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その時代・その瞬間の熱を失わないことを「伝統」と呼ぶ。能楽師・武田文志氏インタビュー。

「能」。実際の舞台を観たことがある人は、どれだけいるだろう?私たちは、「能」を知った気になっているのではないか。GINZA SIXの地下に能楽堂があることをご存知だろうか?その観世能楽堂の客席を、毎年、満員御礼にしてみせる能楽師がいる。あくまで伝統的=オーセンティックな能のスタイルを失うことなく、広告も、タレント活動もせず、伝統的でありながら人々の心を掴み続けている武田文志氏に話を聞いた。2020年文化庁・重要無形文化財総合認定、直後の貴重なインタビューだ。

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武田文志:1977年10月19日生まれ。重要無形文化財総合認定保持者。(公財)武田太加志記念能楽振興財団理事。観世流二十六世宗家・観世清和、人間国宝・野村四郎及び、父・武田志房に師事。3歳にて初舞台を踏み、これまで延べ百番程のシテ(主役)を勤め、多くの大曲に異例の若さで挑み続けている。年間百を超える舞台に出演する傍ら、毎月60名を超える門弟(愛好者)を指導。海外公演多数。全国で経営者から学生まで幅広い層を対象として「能楽700年の歴史に学ぶ〇〇哲学」等の公演を展開し、多方面より注目を集めている。人々を魅了する事で「花を掴む(感じる)心」を拡げ続ける、魂の能楽師。「文の会」主宰。

能。それはエンターテインメントか? 神事か?

-日本最古級の伝統芸能であるお能ですが、まだ観たことがないという方々もいます。まずは、ビギナーの方にも分かりやすく〈能〉とはどのようなものかをご説明いただけますか?

武田:能という芸能は、室町時代に観阿弥・世阿弥の父子によって大成された音楽劇で、〈謡(うたい)〉と〈お囃子〉に合わせて役者が物語を演じます。とても端的に、あえて横文字で言うなら〈ジャパニーズ・オペラ〉と言ったりもしています。物語を歌にのせて進行するという点ではミュージカルも同じですが、ミュージカルは音響や照明など、文明の利器を多用しますよね? それとは違って、能の舞台は声や舞など演者自身を要素として魅せるので、オペラのほうに近いのだと思います。それから、〈能面〉という仮面を付けて演技をすることも能の大きな特徴です。

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-音楽劇、なんですよね。確かに、能の公演を初めて観たとき「あ、歌なんだ」と衝撃を受けました。

武田:謡を大事にしている私にとって、それはとても嬉しい感想ですね! というのも、舞台を観てもらうとやはり視覚に映るものの方がイメージに残りやすいようで、能面や装束のことを「印象的だった」と言ってくださる方が多いんです。しかし、おっしゃる通り、能において音の効果が占めるウエイトって、実は非常に高いんですよ。なので、オペラやミュージカルと比較するといいと思います。

-演目は、どれくらいあるのですか?

武田:能楽界には5つの流派がありまして。私が属しているのは世阿弥の流れを継ぐ観世流という流派なのですが、この観世流で上演されている曲だけで現在210番(=曲)あり、そのほとんどが700年近く前につくられたものなんです。

-700年前につくられたものということで、言葉の問題は大きく、セリフが聞き取れないことがいまいちハマれない障壁になっている気もします。

武田:その点も、オペラと似ていますよね。ただ、中学生や高校生の頃に洋楽を聴いたり、クラシックを聴いたりしたとき「歌詞を理解していましたか?」と尋ねると、そんな人はほとんどいないと思います。大人になったって、同じじゃないでしょうか? みんな、最初はリズムや声や音や、そういう要素が好きで聴き始めるわけです。能も同じで、理解しようと思うとハードルがいきなり50段くらい上がっちゃいますから(笑)初めて観ていただく方には、絵画展を観に行ったり、オーケストラのコンサートを聴きに行くのと同じ感覚でゆったり身を委ねてもらえたらと。

-感激して「なんか、いいな」「かっこいいな」くらいのレベルでいいんですね。

武田:そうです。漠然と「綺麗だな」「心が落ち着くな」と感じていただけたら、それで良くて。極論を言えば、観劇中に気持ちよく眠ってもらってもいいと、私は思っています。

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-もう一つ、エンターテインメント性よりも神事的な側面が強く、敷居が高いことも足を遠のかせている要因だと思うのですが。

武田:確かに、良くも悪くも敷居は高いですよね。エンターテインメントというのは、少なからずお客さまに迎合して、分かりやすく楽しませるもの。ですから、伝統芸能として良く比較される歌舞伎はエンターテイメントに寄り添っています。

