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世界を結び直すための言葉とコミュニケーション。アート・トランスレーター田村かのこ氏インタビュー。

自らの仕事を「アート・トランスレーション」と定義する田村かのこ氏。彼女の仕事はアート業界を専門に翻訳・通訳を手がけること。世界中の文化を牽引するカッティングエッジなアーティスト達の言葉に向き合い続けてきた田村氏は、多様な文化や宗教観に向き合ってきた。そんな田村氏に、自らの仕事のこと、すでに社会インフラとしても機能しているSNSをきっかけに変容するコミュニケーションとそこから巻き起こる分断、私たちがどのように現代に向かうべきかを伺った。


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田村かのこ:アート専門の翻訳・通訳者の活動団体「Art Translators Collective」代表。人と文化と言葉の間に立つ媒介者として翻訳の可能性を探りながら、それぞれの場と内容に応じたクリエイティブな対話のあり方を提案している。非常勤講師を務める東京藝術大学大学院美術研究科グローバルアートプラクティス専攻では、アーティストのための英語とコミュニケーションの授業を担当。札幌国際芸術祭2020ではコミュニケーションデザインディレクターとして、展覧会と観客をつなぐメディエーションを実践した。アーティスト・イン・レジデンスPARADISE AIRメディエーター、NPO法人芸術公社所属、表現の現場調査団メンバー。

アート・トランスレーションとは

-田村さんの手がけるアート・トランスレーションとは、どんな仕事ですか?

田村:最もシンプルに説明すると、「アートを専門とする通訳・翻訳」です。ただ、言語の変換だけを行うのではなく、人と人、文化と文化をつなぐ様々な手法も含めてアート・トランスレーションと言っています

-通常の翻訳や通訳と何が違うんですか?

田村:私が広義で捉えている翻訳とは、ファシリテーターやコーディネーターのような役割も担うもの。人と人とをつなぐために必要なコミュニケーションすべてを内包しているイメージです。

↑田村氏の直近のリリース。(2021/07/09)

-現代アートのフィールドに絞ってらっしゃる理由はありますか?

田村:学生時代は作品制作をしていましたが、自分は作る側ではないと感じていました。でも、現代アートや舞台芸術など、現在進行形のアートに関わっていたかった。それで、これまでの経験で培った言語力とコミュニケーションへの興味を活かそうと思ったんです。それをツールに、アーティストの間に立つことで現代アートに貢献できればと考えました。

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-それほどアートに関わりたいと思われたのは何故なんですか?

田村:大げさかもしれませんが……アートがないと、人は死んでしまうと考えているからです。明日食べる糧を心配するとか、そういう意味では生命に関係ないと思うかもしれませんが、私にとってはそれほどに切実なものです。

-もう少し詳しくお聞かせいただけませんか?

田村:アートは、今ここにないものを見るチカラを与えてくれます。作品を通じて、目に見えていないものを想像したり、普段は聞こえない声に耳を傾けたり。「世の中は、見えているものだけで成立しているのではない」ということを思いも寄らないような観点からリマインドしてくれるものです。だからアートがないと、最終的には死に絶えるとすら思います。少し過激な言い方ですが。

-田村さんはアートをそのように捉えているんですね。

田村:人々はトライアンドエラーを繰り返し、より良い生活を目指して日々を生きていますよね。その過程で、何もしなければ複雑なものや、無駄に思えるもの、理解しがたいものは排除されがちです。放っておくと単純でわかりやすいものだけが選択される世界になってしまう。もっと様々な選択肢や可能性を想像できる未来であってほしいそういう選択肢をリマインドしてくれるのがアートではないかと思っています。

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アートと言葉の関係。

-現代アートというと、近年は投資の対象として話題で、ビジネスライクな面もありますよね。

田村:アーティストも職業の一つですから、その仕事に対して対価が支払われるべきですが、アーティストがお金を得る方法が乏しいと思うんです。コレクターの出資を受けるか、国や自治体の助成金を活用するか、フリーターとしても働くか、3択くらいしかないのが問題です。

-中でも最も大きなお金が動くのがコレクターのマーケット。作品を青田買いするような現象も起きていると聞きます。

田村:たしかにアート市場では作品が億単位で取引されることもありますが、問題は、そういった市場で人気の作品だけが注目されて、アートのイメージが固定化してしまうこと。本当は、市場とはまったく無縁のところで営まれている素晴らしいアート活動や作品がたくさんあり、私はそういう活動にこそ希望を見出しているので、そこで活動する人たちにきちんと対価が支払われる世の中になって欲しいです。より多くの人が「アートは生きていく上で不可欠なものだ」と認識すれば、新たな支援の方法も生まれてくると思うのですが。

-そのために田村さんは、作品ファースト、アーティストファーストの適正な世の中にしようとしているんですね。

田村:そうですね。そのために私ができることとして、アーティストの言葉をいかに魅力的に、いかに正確に伝えられるかに注力しています。言葉が届けば、自ずとアートに引き込まれる人は多いと思うので。

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-一方で作品は「各々が見て感じるもの」とも言いますし、翻訳すると本質から離れていく可能性はないですか?

