鳶ル」から考える"ゆっくり作る"未来のこと。岡啓輔氏インタビュー。

蟻鱒鳶 アリマストンビル」をご存知だろうか?建築家の岡啓輔氏がセルフビルドで20年に渡って作り続けているビルだ。

オフィスビルが乱立する東京港区の一角。約40平米の敷地に建てられたこのビルに、そのありように世界から注目が集まっているそうだ。

岡啓輔:1965年九州柳川生まれ、一級建築士、高山建築学校管理、蟻鱒鳶ル建設中。ウイークポイントは、心臓、色覚、読書。1995年から2003年まで「岡画郎」を運営。2005年、蟻鱒鳶ル(アリマストンビル)着工。2018年、筑摩書房から「バベる!自力でビルを建てる男」を出版。その他にも新井英樹によるコミック『せかい!! ―岡啓輔の200年―』など。

-「蟻鱒鳶 アリマストンビル」について、あらためて教えてください。

岡:小さな手作りのビルです。2階以上は僕の住居になる予定で、1階は店舗として貸し出す予定です。2005年に着工して、予定では今年中(2024年)には竣工予定(その後曳家工事)です。

-約20年間作り続けていらっしゃるんですね。今日は、よろしくお願いいたします。

撮影当日は、シートに包まれていた「蟻鱒鳶 アリマストンビル」の全景。

蟻鱒鳶 アリマストンビル」を作るまで。

-まずは、「蟻鱒鳶 アリマストンビル」を作る以前のお話をお聞きしたいと思います。岡さんは一級建築士の資格をお持ちなんですよね。

岡:建築家になりたいと思って、九州の高専を出て、一級建築士の資格を取りました。勉強は得意だったんですよ。

-卒業後は1年間、ハウスメーカーに勤務していたそうですね。

岡:田舎出身だったんで、どうやって生きていくのか、よくわからなかったんですよね。地元では、農家かサラリーマンをくらいしか見たことなかったんです。建築家になりたいけど、お金もないしとりあえず一年はサラリーマンをやってみるかって感じでしたね。

-それが1980年代半ばだと思いますが、当時の景気は良かったでしょうし、今よりも会社を辞めるハードル高い時代でもありましたよね。

岡:実感なかったですけど、現在から考えると、景気も良かったのかもしれませんね。サラリーマンでもある程度豪勢にやれていましたから。入社する時から、1年で辞めきれなかったら、建築家は諦めて、一生サラリーマン道を進もうって決めていたんです。

-きっぱりと1年で辞めた後はどうされていたんですか?

岡:建築家になるために、20代はとにかくたくさんの建築を見ること、職人の仕事を覚えることが必要だと思いました。それで、1年のうち8~9ヶ月はなんらかの職人仕事をして稼いで、残りは自転車で日本各地の建築を巡って、ひたすらスケッチして過ごしました。

-20代後半はアートギャラリー「岡画郎」の運営もされていたそうですね。

岡:当時僕の住んでいたマンションの部屋が道路に面していて、すごく目立つ作りだったんですよ。ここに何らかのものを展示して、道に向かって表現をしようと。

-建築と直接関係なさそうに思いますが、どうなんですか?

岡:当時は、大道芸なんかもやっていたんですけど、全て建築家になるための活動でしたね。

-大道芸まで手掛けられていたんですね。

岡:道端でパフォーマンスをしたりもしたんですが、大抵は白い目で見られるんです。それでも淡々とやるとか、まぁそういうことは道端で踊ることと、道端で建築することに大差ないなって思えたんですよ。何か度胸みたいなものをつけるために様々な訓練をしていたんです。

-資格もお持ちでしたし、どこかの建築会社で働いたり、有名な建築家の弟子入りするとかの選択肢はなかったんですか?