しかし、能のルーツは神事や祈りや鎮魂に根元があるんです。たとえば日照りが続くので雨乞いをするとか、洪水が起きたので雨が止むよう祈るとか、1年を無事に過ごせるように…農作物が豊作でありますように…と、私たちが平穏で豊かに生きるための祈りを謡や舞にのせたのです。
つまり能は、人々の幸せや健康や長寿や、世界の平和を儀式的に行うものという側面が強くある。能楽師の誰に尋ねても、「能はエンターテイメントだ」と言い切る人はあまりいないと思います。

-神事そのものと言える演目もあると伺っています。

武田:そうなんです。それは『翁』という演目です。『翁』にはストーリーがなく、まるで呪文のような謡の中に〈天下泰平〉、そして〈国土安穏〉という言葉が登場します。地球上の生きとし生けるものを代表して能楽師が天に祈る、そういう儀式的な祝言曲で、毎年、新年の初会ではご宗家がこれを披露されます。ちなみに、『翁』を舞う能楽師は、本番まで女人禁制、精進潔斎で臨むしきたりになっているほど、特別な演目なんです。世阿弥も、この芸能の根本を一つ例えて挙げるなら『翁』だと言っています。

-とても神聖ですね…まさに神事。とはいえ、現在はいわゆる「公演」「興行」としての側面もありますよね?

武田:そうですね。今は社会や経済にきちんとコミットし、利潤を生み出すことも考えないといけません。本当は、能楽師は能のことだけを考えていられたらとても幸せだと思う反面、それは極めて困難だと思います。

-どうしても、目先の利益を追求するあまり、伝統を崩し分かりやすいエンターテインメントな「能」を演じる能楽師さんもいると思うのですが、どのように考えていますか?

武田:その答えになりそうな話があります。先日、学生向けのワークショップを開催したときにいい質問をしてきた大学生がいましてね。「長年書道を習っていて、音楽に合わせてパフォーマンスをするのが好きだけど、そういった新しい試みに、先生方が批判的です。それについてどう思われますか?」と言うのです。

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-なんと答えたんですか?

武田:「あなた自身が書道の本質をどう捉えているのか?その上で、パフォーマンス(=発信)は何のためにするのか?意味があることなんですか?それを考えることに尽きるんじゃないか」と。書道の普及か、自分の名前を知ってもらうためか、お金のためか、それとも楽しいからか…何をするかよりも、している時の心の在りようが大事だと思っているんです。

-特に、それがエンターテインメントだから良い/悪いではないということですね。それで言うと、武田さんは能を何のために?

武田:僕自身は、世阿弥の言うところの〈遐齢(かれい)延年、寿福増長〉。人々の寿命を永らえさせ、幸福を増すためのものでなければならないと思っています。そのためならば発信の形はコラボレーションでも、新作でも、海外公演でもいいのですが、本質はきちんと捉えなければならない。

ー武田さんは、かなり伝統的なお能を中心に活動されているので、少し意外でした。

武田:他ジャンルの方とコラボレーションをする場合には、私たち能楽師が本質を捉えていれば一門のルールを許容範囲で譲歩することもあります。それから、お話をいただいても、本質を理解してもらえない方とは組みません。

ー双方のリスペクトがあればいいということですね。

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伝統とは、一体なんだろうか?

-そうして、許すところを許しながら、700年もの間、受け継いできたという〈伝統〉というものを、武田さんはどう捉えていらっしゃるのでしょうか? 一般的には、「決まったことを崩さずにずっと続けている」というイメージだと思うのですが。

武田:それについては、〈型破り〉と〈形無し〉の違いで説明できると思います。〈型破り〉は、昔からの定式を知った上でそれを打ち破ること。褒め言葉ですよね。対して〈形無し〉は定式を知らず適当にやってしまうことで、それは伝統でも何でもありません。

-そうか、「決まったことを修練する」それでようやく「型」を破れる。

武田:実は、お能の伝統・お能の歴史の一旦は、多くの能楽師が型破りなことに挑戦してきたことで、守られて来たんだと思います。ベテランの先輩方も、私たち世代も20代の若手も時として型破りな舞台を企画し、「やりすぎだ」と叱られたり、だけど「面白かったよ」と認めてもらえたり、試行錯誤しています。なので、同じように見えて、その舞台ごと、時代ごとでずっと熱量を失わず「型」を修練し、破り続けてきた

-修練の末に「型」を身に付けなければ、それを破ることはできないということですね。

武田:それが身に付いていないうちに破ろうとしても、破りようがないんです。

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-当然、観客のレベルも求められますよね?観客も「型」を知ることで、より深く知ることができる。

武田:おっしゃる通り、それは玄人が見て感動するレベルの内容であり、初心者の方には分からないと思います。我々能楽師だって、型を破るまでには途方もない時間と勉強と努力が必要なんです。ただし、型破りな点が分からなくとも、十分に楽しめる要素があるからこそ、今、とても多くの方が能を観てくださるようになっているのではないでしょうか。最初はシンプルに楽しむ感覚で。知れば知るほど観る目も肥えて、奥深く面白くなります。それは、他の芸術と変わらないと思いますし、そうやって、演者はもちろん観客の熱量にも支えられたものが、700年続くうちに「伝統」と呼ばれるようになったと思います。

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-型の破ることで、「能」もしくは、「伝統」は700年間の間に少しずつ変わってきたのですか?

