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IDGsから考える企業と個人のイーブンな成長。新井範子氏インタビュー。

世界的な研究者チームによって開発された内面の成長目標IDGs(Inner Development Goals)。まだまだ、知られていないこのIDGsは、これからの時代に適した人材育成のために生まれた5つのフレーム、23のターゲットスキルからなるフレームワークだ。変革し続ける世界において、新しいグローバルスタンダードIDGsがどのような意味を持ち、どのように取り組むべきなのか、上智大学経済学部経営学科教授・新井範子氏にお話をお聞きした。

新井範子/上智大学経済学部経営学科教授 | マーケティング領域を研究。特にSNSを活用した企業とコミュニティによる価値共創のマーケティングや、消費者の行動やライフスタ イルの研究している。近年は企業の社会貢献活動のマーケティングの応用や、高齢者の視点にたって金融商品を適切な説明や管理運営のための研究であるファイナンシャルジェロントロジー研究も行っている。 『マーケター理子の成長記~パーパスドリブン・マーケティングを学ぶ~』監修(翔泳社、2022)、『応援される会社』共著(光文社新書、2018)、『変革のアイスクリーム-V字回復を生んだ13社のブランドストーリーに学ぶ』(ダイヤモンド社、2015)など多数執筆。

↑IDGsの公式サイト。


現在のマーケティングの潮流。

-今日は、IDGsについてお聞きできればと思います。どうぞよろしくお願いいたします。

新井:IDGsは専門ではないですが、企業や個人にとって知っておくべき成長のフレームワークだと捉えています。私が専門とするマーケティング的な観点から、IDGsがどのような文脈で注目され始めているかをお話しできればと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。

-まず、前提として新井先生は、マーケティングをご専門に研究をされてきたと思うのですが、マーケティングとIDGsの関係を教えていただきたいと思います。

新井:私は2018年に「応援される会社-熱いファンがつく仕組みづくり」(光文社新書)という書籍を書いたのですが、その延長としてIDGsへとつながるようにお話しできたらと思います。少し長くなりますがご容赦ください。書籍「応援される会社」をごく簡単にまとめるなら、これからの企業は「応援される会社を目指すべきだ」という内容だったんですね。

-現在ではビジネス上でもファンダムの重要性が議論されたりしますよね。

新井:書籍では、「推し活」と同義で「推される」企業になることの重要性を描きました。では、「推される」「応援される企業」ってどういうことなのかというと、例え直接的な購買運動につながらずとも、好きでいてもらうブランド構築が企業に長期的な利益をもたらすということですね。

-ブランドとおっしゃいましたが、企業によってもブランドってかなり取り扱いが違うように思います。新井先生のおっしゃるブランドってどのような意味なんでしょうか?

新井:私はブランドは「プラットフォーム」と捉えるといいと思います。

-プラットフォーム?

新井:えぇ。例えばアイスで知られるガリガリ君の例でお話しします。ガリガリ君って、誰もが知るブランドですよね。例えば定期的にちょっと奇抜な味を発表したり、遊びがありますよね。それに加えて、イベントなどを通して、コミュニティが醸成されています。コラボレーションなど、外から参加しても遊べる余剰みたいなものもあります。枠組みを作りながらも、その中で自由に遊べる、ある種のプラットフォームであるというのが、現在のブランドのあり方だと思いますね。

-BtoCの小売業ですと非常に理解しやすいのですが、BtoBのような企業間取引をメインにしている企業については、ブランドってどういった意味を持っていると考えられていますか?

新井:BtoBこそがブランドの構築が非常に大事だと考えています。BtoBですと、BtoCに比べるともっと関わる人間同士の関係値が重要なケースが多い。そういった際に、仲間や、つながりなどコミュニティ意識を高めるためにブランドが必要なんですよね。企業同士がつながることは「派閥」や「党」と呼ばれるものに近いかもしれませんが、上手に「パーパス」を掲げることで、企業同士が良い方向につながっていけると思っています。

パーパスは「誰もが賛同しなくていい」ということ。

-一般的には、パーパス=企業の存在意義なんて略されていますよね。

新井:パーパスって、現在は流行語のように消費されていますが、本当は企業にとって大事な”旗印”になる言葉だと思っています。SDGsやウェルビーイングの流れで注目されたので、社会貢献的に捉えられていますが、本質はそういうことではありません。本来的にはブランドコンセプトに近い概念で、企業やブランドの「枠組み」を社内外に明示することが、パーパスの役割だと思うんですよね。

-なるほど。

新井:パーパスという旗印を掲げることは、自分達の立ち位置を明確にする一方で、「誰もが賛同しなくていい」と線を引く役割もあると考えています。

-つながるだけでなく、線を引く。

新井:現在は、企業が背負うべき社会的な負担がすごく大きくなってきていると思うんですね。特に欧米においては、かなり社会的な意義を問われる局面が多い。そういった中で、パーパスが重要になってきたのはすごく自然な流れですよね。