岡:考えなかったわけではないですけど、就職して建築家になれるほど簡単じゃないと思っていたんです。僕は、田舎の30人しかいない学校では一番知識もあったし、デザイン力もあったけど、それで建築家になれるとは全く思えなくて。大都市の名門大学出身の方と知識などで勝負しても勝てないから、そうではない方法で建築家になろうって考えてたんです。
僕なりに、一つずつ積み上げることで、自分なりの建築表現に到達したかったんですよね。

-岡さんにとっての建築は、表現でもあるんですね。

岡:表現をしないといけない時代でもありましたね。
学校では、モダニズムという建築だけを学んできたんですが、卒業する頃にはポストモダンの時代がきて。それで、ポストモダンを勉強していたらあっという間にそれも古くなって「これからはデコン(デコンストラクション)だ」なんて流れになった。
つまり、モダニズムの「皆で一緒の方向目指しましょう」みたいな考え方が、大分ばらけてきた時代だったんです。そういう潮流の中で、自分なりのスタンスを表現することは必要なことでもあったんですよ。

-あぁ。時代の流れとしても自己表現が大事だったんですね。

岡:そういう時代を経て、建築とは何かということ、建築でどうやって世の中に表現できるのかということを、すごく考え続けてきました。
僕はやるって決めたら、計画してやり終えるまできっちりやるのが得意なので、そこまでは、順調に着々と建築家になるための努力を積み重ねていたんです。それが、30歳の頃に始めてつまづいたんです。

-どんなことでつまづかれたんですか?

岡:まずは体のこと。化学物質過敏症になってしまって働けなくなってしまったんですよね。
何よりも大きかったのは、同世代のトップを走る建築家の何人かと話す機会があったことですね。実際に会うまで、そういう人達は、冷静で頭が良くて理屈を考えながら淡々とクールに仕事をしていると思っていたんですよ。でも、会ってみるとむしろ逆でした。馬鹿みたいに情熱的で、理屈よりも空回りするほど想いが先行している人が多かった。

-岡さんのイメージしてきた建築家像とは違っていたんですね。

岡:自分のやってきたことは情熱ごっこでしかなくて、こういう人たちには敵わないって打ちのめされるような気分で。それで建築家の道を諦めかけていたんですよね。

-再び建築家として「蟻鱒鳶 アリマストンビル」を作ろうと思えたのは、なぜなんですか?

岡:最も落ち込んでいた時期に友達が散歩に誘ってくれて、三十路男2人で晩秋の井の頭公園を歩いたんですよ(笑)。

-(笑)。

岡:歩きながら「人生に望むものって何かあるの?」って聞かれて「最近、自分に自信がないってことにやっと気がついた。人生に望みがあるとしたら自信のある人間になりたい」って答えたんです。

-あぁ。「自信のある人」。

岡:そしたら友人が「そりゃいいことに気がついたね。自信のない人間は、気がついてから30年頑張れば自信のある人間になるらしいよ」って教えてくれて。多分、どっかのお坊さんの言葉だったと思うんですけどね。
当時30歳だから、50年って言われてたら自信がつく頃には80歳ですから、アタックする気になれなかったと思います。30年…60歳で自信のある人間になれるなら、頑張る価値があるんじゃないかと。そして、それは建築なんだろう、建築しかないなって思ったんですよ。

-そうして「蟻鱒鳶 アリマストンビル」を作るに至ったわけですね。

自分でも理解のできないものを作る。

-造形だけ見ると、ある種狂っているようにも見えるんです。

岡:このビルを最初に構想したときに、尊敬している早稲田大学の石山修武さんに見せに行ったんです。そしたら無茶苦茶誉められて。石山さんにも「狂ってるな」って思われていたかも知れませんし、どうなんですかね。
当時は、僕自身も何を誉められているのか、よくわかっていなかったし、自分が何を作ろうとしているのか、全く掴めていなかった。

-自分でも何を作るのかよく分からなかったわけですね。

岡:僕自身は、こういう建築が好きなわけではないんです。元々は、とても透明でスッとしたものが好きなんです。そういう透明でスッとしたものを描いて、たくさんの尊敬する建築家達から評価されたいと思っていました。

-それがなぜ、こういうちょっと不思議な建築になったんですか?

