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いかがわしくも神聖な社会のスキマ。夜行書店/専立寺住職・日野岳史乗氏インタビュー

岩手県盛岡市名須川町にある専立寺は、毎週金曜日の夜、「夜行書店」が開かれる。夜行書店には、お寺からはおおよそ想像できないような、プロレス関連の書籍や、エロ本など、数は少ないながら多彩な書籍がずらりと並ぶ。
なぜお寺という場所で、毎週本屋を開くことになったのか、住職の日野岳史乗(ひのおかふみのり)氏にお話をお聞きした。

日野岳史乗(ひのおかふみのり):岩手県盛岡市名須川町・専立寺住職。

-不躾なのですが、日野岳さんは専立寺のご住職ということなんですよね?

日野岳:はい。今は住職です。

-元々こちらのご子息として継がれたんですよね?

日野岳:そうです。生まれも育ちもここで、親から継ぐ形でしたね。

-ちなみに、宗派はどちらなんですか?

日野岳:真宗大谷派という宗派です。浄土真宗のうちの1つです。

-髪型もモヒカンですし…特殊なお寺なのかと思ってお聞きしてしまいました。

日野岳:いやいや、昨日刈りたてというだけで、仕事的には真面目に住職をやっていますよ。基本この髪型というだけで、僕自身はパンクでもなんでもないんですよ。音楽も全然詳しくないし。ただ、坊さんが嫌いなだけです(笑)。

-え!?なんでなんですか?

日野岳:なんか、自分たちでも理解できないお経を読んで、高いお布施をもらってたりしますよね。それがもうダサいんじゃないかって(笑)。とりあえず、坊主ってだけで格式高く見えるので、周りからよいしょされますよね。俺の格好がちょっとおかしく見えるということは、多分大前提、坊主って「こうあるべき」ってのがあるってことですからね。

-あぁ。確かに、格式が高いイメージはありますよね。

日野岳:それが嫌で、坊主も別に普通の人と変わらないって思っているんですよ。ただただ、お経を読んでいるってだけでね。偉そうにしていると、偉い感じが普通になっちゃいますから。基本は、後ゆびさされているくらいの方がいいって思っているんです。

夜行書店を始めた理由。

-夜行書店はなんで始めたんですか?

日野岳:夜行書店は、コロナ全盛期、緊急事態宣言が出たり、自粛をうながされた頃に始めました。当時、自宅とたまに職場に行くくらいで、飲み会とかもほとんどなくなりましたよね。その時に、自粛しているお寺ってクソなんじゃないかって思って。そういう、行く場所がない時こそ寺にでも遊びに来てくれればいいんじゃないかって思って始めたんですよね。

-なるほど。

日野岳:基本的にお寺って、コロナにかかってようが、かかってまいが、誰でも受け入れるって場所なんですよ。そういう場所が当時なかったですよね。密になるなって言ったって、家にも家族がいる方も多いですから。隙間とか空き地みたいな場所がないと、密になるに決まってますからね。嫁の顔ばっか見たくないって人もいますから(笑)。

-(笑)。

日野岳:じゃあどっか、家でない、職場でもない第三の場所みたいなのが必要なんじゃないかなって思ったんですよ。基本的には、お寺ってそういう機能があるはずなんですけど、他のお寺さんとか見てると、自粛してるんですよ。それがものすごくバカなことだって思ったんですよね。ウチはそういうのやだなって。

-なんで、書店だったんですか?

日野岳:あ、基本的になんでも良かったんですよ。赤提灯出して居酒屋ってのも考えたくらいで。場所として、間口を広げて誰もが訪れやすくなれば、なんでも良かったんですよね。ただまぁ、みんな昼間は嘘でも仕事してるじゃないですか(笑)。

-嘘でも(笑)。

日野岳:なので、集まりやすいのは夜かなって。あとは、当時は「居酒屋」っていうと来にくくなってしまうかなって思ったので、まぁ本屋くらいかなって落ち着き方で「夜行書店」を始めたんです。

-日野岳さんご自身が読書がお好きということもなく?

日野岳:全くないです(笑)。人並みには読みますけど、特別本が好きってこともないです。気軽に来てもらえるなら、なんでも良かったんですよ。

-お寺って誰でも来れる、いわゆるサードプレイスだと思えないんですが。

日野岳:基本はサードプレイスであるべき場所ですよ。寺に比べると神社とかは、もっと行きやすいですよね。内宮まで入らず、境内にフラッとお参りに行きますよね?