-線引きしないと企業の負担が膨大になりすぎるのかもしませんよね。

新井:日本企業は、一部の業界を除いて、パーパスを真剣に取り入れていない企業が多い印象です。個人的には、パーパスは日本の企業こそが取り入れやすく、取り組む意味があると考えています。パーパスとは、社員とステークホルダーが心を寄せ合うべきもの、同じ方向を向いて社内で意思の疎通を明確にするためのものですから、関わる人数が多ければ多いほどぶれやすい。個人企業や中小企業が多い日本の方が、本当はパーパス経営に舵を切りやすいと思うんですよね。

-日本の企業サイズは、パーパス経営に向いているのかもしれませんね。

新井:高度成長時代も終わって久しい現在、企業も「みんなにいい顔することない」と思うタイミングでもあるし、パーパス経営は、現在の日本企業にフィットすると思うんですけどね。

-パーパスがある種の線引きにもなるので、賛同しない方を排除する可能性もありますよね。それがゆえ、企業が保守的になってしまうのかもしれませんよね。

新井:それは、すごく良く分かります。何かを表明することで、ある意味では火種にもなってしまう可能性はありますからね。そうならないために、パーパスの策定と同時に消費者や生活者に対する意識づけが必要だと考えています。

-意識づけ?

新井:「企業が全てを背負うべきではない」という意識をきちんとみんなが持つことが大事ですよね。企業で働く一人ひとりにも人権がありますし、消費者とサービス提供側、どちらにも等しく権利があることをもう一度意識しようということです。企業と個人、双方が気持ち良く過ごせる社会になるためには、顧客側の役割というものをもう一度見直すことが必要ではないかと思います。

-前提として、そういう意識を社会や消費者個人でも持っておくべきだということですね。

新井:ビジネスは、ある意味でサービスの交換なので、本当は双方に礼儀がないと成立しません。企業だけに責任を負わせるのではなく、個人も前提となる礼儀をもう一度考えてみるべきだと思います。そういった意識づけを個別の企業が行うべきべきなのか、もっと公共に近いところで行うべきなのかは、議論すべきと思いますね。

-礼儀を誰が教えるのか、確かに考えてみたほうがいいのかもしれませんね。

新井:例えば…喫茶店で横柄な態度で注文しているのって、ちょっと嫌ですよね(笑)。一人一人がそういう態度にならないための前提って、企業だけで背負い切れるものでもないと思いますから。
消費者とイーブンな関係を作るために、企業側から発信できる消費者の意識付けの一つの方法がパーパスの策定だと言えるのかもしれません。

IDGsとは?

-こういった流れからIDGsへと繋がってくるんですか?

新井:今までのお話で、サービスやプロダクトを通して顧客と繋がるのではなく、「応援される会社」ですとか「パーパス経営」というような、企業の思想や態度、精神的な部分でつながる時代になってきたことがご理解いただけたかと思います。

-そうですね。

新井:つまり企業側が大きくメンタルモデルを変えなければいけないという課題を突きつけられているわけです。その際に、従業員もメンタルをきちんと変化させる必要がありますよね。特に現代においては、一人の従業員の振る舞いが、大きな力を持つケースもありますから、個人の責任も非常に大きくなってきている。

-SNSでも、一人のちょっとした悪ふざけが企業の大きな問題になったりしますよね。

新井:そうなんですよ。企業が成長するだけでなく、所属する全ての社員一人ひとりがきちんと人格的にも成長を望まれるわけです。また、最近では「VUCAの時代」と言われていますよね。

-VUCA=Volatility(変動性)Uncertainty(不確実性)Complexity(複雑性)Ambiguity(曖昧性)ですね。

新井:時代の曖昧性が増してくると、企業判断も時代に合わせて変化のスピードをあげざるを得ません。今までのピラミッド式の経営構造だと変化に追いつかない。だからこそ、社員一人ひとりが環境変化に対応していく、有機体のような形態に変化することが求められています。

-なるほど。

新井:加えて「雇用の流動性」という議論もあります。終身雇用性が崩壊に向かう中で、雇用が流動的になると、会社に与えられたポジションや肩書きだけでなく、企業活動の中で個人の中に残るスキル・キャピタルこそが重要になります。雇用が流動的になることで、個人の裁量で成長するしかなくなりますよね。

-そうか、雇用が流動化すると企業側で成長の手助けをしにくいですもんね。離職前提で教育するのは企業としても厳しいですからね。

新井:このように今起きている社会の変化をまとめると、社会や企業の変革に合わせて、あらゆる面で個人の成長が欠かせないことが分かりますよね。
ですが、企業がそれをフォローしにくい。こういった流れを受けて、ヨーロッパから生まれた人材育成のためのフレームワークがInner Development Goals=IDGsです。社会変革に必要な能力・資質・スキルを、5つのカテゴリと23のサブカテゴリのフレームワークとして落とし込み、誰にでも分かりやすく成長フローが理解できるようにしたものです。

-IDGsは、個人が社会の変革に取り残されないための成長フレームワークということですね。

新井:そうですね。きちんとこれからの社会に適応できる方もいますが、そういう方ばかりではありません。誰もが成長機会を持てるようにと、成長のグローバルスタンダードとしてモデル化したのがIDGsと言えると思います。

IDGsは、1.Being  – Relationship to Self 2.Thinking – Cognitive Skills 3.Relating – Caring for Others and the World 4.Collaborating – Social Skills 5.Acting – Driving Change といった5つのフレームの中で、個々人の成長を促す。詳しくは新井先生も執筆者として名を連ねる「IDGs 変容する組織」(経済法令研究会)を参考にしていただきたい。(6月9日リリース予定)

個人目標なのか?企業目標なのか?

