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「昆虫」から考える多様な世界の形成。 東京大学助教・深野祐也氏インタビュー。

都市部の生活は、随分と「昆虫」から離れてしまった。 都市部で昆虫を見かける機会は減少し、それに伴い昆虫への嫌悪感は日に日に増加しているという。 しかも日本に限った話でなく、世界中の都市部で!
この現象を研究している東京大学大学院 農学生命科学研究科 附属生態調和農学機構の深野祐也氏に、なぜ世界中でこれほどまでに、昆虫が嫌われるようになったのか。そこにはどのような問題があるのか。私たちは、種を超えてどのように世界を形成するのか。その一端について、ヒントになるようなお話をお聞きした。

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【Profile】深野祐也 / 東京農工大学農学部卒業、九州大学大学院で博士号を取得。学振特別研究員DC1、PDなどを経て、現在、東京大学大学院農学生命科学研究科生態調和農学機構助教。進化生態学が専門。
生物の進化・生態と人間活動の関わりに関心がある。農地や都市での生物の急速な進化や進化理論を生物多様性の保全や農業に応用する研究をしている。
↑深野氏の研究プレスリリース。ぜひ本稿と合わせてご覧になっていただきたい。

「虫嫌い」を研究するまで。

-深野さんは、かなり多岐にわたる研究をされていますよね。

深野:そうですね。かなりジェネラリストな研究者だと思います。もともと博士号を取ったのが九州大学理学部だったのですが、植物・動物、哺乳類ですとか虫、鳥など多岐にわたるテーマを研究している教員が揃っていたんですね。多様な教員・学生が揃っていたんですね。多様な学生が手がける研究テーマを手伝いながら、外来種と言われる生物・植物がどのように素早く進化しているのかという研究をしていました。

-その中でも今回は「都市部では虫を嫌悪する人が増加している」という研究をされるようになった経緯をお聞かせください。

深野:5年前に東京大学田無キャンパス赴任したのをきっかけに、都市と生物の関係について研究をスタートしました。

-かなりユニークな研究ですが、なぜそのような研究テーマになったんですか?

深野:はじめは、「農場」ということでテーマを考えはじめたんです。農場って捉え方によっては、人間が作り出した土地でもありますし、特にこの東京大学田無キャンパスは、都市近郊にあるので、すぐ隣に都市環境があります。どちらも極端な環境と言えますよね。都市化することで、自然がこれほど少なくなるのはおそらく人類が初めて体験する環境です。歴史的に見ても、このような極端な環境が隣り合わせという状況は生物にとっては新しいことなんです。その中で生物がどのように進化の過程を辿っているのか、その一端を知りたく研究をスタートしました。

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-生物と言われましたが、そこには人間も含まれていますか?

深野:いまのところ人間は含んでいません。人間以外の生物が人間が作り出した環境にどのように適応進化していくかをリアルタイムで観察・研究しています。都市化が進むと生物の数は減少しますが、なんとか耐えて生き延びている種もいます。その生き物の分布や性質・形状などを調べることで進化の動態を研究しています。これが、私が専門としている進化生態学の基礎的な研究ですね。一方で、応用研究としては、都市部という、特殊環境下にいる特定の生物を人間は好んだり、嫌ったりしている。その好みに人間が根源的に持っている感覚や進化にまつわる痕跡が見つけられるのではないかと思っています。

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-その特定の生物として「虫」を研究されているんですね。そもそも虫はお好きだったんですか?

深野:私は多分、そんなに好きな方ではないです(笑)。研究者の中には本当にお好きな方も多いので(笑)。私はゴキブリや蜘蛛も触れないですし、ごく一般的な皆さんと同じ、ニュートラルな気持ちですね。あくまで人間と虫がどのように関わっていくかという関係性のほうに興味があるんです。

-都市部に生きる特定の生物の中で「虫」を選ばれたのはなぜだったんですか?

深野:ごく日常的なところから研究テーマは出発しています。私の家族もそうなんですが、虫に対して過剰に反応する方が増えているように思ったんですね。これは絶対に何かが起きているのではないかと。それで、調べてみるとどうもこれは、日本だけでなく世界中の都市部で起きていたんです。

-日本だけではないんですね。

深野:環境がどのように心理構造を築いてきたのか。そして、それは現代の暮らしにおいて、どのように変容しているのか。環境がダイナミックに変わる中で起きているコンフリクトのひとつが「虫嫌い」なのではないかと。これを研究することで、進化と環境の相互作用をリアルタイムに知ることができるのではないかと考えています。

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虫嫌いのメカニズム。

-実際の研究はどのように進めているんですか?

深野:13,000人を対象にした大規模なアンケートで検証しています。都市部でどんな虫を室内で見るか、屋外で見るかなどの基本的な質問はもちろん。屋内/屋外の両方のシチュエーションに同一の虫の画像を加工して見ていただくなど、細かい工夫をしてアンケートを実施しています。

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-そういったデータから、色々なことがわかるんですね。

深野:そうですね。田舎に住んでいた居住履歴ですとか、虫への造詣の深さですとか、多角的にアンケートを工夫することで、虫嫌いのメカニズムを探っています。

-結果的に都市生活者は、なぜ虫を過剰に嫌うのか、分かってきているんですか?