-あぁ。確かに敷地に入って遊んだり、散歩するイメージありますね。

日野岳:あれは、良く出来てますよね。お寺は、玄関があってなんとなく入りづらい。でも本当はお寺も、宗派関係なく、誰であれ、ふらっと入っていい場所なんですよ。仏さんが誰かを拒否することなんてないですから。じゃあ、何が入りづらくさせてるのかっていうと、それはクソ坊主のせいなんですよ。

-なるほど(笑)。

日野岳:入りにくいと感じさせているとしたらそれは「人」が原因です。

-なんとなく、お坊さんのお宅に入るようなイメージがあるんですよね。

日野岳:それは、坊主が寺を私物化してるってことでもあります。その時点で、どうかと思いますよ。

お寺は、神聖でいかがわしい場所。

-お寺って歴史的に見て、お寺ってどういう場所だったんですか?

日野岳:お寺に限らず宗教施設って街内に1つはあって、聖と性を掛け合わす形で地域がデザインされていたりしたんですよ。

-聖と性?

日野岳:お寺の近くにラブホテル街とか風俗街があったりするんですよ。生活圏内に聖と性がセットでデザインされていることって割と多いんですよ。そもそも、街は生と死が、いかがわしさとしてデザインされてた。ニュータウンとかってそういう機能がないから、あんまり魅力的じゃないかもしれませんよね。お寺や神社、宗教的なもののない町も、エロのない町も面白いくないと思うんですよね。

-へー!


オープン準備中の日野岳さん。
絵本やプロレス関連の本に紛れて、エロ本も。
「最近、気楽にエロ本読めないじゃないですか(笑)。昔は、河原に落ちてたりとかね(笑)。最近はスマホでしょうけどね。これからは、エロ本も充実させたいですね。」文化的なエロ本だけでなく、もっとただのエロ本も増やしたいということ。アダルトを主題にしたイベントも実施したこともあるそう。

日野岳:現代では、風俗街が廃れてしまっていることも多いので、神社仏閣が残っているケースが多いですが、戦前は性と聖がセットになった街が多く見受けられたそうです。

-昔から、お寺には坊主が住みながら運営していたんですか?

日野岳:昔は「院」とか「庵」とか付いているような由緒正しい寺院には、住んでいることもありましたけど、基本的には誰かのものではなく、特定の坊主がお寺に住むってこともありませんでした。

-あぁそうなんですね。

日野岳:寺院が坊主の家を兼ねたのは、江戸後期の寺請制度以降の話で元々は地域のものだったんですよね。その街の人たちの憩いの場というか…何かあればそこを使う場所だったんですよね。海外のモスクとかって、なんかもっとフラッと観光したりできますよね。

-確かに、なんかフラッと寄れる感じはありますね。

日野岳:現在ですと「何宗ですか?」みたいな話になりますけど、そもそも宗派とかですら、明治期以降のものです。それ以前は神仏習合だったわけですから。だから、ウチはクリスマスイベントやったこともありますし、なんならご近所の神社の打ち上げを寺でやったりしていますよ。

-すごい自由度が高い(笑)。

日野岳:本当はそれでいいんですよ。何宗だろうが、なんでもいい。そういう枠組みをどう外すかってのの1つの手段が「夜行書店」なんです。

-「お寺とはもっと神聖なものである」って思われたりする方もいらっしゃるんじゃないですか?

日野岳:神聖さを担保するのはまた別の話ですよね。お寺自体は基本的に空間として担保されている。ただ坊さんは別です。人ですから。例えば、先ほど言われたこのモヒカンにしても、そうです。こんな格好でお経をあげても、説得力を持てるか、神聖さを保てるか。もし保てないんだとしたら、それは俺の力量不足だってことですよね。きちんと説得力と神聖さを持つことは、坊主の勝負なんですよ。

-なるほど!

日野岳:初めて葬式を頼んでもらえる際も、俺がこのナリでいくと、大抵会場がザワつくんです。でも、そこでしっかり読経して、様式にも則ってピシッと弔えば安心してもらえますからね。

-あぁ。それはそうですよね。

日野岳:酔っぱらいのおじさんが、歌い出したらめちゃくちゃ歌が上手かったら感動しますよね。そういう振り幅はお坊さんにもあっていいですよね。

-確かにその方が感動するかもしれません(笑)。

ドラえもんの空き地のような社会の隙間。

-夜行書店を続けてきて、開けた場所にはなってきているんですか?