-「IDGs」って、社員個人の話なのか、企業として取り組む課題なのかよくわからないのですが、どう考えればいいですか?

新井:難しいですが、私としては個人課題に近いもの、個人にウェイトがあるものとして捉えながら、企業側もIDGsを理解しフォローするべきだと思います。企業にとってのIDGsについての議論は「モチベーションの源泉」についての議論に非常に近いと考えているんですね。

-社員のモチベーションがどこにあるのかという議論に近いということですか?

新井:えぇ。社員のモチベーションを上げる際に企業の環境や態度を整えてあげることで、心理的安全性が高めることが重要だと言われたりしますよね。IDGsの実現においても、心理的安全性を担保してあげたり、パーパスを示すことで成長方向を示してあげることは必要ですよね。

-あぁ。確かにモチベーションと同じような議論になるのかもしれませんね。

新井:IDGsは、ポジティブに捉えると誰もが「成長の機会を与えられる」わけですが、ネガティブに捉えるとこれ自体が「成長の格差を広げる」ことにもつながってしまいます。

-確かに、考えようによっては危険ですね。

新井:そうなんですよ。変化の大きな時代の中で、"IDGsにそって成長格差を個々人で請け負いましょう"というような側面があるわけですから、自己責任論になってしまう危うさもあるんです。

-どうしたらIDGsを正しく使っていけると思いますか?

新井:IDGs自体は、正しく使えば成長するためにとても有益なものです。必要なのは、成長した後の幸福の方向性をもっと多様に認め合うことではないでしょうか。例えば、成長の結果、転職や独立など色々な選択肢がありますよね。会社や社会もそれを理解し、当たり前に認め合うことが望まれるのではないかと思います。

-企業や社会全体で成長を認め合うことが重要なんですね。

新井:先ほどお話ししたように、企業にも求められる社会的な責任がものすごく重くなっています。まだ万全とは言い難いものの、子育て支援や労働環境の整備といった「働き方改革」以降の改革は、既にさまざまな企業が取り組み出していますよね。個人はそれを当たり前に享受するだけでなく、参加者の一人として、IDGsを参考にきちんと努力していこうということなんですよね。企業と個人が認め合うためのきっかけとして捉えるといいのではないでしょうか。

-企業と個人がイーブンに話し合うための一つの基準とも言えるのかもしれませんね。

成長しても、しなくてもいい世界。

新井:そもそもなんですが、成長することがいいことだと思いますか?(笑)

-ど…どうなんでしょう(笑)。

新井:最近、学生の話を聞いていても成長したいというより「自分のコミュニティの中で楽しく過ごしたい」という価値観が多いんですよね。個人主義と言いますか、成長してもしていなくてもいい、その多様さを認めることが試されている時期なのかなって思うんです。

-あぁ。成長しない選択肢も幸せの形としてはいいですよね。

新井:企業にせよ個人にせよ、多様な幸せのあり方、人生のあり方を認めていかないといけない。その文化をもっと許容し合うと、働き方が全然変わるんじゃないかと思っています。

-確かに。

新井:私、ポルトガルの文化がすごく好きなんですよ。独自の文化があって、のんびりしていて。治安も比較的良くて。あぁいった独自の幸せの基準みたいなものを日本でも参考にしていくと、もっと多様な社会になるのかなって思ったりします。

これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。新井先生がこの先の世界で失いたくないものはなんですか?

新井:サブカルチャーですね。例えば、pixivなどのプラットフォームでも見られるように、みんなで二次創作をわちゃわちゃ楽しんだりしていますよね。あぁいった文化は失われて欲しくないと思っています。日本は、本当は多様なサブカルチャーを創り出すのが得意な国だと思うんです。

-言われてみるとそうかもしれませんね。

新井:食だけ見ても、日本ほど選択肢がある国はありませんよね。パスタなんか見ても、本国イタリアより種類があるのは日本だけです。あぁいう広義のサブカルチャーと呼べるような文化は、日本の原動力だと思いますよ。

Less is More.

IDGsは、個人と企業のできることややらなければいけないこと、今一度すり合わせるきっかけになり得る。双方がイーブンに認め合うことの重要性と、企業と個人、それぞれの成長の意味と正しさ。私たちはもっとこの問題を真剣に取り組むべきなのかもしれない。

(おわり)

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