深野:現在の結論を言えば2つのルートがあると思っています1つ目は、都市はプライベートな空間が増えますよね。家やオフィスなど室内のプライベートな空間に異質な虫を見ることが増えます。これによって嫌悪感が強まる

-キャンプなど自然環境でも、テントの中に虫が出ると怖いですもんね。

深野:もうひとつのルートは、虫への知識が失われることで嫌悪を感じる幅が広くなってしまう。ごく簡単に言いますと、この2つのルートで虫嫌いが強まるというのが簡単な答えです。

-確かに、虫を見る機会もないですし、ゴキブリや蜘蛛、ハエくらいしか見ませんし、知識も少ないですね。

深野:そうですね。この「嫌悪感」というのも説明しておいた方がいいかなと思います。ひとことに「嫌いになる」と言っても、いくつかの感情が基になっているんです。人間の感情は、大きく分けて驚き・恐怖・嫌悪・怒り・喜び・悲しみの6つに分類されることが分かっています。

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-なるほど。

深野:6つの感情のひとつひとつに生存するための意味合いがあります。例えば捕食者などへの身の危険が「恐怖」という感情を生み出している。

-捕食者を避けるために恐怖という感情が生まれたということですね。

深野:そうです。では、虫を嫌う基になる感情は何かと言いますと、「嫌悪」の感情に基づいていることが研究から分かってきました。では、「嫌悪」の元は何かと言うと、実は感染症リスクを避けるために生まれた感情なんですね。

-感染症!

深野:嫌悪感を感じるものってどういうものか、並べていくとご納得されると思います。例えば死骸ですとか、体液・腐敗した食べ物などに接すると、人は嫌悪を感じます。これらは、すべて感染症の感染源という共通項がある。嫌悪と感染症には関連があると、様々な研究からも分かってきている。わかりやすい例で「一度尿を入れたコップはどれだけ綺麗に洗っても、使いたくない」というのがあります。これは、目に見えない病原体に由来する感染症対策としては非常に合理的なんですよ。

-面白いですね。

深野:そして、この嫌悪という感情は、基本的には社会学習で学ぶものなんですね。例えば傷んだ食べものでお腹を壊すくらいならいいのですが、医療が発展する以前は、基本的に感染症にかかることは死に直結していました。感染症にかかった当人から学べないので、周囲の情報や、行動を見て学ぶようになったんですね。ですから嫌悪という感情は個人で経験をして知識が蓄積するだけでなく、社会全体の智として学ぶほかない

-虫嫌いということは、なんらかの感染症リスクに基づいて発生しているということですか?

深野:それが、面白いことに多くの普通の虫と感染症リスクの関係というのはそれほどないんです。もちろんウジですとかいくつかの虫には関係あると思います。ですが、そういったケースでさえ、虫そのものに感染症リスクがあるかというと、そこまででもないんです。

-ちょっとおかしなことが起きているんですね。

深野:もちろん感染症リスクがゼロではないんですね。ゼロではないにせよ、感染症リスクが低いはずの多くの虫を過剰に避けてしまう。これは、心理的な要因が大きいと思っています。エラーマネジメント理論といいますが、これも人間が基本的に持っているシステムで、これが作用しているのではないかと考えています。

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-心になんらかのエラーが出ているということですね。

深野:煙探知機に例えるとわかりやすいかもしれませんが、煙探知機って火災になるリスクに比べたら、例え多少誤作動しても鳴ってくれた方がいいですよね。なので、ちょっとした煙でも誤認識して鳴るように作ってあります。「虫嫌い」も同じようにリスクが微小でも、避けるように感情でエラーを出すようになっている。進化心理学の理論の観点から見るとこのように説明できると思っています。

-それが都市部を中心に起きているということですね。

深野:そうですね。都市というのは、昆虫に限らず鳥や動物も減少しますよね。ですが、虫嫌いだけが進んでいる。先ほどの1つ目のルートに照らし合わせると、"病原体を回避するシステムとしての居住空間"に入り込みやすいのが虫だということです。世界中の都市部で人間の感情が誤認識を起こしているんです。

-そう考えると、なんだかファンタジックですね!

深野:1つだけ面白いのが、知識があっても強い嫌悪を持たれる「ゴキブリ」なんです。

-…ゴキブリは確かに知識があっても苦手ですね。

深野:皆さんゴキブリを知ってもいますし、ある意味では馴染み深い昆虫ですよね。これは先ほど言った嫌悪感情の学習の賜物だと思います。社会全体が嫌悪しているので、学習の機会が増えますよね。結果的に知識があっても嫌悪感が強くなる

-嫌悪のインフレーションが起きているようなものですね。

深野:そうとも言えるかも知れませんね。ただ、虫嫌いも悪いことばかりではなく、嫌悪の感情が強くなることで、感染症を防ぐ意味ではプラスにも働きます。ただ…これも考え方によっては危険でもあるんです。実際にコロナ禍において、「嫌悪感を煽ることで、衛生行動を促す」という内容の意見論文が出たのですが、嫌悪システムが活性することで、分断へとつながってしまうこともあるので、嫌悪は取り扱いを気をつけるべきでもありますね。

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生物多様性を守るためにも。

-こういった研究の結果、何か問題が見えてきたんですか?