田村:作品そのものが言葉を必要としているかどうかは、もちろん個々の作品によって違います。言葉がない方が良い作品もありますし、言葉で説明して初めて理解できる作品もあります。ですが、作品次第だとはいえ、言葉があることで本質から離れるとは思いません

-なるほど。

田村:アート作品を「言葉にできない気持ちを表現したもの」と言う方もいますが、アートと言葉は、そういう関係性ではないと捉えるべきです。言葉にできなかったからアートになるわけでも、アートになったら言葉で説明してはいけないものでもありません。仮に、言葉で説明すると作品の良さが損なわれるのならば、それは説明が下手か、作品が良くないかのどちらかだと思いますよ。素晴らしい作品と素晴らしい言葉は、相互作用でより魅力を訴えかけることができるものです。

-それは「批評」とは別なのですか? 「アート・トランスレーション」も「批評」も、鑑賞者に見方を示すものですよね。

田村:「アート・トランスレーション」の主体は、表現者です。対して「批評」の主体は、批評家。批評は鑑賞者に作品を理解するための視点を提供し、理解を深めていくものですが、その中に批評家のクリエイティビティがあり、批評文は批評家の表現です。

-なるほど。

田村:対してアート・トランスレーションのクリエイティビティは、表現の主体としてではなく、「伝えること」において発揮するので、勝手に主観は足さないのが、批評とは大きく違うことですね。もちろんトランスレーションも、一つの身体を通して行う活動である以上、トランスレーター自身が持っている個性に左右されますが、「主観は絶対に入る」ということを自覚しつつ、スピーカーとリスナーのどちらにも寄り添い、彼らのメッセージを伝える、というイメージです。

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他人との距離がバグってる。

-世の中では昨今、言語のデザインという方向性で物事が語られることもありますが、言葉にはどんな可能性を感じていますか?

田村:可能性の前に危機感がありますね。

-危機感?

田村:SNSの普及でコミュニケーションツールが多様かつ容易になったのはいいですが、同時に伝える努力をしない人が増えています。結果的に多くの人が「言えば伝わる」「書けば伝わる」と短絡的に思考するようになってしまった。手紙やハガキを書いていた頃のように、時間や労力をかけて伝える意識が薄い。今、複雑な言葉を複雑なままに伝えることはすごく難しいんです。これは、私たちが望んだ世界の姿でもあると思うので、受け止めはしますが。

-受け止めるけど、良いとは思ってなさそうですね。

田村:伝える努力をしない人は、相対的に伝わらない時の寛容度がすごく低くなるんですよ。だからこそ、SNSで消費される、推敲のなき言葉をコミュニケーションと捉えるのはとても危険なことです。それに対して危機感があります。

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-色々なレベル感はありますが、いわゆる分断を起こすきっかけになり得ますね。

田村:すでに起きていますよね。SNSをきっかけとして、自分自身のわからないこと、知らないことに対する拒絶。拒絶ならまだしも、攻撃する人も多い。自分の知らない人や文化を知ろうとする努力、対話してみようという努力が失われてしまっている

-なるほど。

田村:様々な分断が生まれるもうひとつの理由は、想像力の欠如だと考えています。「自分と違う人がいる」ということがまず想定できていないというか、「自分と違う=攻撃していい対象」になっているというか。本来は「他者が理解できない」からこそ想像力を駆使して、互いに分かり合える結節点を探すことで、この社会は成立しているはずなんですが。

-SNSは、よくも悪くもバイアスがかかりますもんね。

田村:SNS上では同じ考えを持つ人同士が集まりますからね。個人の嗜好によるバイアスがかかったタイムラインを世界の中心だと思ってしまう。世界全体から見ると、個人が構築したタイムラインは、実はとても狭い世界で仲間と政治観や思想を共有しているだけにすぎない。自分の知らない世界に出会うと、温度差が実は大きいことが多々あります。いかに自分の見ている世界が狭いか、ということに気がつきにくい社会構造をSNSが作り出しています他人との距離感がバグっているんです。それがいわゆる分断の元になっていると思うんですよね。

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-通訳・翻訳というお仕事は否応なく、多様な人や世界と触れるお仕事ですよね。

田村:そうですね。違う文化、違う言語の人と触れることが仕事ですから。違いがあることを理解し、知らない・分かり合えないことがほとんどなのだという前提を忘れずに、アート・トランスレーションでつないでいく必要があると、実感しています。

-差異を認識し、寛容度を上げていくために、どのようなことを考えていますか?