日野岳:ウチの本堂にはピアノが置いてあるんですけど、ピアノ弾きに来るおっさんとか、ホルンを練習しにくる学生とか、ギターを買ってきたって子とかね。面白がってくれる人は、結構集まってくるようになってますよ。仕事辞めたいってサラリーマンが相談に来てくれたり、変わったところだと、薬物中毒の方から電話が来たこともありましたね(笑)。

-えぇ!?ちょっと怖くないですか?

日野岳:そりゃ俺としても、超だるい、めんどくさいとは思いますよ(笑)。でも、仏さんは「誰でも救いますよ」って言っているわけです。だから、まぁ殺人者だろうが強盗だろうが、一度は受け入れざるを得ない。それは、もうお寺の大前提のルールなんです。誰であろうと、一度受け入れてから、その先はどうやってコミュニケーションするか、距離を取るかは、俺個人の問題です。

-“誰であろうと”って結構すごいことですよね。

日野岳:そんなに考えていなくて、まぁなるようになったらいいだろうって思っていますけどね(笑)。まぁお寺をどうしたいってのはあんまりなくて、ここでみんなで遊んでいられたらいいなって思うくらいですね。

-お寺が遊んでいられる場所って考えたことなかったです。

日野岳:ドラえもんの空き地ってありますよね。あれって謎だって思いませんか?(笑)

-確かに(笑)。

日野岳:家出したら、あそこの土管で寝てたり、暇だっていえばあそこに集まったりしてる。たまにおっさんが怒りに来たりもするし。あぁいう場所って、現在の社会にはどこにもないですよね。

-ないですよね。

日野岳:現代は、空き地のような社会の隙間みたいなものがない。それで密になるなって言っても、そもそも隙間もないのに無理ですよね(笑)。そんな無茶言うなって話です。お寺が自由な場所、空き地みたいな場所ってのになれればいいと思うんですよ。

-社会的な問題としても意識しているんですか?

日野岳:全く地域のためとか、誰かのためにやるってスタンスではないんです。何かのためにやっているわけでもないし、何かを言い出すと枠組みになっちゃうからあまり話さないんですよ。

-枠組み?

日野岳:例えば、SDGsとかもそうですけど、やってることは良いのに「活動していますよ」ってアピールした途端に、すごく野暮な枠組みになっているように思います。こういう活動って枠組みにした瞬間にダメになると思うんですよ。

-あぁ。そうかもしれませんね。

日野岳:SDGsのバッジとかつけはじめると、どうなんだって思うじゃないですか(笑)。

-(笑)。

日野岳:だから、枠組みとか、そう言うのを作らないようにやりたいって思いますよね。俺と関わらなくても、来てぼーっとしてる人とか見てると、めんどくさいけど楽しいですよっていうくらいなんです。

仏教との距離感。

-日野岳さんと仏教の距離感ってどんな感じなんですか?

日野岳:「あなたは仏教を信じているんですか?」って問われたら「はい信じています!」って言えるほどの確証はない。仏さんを信じているとか、何かに帰依しているって感覚もないんですよ。
でも、誰かが死んだら、自然と手を合わせたい気持ちになったりしますよね。そういうことに対する疑問を拭えないから続けているんです。総じて、いいもんだなとは思っています。どういう形で表現するか、どう伝えるかってのは、工夫するべきことだと思いますね。

-ただただ、信じるものでもないんですね。

日野岳:例えば、言葉だけで誰かに「愛している」って伝えられるなら歌なんて作る必要がありません。じゃあなんで歌にするのかっていうと、言葉じゃ足りないんですよね。だから、いきなり「仏教を信じろ」っていうのは嫌だし、自分自身も信じているわけでもないんですよ。現代は、そういう遠回りって嫌な方も多いと思うんですが、俺はそういう遠回りをしたいんですよね。

-あぁ。日野岳さん自身も、すごく遠回りしながら、結果的に仏教を信じたいのかもしれませんね。

日野岳:それでも、絶対に「信じてる」とは言いませんけどね(笑)。それは野暮じゃないですか(笑)。自分でも、めちゃくちゃ遠回りな活動してるなって思ったりしています。でも、鈍行ならではの楽しさってあるじゃないですか。新幹線じゃ見れない景色がある。近道は、みんな使うから混んでるし、遠回りの方が楽しいものです。実際に仏教を信じてるかどうかは大した問題じゃないと思うんですよね。

-あぁ。遠回りするための理由として、仏教があるくらいの感覚なのかもしれませんね。

日野岳:実際に、仏教を広めたいわけでもないし、どうにかしたいともおもっていないんですよ。

-でも、少子化でお檀家さんも減るわけで、お寺も経済的に大変なんではないですか?