深野:虫が嫌いな人は嫌いでいいと思うのですが、生物多様性保全のための大きな障壁になってしまうと考えています。地球の生物の8割が昆虫に代表される節足動物なんです。SDGsなどが叫ばれる現代でも、環境保全のための基金は、多くが哺乳類や鳥類のために使われています節足動物に使われるケースはほとんどない。その理由のひとつが、虫への嫌悪ではないかと。嫌悪するものにお金を割こうとは思いませんからね。

-確かにそうですね。

深野:では、昆虫をそんなに簡単に保全しなくていいのかというと、これはひとつ生態系にとっての大きなリスクにもなり得ます。昆虫は、自然全体の中で非常に大きなサービスを提供してくれているのも事実です。作物を作るにも昆虫というのは非常に重要な役割を果たしている。そういった自然環境を失う可能性を秘めていますよね。

-都市部にいるとそういうことを忘れてしまいそうになります。

深野:そうですね。自然全体への興味も失われることは、非常に怖いことだと思います。虫は、嫌悪感情に任せて簡単に失われていいものではないと思いますよ。いまだに地球環境全体にどのような貢献をしているかわからない種だとしても、未来のためにある程度そのままに守っておいたほうがいいと思うんですよ。わからないからこそ、安易に無くさないようにするべきだと思うんです。

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-虫嫌いを緩和させるにはどうしたらいいのですか?

深野:ひとつは、屋外で虫を見る機会を増やしてあげる。特にまだまだ社会学習途中の子供たちにそういう機会を与えてあげることかなと思います。あとは、知識も与えてあげるといいと思います。こういった個人個人の小さなアクションで、虫嫌いのインフレを止めてあげるひとつひとつは小さくても、少しずつ虫への嫌悪を緩和させられるのではないかと思います。

-嫌悪は社会学習でしか学べないからこそ、親や周囲が虫への嫌悪を次世代に伝達しないことが重要なんですね。深野さんは、虫嫌いという現象を進化の一種だとお考えですか?

深野:難しいですね。ただ、現代人が虫嫌いに進化しているわけではないです。過去、長い時間かけて進化によって獲得された心理メカニズムが、近年の都市化という環境変化によって虫嫌いが増えてしまったという風に考えています

-そもそも進化とは何かという話ですね。

深野:そうですね。私は人間は「進化の奴隷」だと考えています狩猟採集時代から作られてきた肉体的・精神的なシステムを抱えたまま、現代社会システムの進化に適応していかなければいけない。そこで起こる齟齬というのは様々な問題の本質でもあります。ひとつずつ私たちのシステムとどのように社会システムを擦り合わせていくかということを考えるためにも研究をしていますね。

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人間中心に考えること。

-生物多様性って、環境要因はもちろん、様々な因果関係もありますしなかなか難しい問題ですね。

深野:私自身は、生物多様性についてはいかに「人間が長期的にサービスを受けられるシステム」を構築できるかという観点から考えるといいと思います。例えば、経済活動を考えると、「自然」というのは非効率かもしれません。しかし一方で、人間がリラックスするには、水辺ですとか、木々があるですとか、自然と共存する環境が必要です。それは、潜在的に求めてしまう生存確率が高い環境とも言えます。ですから、経済活動と自然のバランスを取りつつ、一見非効率な自然を取り入れて有機的なシステム構築を考えるのが肝要ではないかと思いますね。生物多様性の議論は、どうしても「地球全体」という話になるのですが、人間がどのように暮らしたいかという視点から紐解いた方が、社会全体のコンセンサスも得やすいと思いますし、システムを構築しやすいのではないかと考えています。

-人間中心に考えるということですね。

深野:そうですね。生物多様性を維持・創出することは、社会の多様性を実現するためにも必要なインフラとも考えられると思います。もしくは、社会の多様性を実現することが自然とうまく付き合っていくために必要なのかもしれませんね。短期的には同じような性質を持った人たちが集合した方が強いケースが多いかもしれませんが、環境がガラリと変わり、違うシステムが必要になった時にダメになる可能性もある。私自身は、人間という1つの種が長期的に存続するためにも、生物多様性がとても重要ではないかと考えています。

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これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。深野さんがこの先の世界で失いたくないものは?

深野:「人間」ですね。ガイア仮説に代表されるように、環境からしてみたら人間こそが害悪として議論されることもあります。ですがそれは本末転倒なのではないかと。我々の人間の末永い幸福のために他の生き物が必要だと思いますし、人間が失われないようにしていくのがいいと思います。

Less is More.

多様性・ダイバシティの議論は起こり続けているが、深野氏が語る「生物多様性」こそが私たちの暮らしの根底において、重要な考え方なのではないかと考えさせられるインタビューだった。「虫嫌い」という私たちにも身近なテーマを通して、私たちが生物多様性を保全するためにできることはたくさんあると思える。

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(おわり)



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