岡:構想段階で「本当にそうか?そんな建築ができて、本当に嬉しいか?いいものなのか?」って疑問が湧いてきたんですよ。それまで自分が学んできたこと、考えたことをもっときちんと建築に昇華させなきゃいけないんじゃないかって。職人として学んだこと、舞踏や大道芸をやりながら考えたこと、それまでの全部をちゃんとまとめたら、意図せずこういう形になったんですよ。

-こういう造形になったのは結果でしかないということですね。

岡:直前まで考えていた透明な建築みたいなものと真逆なものになっちゃったんです。考え抜いた先に「あれ?俺が好きじゃない感じのものになっているぞ」っていう(笑)。

-(笑)。

岡:でも、こういうビルを作らなかったら、何か自分の人生が辻褄合わずに、どっかで空中分解していたと思うんですよ。

-あぁ。違和感がありながら、こんなに長い期間作り続けるのは辛いですからね。

岡:造形的にも雑だけど、それでいいって思っているんですよ。そもそも他の建築家と全然違うスタンスで、全然違う建築を作ろうとしているんだから、このありようになるのは、道理でもありますよね。そんなに贅沢でもないですし、作れますよってものを作っているつもりです。

-「蟻鱒鳶 アリマストンビル」は、即興的に作られているそうですが、そういう作り方だからこそこういう造形になっているのですか?

岡:それもあると思いますね。建築家にとって、自分が書いた図面がそのまま立ち上がるのは喜びなんです。でも、同時にそれに対して違和感も感じていました。建築には様々な人が関わりますよね。それぞれに色々な思いがあるはずなのに、モダニズム以降の建築は作る過程や、携わる人の思いがカットされている。つまり、建築家ひとりの思い以外は、いらないということになってしまったんです。

-どういうことですか?

岡:モダニズム以前は、建築家と職人は対等な関係でした。でも、職人のこだわりは、モダニズムには不要とされ、階級社会の上の人たちだけの”豪勢な道楽”として仕立て上げてしまった。

-仕立て上げた?

岡:モダニズムは「一部の特権階級だけが豪勢な家に住む社会ではなく、フラットで平等な社会の方がいい」という建前で、個性的な職人の手仕事を貶め、無機質で均一な建築を進めたんです。

-「蟻鱒鳶 アリマストンビル」は、即興的に作ることで、職人的な手仕事や個性が表現できているんですね。

三階の天井は、スーパーのトレイなどで形を作ったそうだ。左側の柱のような部分は、職人さんが作った編みカゴを使って作ったそう。岡氏曰く、「ちょっと印象的なモチーフが欲しいと思ったんですよね」とのこと。即興的に作り上げていることが良くわかるエピソードだ。

「ゆっくり作る」こと。

-「住居」として作る意味はあるんですか?

岡:完成したら僕はここで家賃なく暮らしていけますし、家賃収入で暮らせる予定なんですね。だからこそ、親からお金を借りれたんですよ。「巨大なアート」や「すごい建築を作る」なんて言っても、算段が成り立たないので親であってもお金を貸してくれませんからね(笑)。

-確かに(笑)。ただ、ごく一般的に思い描く住居とはかけ離れていますよね。

岡:あまり「住まいとして使う」みたいな話はしないのですが、実際は「夕焼けに照らされる東京タワーを眺めながら台所仕事できたらいいな」とか「朝起きたら屋上に上がって朝日を浴びたり、星を眺めるのも楽しいだろうな」とか、そういう平凡な日常を思い描きながら作っていたりするんです。

-岡さんの中で「蟻鱒鳶 アリマストンビル」を作り続けることは「仕事」という意識なんですか?

岡:うん。これは「仕事」です。

-一般的な「仕事」とはやっぱりかけ離れているように思いますね。

岡:僕が建築家として、どういう時代の断面にいるかというと…あまりにも大量消費・大量生産、効率化が進んだ果てに生きていると思っています。
この状況で急いでバンバン何かを作り続けるのは、未来にとっても良くないと思うんですよ。
だから、建築家としての仕事は、効率よく作るんじゃなくて、なんか…「ゆっくり作る」方法を見出さないといけないんじゃないかと考えています。本当は、こういうことを考え、実践することこそが「仕事」と言えるんじゃないかと思いますね。

-「ゆっくり作る」。もう少し詳しく教えていただいてもいいですか?