日野岳:よく「お檀家さんはどれくらいいるんですか?」とか聞かれるんですけど、俺は、お釈迦さんが「一切衆生」って言っているので「専立寺の檀家は70億人ですかね」って言っています(笑)。日本だと1億2000万人くらいですかね〜って(笑)。

-(笑)。

日野岳:実際、仏教ってそういう射程なんじゃないかと思うんですけどね。特に仏教は、いわゆる宗教ともちょっと違ってそもそも「信じる」みたいなものではないと思うんですよ。

-あぁ。「神様」みたいな感じでもないのかもしれませんね。

日野岳:宗教ってのも明治期以降の括りなので、「生きている限り仏教です。」みたいな世界観だと思っていて。んー。なんか上手くいえないけど、信じてなくても救われるイメージはあって、信じているか否かはあんまり関係ないんじゃないかって思うんですよね。その上手く言葉にできない感じを、こういう場所を通して表現しているのかもしれませんよね。

-ただ、実際にお檀家さんが減ってくると、お寺も続けられなくなりませんか?

日野岳:空間としてのお寺が続くかどうかってのは、また別の話ですよね。坊さんとして食えなくても、バイトでもなんでもして続ければいいって思うんですよ。生き方なので。実際、坊さんより坊主っぽい会社員とか研究者とか、多いですから農家とか職人とか何かの道を極めている人は、すごくお坊さんぽくもありますよ。

-お寺自体は、お子さんに継いでほしいと思うんですか?

日野岳:俺が楽しそうにやってれば、きっと「楽しそうだから継ぎたい」ってなるだろうから、継いで欲しいと思いますね。「我が子には自由に生きてほしい」って嘘つく坊主も多いですけどね(笑)。

-自分が自由ではないってことでもあるのかもしれませんね。それにしても各所から怒られそうな活動も多そうですね(笑)。

日野岳:多いですけど、ちゃんと怒ってくれて、喧嘩をできるのは嬉しいですよね。怒られるってことは、何かしら考えてくれてるってことなのでありがたいです。陰口叩くくらいなら、ちゃんとそこは話し合える方がいいです。

-これからチャレンジしたいことはあるんですか?

日野岳:あんまりないですけど、ときどきで面白いことを面白い仲間とやれればそれでいいと思います。未来に向けてやりたいこととか…あんまないんですよね(笑)。大菩薩マーケットって言って、20~30くらいのお店が出展するイベントをやったり、演劇とかライブもやっていますね。お寺でやる意味みたいなのは必要だと思いますけど、結構好き勝手やれるんですよね。

-お寺、すごく可能性があるのかもしれませんね。

これからの世界で失いたくないもの。

-では、最後の質問です。日野岳さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?

日野岳:そもそも、何かを得ている感覚もないんですよね。特に何も得てないので、失うものもないかな(笑)。自分の家族でさえ、あんまり失った時に考えようって思っているくらいで(笑)。うーん…。

-(笑)。

日野岳:「みんな死ぬ」ってのは、無くなって欲しくないかもしれませんね(笑)。漫画映画とかでも「不老不死」って設定あるじゃないですか。あれは、現実では絶対あって欲しくない。全員ちゃんと死んで欲しい。死なないと面白くないじゃないですか。「死」が失くなってほしくはないな。みんなちゃんと死ねって思いますね。

-「みんなちゃんと死ね」ってすごいですね。

日野岳:みんなが死んでもいいじゃんって価値観が振り幅としてあったらすごくいいと思うんですけどね。そう思えば、めちゃくちゃ楽しいんじゃないでしょうか?僕らは、昨日死んだ誰かの死後を生きています。今生きている僕らは、誰かの死後の世界を生きている。僕らの死後を想像しながら生きるのは、ちょっと楽しいことですよね。あとは、失われて困るのは、タバコくらいかな(笑)。

Less is More.

日野岳氏は、言葉こそ強く感じるかもしれないが、とても真っ直ぐに仏教のあり方を模索しているように感じた。
来るものを否定せず、絶妙に気を使わせない非常に居心地の良い空間があった。確かに、こうして無料で、気軽に集まれる場所は他にはなかなか考えつかないかもしれない。盛岡市を訪れた方は、ぜひふらりと立ち寄っていただいてはいかがだろうか。

(おわり)

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