田村:難しいですが、少しずつ伝えるしかないとは思います。万人を一度に説得できる魔法の言葉はどこにもなくて、結局一人一人と信頼関係を築き、話をしていくしかないんです。かなり地道ですが、アートの魅力を伝えようというときにも、まずは顔が見えている人たちに丁寧に向き合い、実体験を通して実感してもらうほかない。それが現時点での私の結論です。

-かなり、大変なことですね。

田村:私一人でやるには途方もない話ですが、より多くの人がそういう態度で周りの他者に接すれば、変わるものもあるのではないでしょうか。結局人は、「自分ごと」だと思わないと心も体もなかなか動きませんから。アートに関しては特に、体験でしか伝わらないことも多いと思います。たとえば、まだ一度も美術館に行ったことのない人に1回の奇跡的なアートとの出会いをつくること。そこで忘れられないような経験をすれば、その人は自然とアートの虜になってくれるはずです。

-誠実に伝え続けるしかないんですね。

田村:そうやって地道にやっていくしかないように思います。一人一人にしっかりと向き合い、きっかけをつくり、より多くの人が作品の前に立ち、他者を知る機会を持てるように活動する。長期的な目線も必要です。良い作品を観賞したとしても、その体験の素晴らしさに気がつくのは数年後かもしれません。

-あるいは、ネガティブに捉えると一生気がつかないかもしれませんよね。

田村:はい。作品のパワーを常にその場で受け取れるべきとは思いません。観たときには気づかなかったけれど、「自分はあの作品を観て変わったんだ」と、何年も経ってからその効果に気づくこともあります。でも、その体験は何事にも代えがたいですし、私自身がそうやって救われた経験もある。そういう体験をする人が少しでも増えるよう、地道に伝え続けるしかないですね。

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コミュニケーションデザインの重要性

-田村さんは、どこまでを言葉の役割と捉えていますか?

田村:それは、どのようなコミュニケーションを成り立たせたいかによりますね。言葉の問題は、言葉を発するもっと前の段階…言葉を使うための環境や、コミュニケーションのための場をどのようにデザインするかという部分が最も重要だと考えています。

-環境のデザイン?

田村:たとえば今、〈東京芸術祭ファーム〉という舞台芸術の人材育成プログラムでは、Art Translators Collectiveのチームがコミュニケーションデザインを担当しています。アジア各国から様々なアーティストやパフォーマーが集まり、一緒に制作やディスカッションを行うんですね。そのとき、メイン言語である英語が流暢な人もそうでない人も、対等に話せる環境を設計するのが私たちの役目です。

-異文化が交流する場だからこそ、誰もが言葉を発しやすくする必要があるんですね。実際にどのようにつくるのですか?

田村:今回はオンラインでやるものも多いので、ウサギとカメのカードを作って、話している人の英語が速すぎると思った人は画面にカードを掲げてもらうことで意思表示できるようにするのはどうかと話し合っています。

-かわいい(笑)。すごくユーモアがある手法ですね。

田村:英語に苦手意識がある人に、いくら「いつでも止めてくださいね」「質問してくださいね」と言っても、本人は気負いしてしまいます。ディスカッションが盛り上がっている最中、自分の語学力のせいで発言を止めることに罪悪感を感じるんですね。

-ユーモアがそれを解決してくれるということですね。

田村:コミュニケーションデザインにおいて、ユーモアっていうのはひとつとても重要なピースです。

-コミュニケーションデザインする際に国家間を跨いだ問題が噴出することはありますか? 

田村:文化が違うとマナーが違うのは当たり前です。言ってはいけないこと、してはいけないジェスチャーもあります。宗教観の差異や、それぞれの国に特有の禁忌があり、様々なものが他者を傷つける要素になり得ます。知識をつけてアップデートしていくことでしか、そういった問題に気が付けないというのはありますね。


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-いちばん気をつけていることは?