武田:どんな業界でも「昔はこうだった」とよく言いますよね?能楽界でも時代、時代の先輩方がそう言って教えてくださいます。それはとても重要なことなんですが、でも“昔”っていつだったのか?ということが問題なんです。


-ひと世代前なのか、700年前なのか…長い年月を経ているだけに、かなりの幅がありますよね。

武田:私は10代後半から20代前半は尖っていまして(笑)。その頃、多くの先輩方がおっしゃる「昔」とは、せいぜい50~100年前くらいの話をしているんじゃないか?700年前、世阿弥の時代はどうだったんだ?という、ちょっと生意気な疑問を抱いたんです。

-なるほど。

武田:そもそも能は〈口伝〉を中心に継承されてきた芸能ですから、ともすれば時代とともに少しずつ本質がズレてくる可能性もあります。そんな私が影響を受けたのは、近代の名人と名高い観世寿夫さんです。私が生まれた頃に53歳で早逝された方なんですが、寿夫先生がまさに「世阿弥に還る」とおっしゃった。

-どういうことですか?

武田:能は、江戸時代に徳川家から庇護され、しかも武士の公式の芸能〈式楽〉と位置付けられていたため、大きな安定期を迎えました。それが明治、大正、昭和初期と踏襲されてきた時、ともすれば《意味など解らずとも、決まった型を勉強していればいい》という風潮があったのだと思います。そこに、本質が見失われているのではないかと疑問を持ったのが寿夫先生だったのです。

ー安定することで、本質とズレてしまった。

武田:そうです。寿夫先生は、世阿弥の著書をすべて研究者の方に訳してもらって、1から芸能としての能のあり方を考え直しました。ご自身の芸も素晴らしく、応援者もファンもたくさんいらっしゃったし、学生への普及も積極的になさった方。役者として、経営者として、指導者として、全部の才覚をフルに発揮なさった方です。

-変わることだけでなく、きちんと本質を見つめ直すことも大事だということですね。

武田:えぇなので、変わったりアップデートするだけでなく、そうやって時代時代で本質を見直し、チューニングすることで、伝統を守り続けてきたのも1つの大きな動きだと思います。

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先の見えない時代に思う、これからの700年。

-伝統をこの先の未来に伝えていくために、どんなことを意識していますか?

武田:20代の頃は自分が能の歴史の中間点にいるとすれば、700年続いてきた芸能が700年後も続いているように頑張らなければならないと思ったんですね。能の今があるのは、観阿弥・世阿弥を始祖とする偉大な方々がいらっしゃったからであって、私たちもそれを踏襲すれば、この先も続いていくはずだと思っていたんです。その考えは今もゼロになったわけじゃないんですが、果たして700年先に、人類は生き残っているのか?日本はあるのか?地球はあるのか?というフェーズに世界がなってきていて。

-はい。何が起こるか、先の見えない時代です。

武田:それを考えると、未来のために能を続けていくことよりも大切なことは、やはり〈遐齢延年、寿福増長〉。誤解を恐れずに言うと、そのための能でないのなら、なくなってもいいんじゃないかと、真剣に思っています。逆に言うと、その根本を見失わなければ、「能」は必然的に残っていくという自信と確信もあるから言えることなのですが。

-そこを失ってしまえば、能自体も失われてしまう。

武田:そうだと思います。極論、能を「残す」目的なら、別に商売にしなくてもいいんです。「能で食べていけなくなりましたが、趣味で続けています」という人は残るはずですから、能という文化が完全に途絶えるということは考えづらい。今より規模が縮小したとしても能がなくなる心配はあまりしていません。

-なるほど。

武田:ありがたいことに、私の周りには応援してくださる方がたくさんいます。真摯で謙虚な心を持って生きていけば、失敗したり窮地に立たされたりしても柔軟に考え直し、構築し直すことはできると思っているんです。それこそが私は人間らしさだとも思うし、そういう人が増えれば、おそらくいい世の中になるのではないでしょうか。自分にできることは米粒ひとつ分にも満たないことかもしれませんが、私や、私の能に触れてくれた方々に0.1%でも良い影響を与えることができて、同じ思想が広がっていけばいいなあと。それが、〈遐齢延年、寿福増長〉ということになると考えています

-「能」と「伝統」の見方が変わりますね。

武田:ありがとうございます。

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芸能の危機は、コロナ禍を乗り越えられるか?