岡:えーっと。まず僕は、ここ数十年ではっきりとモノを作る時代が終わったと思っているんですね。
人類は、猿が立ち上がって手が自由になってモノを作り出し、他の生き物とは比べ物にならないほど、頭が良くなって発展した。私たち人間はずっとモノを作り続けてきたわけです。畑を耕したり、洋服を縫ったり、ずっと足りないモノを作り続けることで豊かになり、繁栄し続けてきたんですよね。

-何かを作ることが繁栄に直結していたということですね。

岡:つい数十年前までは、そうだったと思うんです。僕の母親は85歳なんですけど、シャツなんかは自分で作っていました。その世代は自分で作らないと服すらない時代だったわけです。
そういうモノが足りない時代が、ほとんど突然終わってしまった。パソコン、スマホ、インターネット、グローバリズムとか色々な要因はあると思いますが、とにかくモノが満ち足りてしまった。モノを作る必要がなくなって、人間は急にすることがなくなってしまったように感じています。これは人類が初めて迎える、新しい局面だと思うんですよね。

-私たちは、そういう分岐点に立たされているのではないかと。

岡:えぇ。だから、これからは自分の喜びのためにモノを作るとか、ゆっくりと作る過程を楽しむとか、そういうことをみんなで考えることが必要なんじゃないかと思いますね。新しい「仕事」のあり方を考えないといけない。

-20年かけて「蟻鱒鳶 アリマストンビル」を作り続けていることは、新しい仕事の実践でもあるんですね。

岡:イーロン・マスクやジェフ・ベゾスが宇宙に行くぜなんて言っていますが、あれは実はロマンのある話じゃない。今までと同じように拡大を続けるなら宇宙を視野に入れないと無理だって話でしかないと思うんです。

-確かにそうとも言えますね。

岡:宇宙って真空で、宇宙服のすぐ外が死の世界ですよ。そんなところで暮らすなんて無理だろうと思っているんですよ。現実味のない話だと思うんですよね。

-もっと別の仕事の仕方を考えないといけないのかもしれませんね。

岡:このビルには、企業の方々も訪れますが、彼らを見ていても、今までの仕事の仕方じゃ、ちょっとキツいんじゃないかって思いますね。
企業の中で本当に自分の仕事について考えている人は、すごく少ないように思います。それに加えて多くの仕事が、AIに取って代わられつつもありますよね。つまり、誰も何も考えていないんじゃないかと思うんですよ。人間に何が残るんだ?って考えちゃいますね。

世界にとって、いいことをしていると信じて。

-地方都市などでセルフビルドや自給自足的な暮らしを実践する方は割といますが、東京のしかもこれほど都心部で作るのはなぜなんですか?

岡:それは、僕が建築をメディアだととても強く意識していて、都心部のできる限り、人目のど真ん中で作ることが重要だって考えているからじゃないかと。

-建築がメディア?

岡:建築に携わっている人間で、建築を理解している人は”建築はメディアである”って考えていると思います。例えば、田舎の人がパリにきて、荘厳な神殿なんかを見て感動しますよね。それを田舎の持ち帰って再現するわけです。そこに歴史的なストーリーがついてきたり、観光が生まれたりする…つまり建築というのは、ある種のメディアであるということです。

-なるほど。土地というものについてはご意見ありますか?

岡:あんまり土地のことを、考えてきたわけではないのですが、結果的に考えざるを得なくなったんです。

-どういうことですか?

岡:作り始めて何年目かで再開発に巻き込まれて、立ち退きを迫られました。友人の弁護士に助けを求めると「法律的には、無理やり奪えないから、大丈夫」だと。「でも、今のままじゃ必ず潰されるよ」とも言われました。結果的に土地の権利を巡った戦いに巻き込まれてしまったんですよ。

-大変ですね…。確かに現在このビルを残して、周囲は開発のために広大な更地になっていますもんね。

岡:東京は、大手デヴェロッパーを中心に土地を奪い合っているわけですよね。それこそ囲碁のように。そこに、一手を打っているような感覚はありますね。実際に、再開発を手掛ける企業からの嫌がらせのような連絡も来るんですよ。

-そんなこともあるんですか。まさに孤軍奮戦ですね。

岡:でも僕自身、このビルを建てることが、世界にとっていいことだって信じているから負ける気はしないんですよね。決して、この土地が自分自身の資産だから守るということではないんですよ。

-世界にとっていいこと?