田村:メンバー内で権威勾配を利用した侵害が行使されないよう気をつけています。たとえば日本主催のプロジェクトの場合、外国人参加者は「呼んでもらった」という感覚なので、主催者の対応が悪くても、また精神的に傷ついても我慢してしまうケースがあるんですね。それを避けるために主催側には自分の優位性を認識してもらい、参加者全員が安心して発言できる環境作りを心がけています。ハラスメントやミスジェンダリングについても話します。

-その辺りの問題には大きな配慮が必要でしょうね。

田村:はい。参加者を決める前の、募集要項に記載する言葉から、コミュニケーションデザインのチームで検討します。たとえば今回は、性別記入欄に代えて「She」「He」「They」など自分が使って欲しい代名詞を記述式で書き込めるようにしました。コミュニケーションデザインをする際に、企画の段階から専門家と組んで細やかにコミュニケーションデザインの場を整えるようにしています

-コミュニケーションデザインという観点から、通訳、翻訳をする上で気をつけていることはありますか?

田村:通訳の場合は、スピーカーがいちばん言いたいことは何かを考えて通訳するようにしています。そして私が通訳のために選ぶ言葉の一つ一つや作り出す雰囲気一つで、聞き手が受け取るニュアンスをいかようにもコントロールできてしまう、大きな力を持つ仕事であることを忘れないように心がけています。翻訳の場合は、元原稿の情報や真意・含意を正確に読み取ることと、訳出する言語にその内容が忠実に、豊かに反映されること、どちらも大事なので、膨大なリサーチをして、時間をかけて推敲することが大事です。たとえ書いた人が訳出するほうの言語がわからなくても、翻訳原稿も「自分の言葉だ」と思ってもらえるくらい対話を重ねて、翻訳作業を共にできるのが理想だと思います。通訳も翻訳も、どちらも表現者との信頼関係を築くことが非常に大事です。

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-アート・トランスレーションは、かなり広義の仕事になっていますね。

田村:現場で必要なことを考えていった結果、自然とそうなりました。あるとき、演劇を創る場に通訳として参画しました。そういった現場では通訳、アーティスト、テクニカルスタッフ、それぞれが自分の専門性を活かして任された仕事にあたります。一方で誰がやるのか分からないような仕事というのもあるんです。アーティストの心のケアをしたり、ちょっとしたコミュニケーションの隙間を埋めるような。そういうことにも目を配っていかないと、現場が立ち行かなかったんですね。

-あぁ誰もが必要としているけど、誰が担当するのかわからない仕事ってありますもんね。

田村:日本語のスピーカー、英語のスピーカーがいた場合、私だけ両者の言っていることを理解できるという状態になることも良くあります。結果的に両者を取り持つのもトランスレーターの仕事の一つだと解釈するようになりました。言葉の翻訳・通訳だけでなく、多様なアーティストが集まる現場のコミュニケーション全体をどうするか考えるほうが、自分としても楽だったんです。結果的にコミュニケーションのあり方からデザインするようになりました。


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多様な選択肢を忘れないために。

-そんな田村さんがいまトライしていること、もしくはこれからトライしたいことはありますか?

田村:今年、アイヌ語と手話を勉強し始めました。

-アイヌ語!なぜですか?

田村:アイヌ語しか喋れない・喋らないというアーティストは、現代には残念ながらいません。業務としての通訳という意味では需要がある言語ではないんですね。

-では、何のために?

田村:それでも、アイヌの人がアイヌ語で伝えたいことがあるときは、通訳や翻訳を介してでも自分の言葉で話せたほうが良いですよね。私がアイヌ語の通訳ができるようになるかはわかりませんが、歴史上、“アイヌの人が、アイヌ語で話す”という選択肢を和人が奪ってきたという経緯があるので、その本来誰にでもあるべき選択肢について能動的に考えたいと思っています。コミュニケーションの選択肢は、世界中にたくさんあります。そんな中でアイヌ語のように、消滅の危機に瀕しているとされている言語や文化もあるということを、いつでも心に置いておきたいと思っているんです。

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これからの世界で失いたくないもの。

-では最後に、これからの世界で失われてほしくないものを教えてください。

田村:やはり「想像力」ですかねここにはない何かを想像するチカラ。といっても共感のための想像力ではありません。共感ベースで考えると、共感できないものに対しては何をしても、もしくは何もしなくて良いことになってしまう。それが分断の理由になり得る。そうではなく、私が失いたくないのは「違い」があることを理解する想像力です。「人はみな違う」と、思えること。


-なるほど。

田村:世の中の全てのことは、他人との差異からはじまります。そして違う人、違うモノとコミュニケーションを取るための努力をする。知ろうとすることを諦めないようにしたいと思います。

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Less is More.

日々の言葉やちょっとした態度、そういったことを雑にしていなかったか。そう思わされるような田村氏の真摯な姿勢。楽しいことを想像するだけでなく、「違いがあること」を想像するためのチカラ。それは、やさしさの裏返しでもあるように思う。

私たちは、分かり合うために、もっと真摯に言葉に向かうべきではないかと考えさせてくれるお話だと感じた。

(おわり)


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