-コロナ禍で、能の公演も軒並み中止になりましたが、700年の歴史上、過去に同じようなことはあったのでしょうか?

武田:何度か似たような危機を乗り越えてきました。まずは幕末の明治維新。徳川幕府の崩壊によって武士という庇護者がいなくなったので、それは大きな危機だったと思いますが、皇族や華族、財閥、議員などの有力者が支援してくださって乗り越えられました。それから第二次世界大戦後も危機でした。戦争で亡くなった能楽師も多かったと思いますし、後継者がいなくなったりもしたと思います。

-戦後はどう乗り越えたんですか?

武田:例えばうちの祖父・武田太加志のことですが。戦後に次々と廃業した能楽師等が売りに出した能面や装束を片っぱしから購入して収集したんですね。それこそ、全ての財産をはたいて「これはいずれ必ず能に必要になるから、数年の間我慢してくれ」と家族にも苦渋の決断をさせて。そうして、能舞台と稽古場も作りました。

-その時々、熱意とアイデアで必死に伝統を守って来られた先人がいらっしゃったんですね。

武田:よく、「どうして700年も続いてきたんですか?」と質問されます。当然、芸能としての魅力もありますが、やはり時代の能楽師とそれをとりまく人々が必死に努力した結果だと思います

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今年の興行は、どうなるのだろうか?

毎年開催している、武田さんの冠公演〈文の会〉のコンセプトを、少しお話しいただけますか?

武田:20代までの私は、自分のために能を磨いてきました。能というツールを通して何者になれるか追及したんです。そこで得たものが感謝に変わっていき、今度は能のための自分であると考えるようになりました。ところが36歳で慢性骨髄性白血病を発症しまして。生と死と向き合ったとき、さきほどもお話しした根本に立ち返って、能に携わるのであれば〈遐齢延年、寿福増長〉のためでなければと思うようになったんです。それを実現するための会であり、会に携わる役者、裏方、お客さまのすべての人々が幸せになることを目指しています。

-今年も開催を決定されたそうですね。

武田:はい、ずいぶん悩みました。2017年に発足し、今年で第4回目になる〈文の会〉。コロナ禍での開催は、いろんな面でリスクもありますし、やらないことの方が実は楽です(笑)。ただ、多くの方が諦める中、業界全体、なにより見にきていただける皆様のモチベーションを保つためにもなんとかやらなくちゃと。リスクは負っても、長い目で見れば生涯、きっとプラスになる気がしています。

-今年は11月29日(日)に、GINZA SIXの観世能楽堂で開催される予定ですね。

武田:“いい肉の日”です(笑)。演目は源義経にまつわる『屋島』。「弓流」という特別な演出です。これは、つい数十年前までは観世流における一子相伝の演目で、観世宗家お一人のみしか演じる事が許されていなかった、特別な演出になります。

それは楽しみです。

第4回「文の会」
日時:令和2年11月29日(日) 14:00開演(終了予定17時半)
場所:観世能楽堂 (GINZA SIX地下3階)
チケット:カンフェティ》にて、10月初旬より発売開始予定
能:「屋島 弓流 奈須與一語」
シテ 武田文志 ツレ武田宗典 ワキ殿田謙吉
間狂言 野村萬斎 主後見 観世清和 地頭 武田志房
栗林祐輔 小鼓 観世新九郎 大鼓 亀井忠雄(人間国宝)
狂言「柑子」野村太一郎 高野和憲
※他に、解説と仕舞数番を予定
SS席 16,000円/S席 13,000円/A席 10,000円/B席 8,000円/C席 7,000円

これからの世界で失いたくないもの。

−では、最後の質問です。この先の未来に、武田さんが失いたくないものは何ですか?

武田:難しいなあ…もともと執着が人一倍少なくて、それじゃなきゃダメというものをつくらないのがポリシーでもあるんです。でも、〈心の花〉を伝えていきたいと思っている私としては、やはり「心」ですね。

−〈心の花〉?

武田:世阿弥は、「かっこいい」とか「綺麗」とか、「素敵」と感じる感性・心こそが花だと言ってます。私の能を見て、「美しい」と思ってもらえたなら、その美しさを感じるあなたの心が「美しい」ということです。私の能を通じて、人それぞれが持っている花を掴む心、つまり素晴らしいと感じる心を広げていくことが、私の使命であり、失いたくないものですね。

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Less is More.

伝統。どうしても、そこには歴史や古いもの、守るべきものというイメージがある。ただ、それはあらゆる時代に熱量を失わず、次世代へと連綿と伝えられ、型を破りながらも、本質を失わない人々が支えてきたものだと改めて感じた。700年もの間、あらゆる難所を乗り越えた「能」の説得力。今、様々な芸能がコロナ禍で揺らいでいる。本当に伝統として残すべきものは、何か、時代に問われているのかもしれない。

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(おわり)


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