岡:えぇ。以前、「建築は誰のものか?」という文章を書いたことがあります。元々は簡単なアンケートへの回答だったので、そりゃ"施主のものでしょ"とシンプルに思ったわけです。でも、考えるうちにそうじゃないんじゃないかと。建築の平均寿命が平均30年だったら、それは施主のものですよね。施主が生きているうちに潰れる、施主のための建築ですから。でも、200~300年と持つ家だったら、時と共に施主も変わるわけで、そう考えると建築は施主のものだって言い切れないんじゃないかと思い始めたんです。

-時間軸を変えるだけで誰のものかわからなくなる。

岡:あるいは、道端からみている誰かのためのものであるかもしれないし、作っているみんなのものかもしれない。少しずつ解釈を広げていくと、建築がもっと豊かになると考えています。

-確かに建築の捉え方が変わりますね。

岡:蟻鱒鳶 アリマストンビル」は、300年持つ建築として作っています。だから、これは僕の資産ということでもないんです。企業は、利益を出すために比較的短期間で結果を出さないといけないですよね。だから、数十年くらいのスパンでしか物事を考えられていないと思うんですよ。

20年かけて、魂をカタチにしてきた。

-あぁ、そういう長い時間軸で考えたら、確かに世界にとって豊かなのはこのビルのありようなのかもしれませんね。

岡:完成前の現在でも、世界中から見学者がたくさん訪れてくれます。特にイギリス・ロンドンのAAスクール(Architectural Association School of Architecture)という、世界有数の建築学校からの見学者は、毎年2~3回は訪れてくれるんですよ。

-海外からのお客様は、どんな感想をお持ちなんですか?

岡:最近、イギリスからいらした見学者は「私たちは、もう魂のある建築というのは、現代・近代にはないと思っていた。少なくともヨーロッパでは中世以前のものしかない。もはや世界中にそれはないと思っていた。でも、こんなアジアの端で魂のある建築と出会えて驚いている。」って言っていただいたんです。それは嬉しかったですね。

-すごいですね。

岡:舞踏の世界にいたときも「魂」なんて言葉を良く使う方がいて、僕自身は、ちょっとそういうのにひいていたんですけどね(笑)。

-結果的に「魂」を表現していたのですね(笑)。

岡:イギリスには、産業革命に対して、「アーツ&クラフツ」運動でアンチを表明したジョン・ラスキンやウィリアム・モリスの思想が根付いているように思いますね。手仕事への尊敬があるように思います。「蟻鱒鳶 アリマストンビル」を見ることで、そういう思想的なものを、立体的に理解できるようですね。

-20年かけて、ゆっくりと作ってきたからこそ、思想や魂みたいなものを形にできたのかもしれませんね。

岡:作り始めた頃は、全く自分に自信も持っていませんでしたが、20年続けてきて、だんだん自信のある人間になってきていると思います。このビルと共に、何か成長できているなって感じていますね。

これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。岡さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?

岡:ちょっと暗い話かもしれませんが…。僕はいい場所を作ろうってささやかにやってきているのに、私生活においてもそれを奪おうとする人って少なからずいるんです。数年前に色々な人に裏切られたりして、絶望していたんです。それでも残ったのは…このビルをちゃんと完成させたいという思いだったんです。その思いだけは、失いたくないですね。

Less is More.

私たちの社会はいま、とても大きな変革期だとして。そんな中、「ゆっくり」モノづくりすることは、サボったり、のんびりするのではなく、日々、考え続け、手を動かし続け、静かに戦い続けることなのかもしれない。「蟻鱒鳶 アリマストンビル」は私たちに見えるカタチで、そのありようを示し続けてくれるように思う。

(おわり)


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