革新を重ねる工芸。2000年失われない伝統の構築。江戸切子職人・堀口徹氏インタビュー
食卓に華やかさを添える江戸切子。品のある光の反射はそこに流れる時間までも豊かにしてくれる。伝統工芸としてのイメージが強い江戸切子だが、実は時代に合わせてアップデートされてきたという。生活、産業とともに江戸切子はどう立ち位置を確立してきたのか。江戸切子職人であり、株式会社堀口切子を経営される堀口徹氏にインタビューを行った。
堀口 徹(三代秀石):1976年、東京都江東区生まれ。二代目秀石(須田富雄 江東区無形文化財)に江戸切子を師事した後、三代秀石を継承、堀口切子を創業。日本の伝統工芸士(江戸切子)認定。「三代秀石 堀口徹 ガラス作品展(日本橋髙島屋)」等の日本における展覧会はもとより、ニューヨークやパリ、ロンドン・在英国日本国大使館など海外においても作品を発表し、高い評価を受ける。オルビスグループCSR賞社長賞、江戸切子新作展最優秀賞、グッドデザイン賞等受賞歴多数。
-よろしくお願いします。まずはじめに堀口さんが江戸切子の職人さんになった経緯を教えてください。
堀口:もともと手先を動かすのが好きだったのと、家族を通して切子職人の世界を近くで見て憧れを抱いていたので、大学を卒業してすぐに実家の会社堀口硝子に入社しました。そこで9年勤めて堀口切子を立ち上げました。
-独立して堀口切子を立ち上げられた理由とはなんだったのでしょうか?
堀口:入社した頃の堀口硝子はバブルがはじけ、業績も落ちていたことも影響して、切子の技術を磨く時間がなかなか確保できなかったんです。同年代の職人の話を聞くと、スキルの面で遅れをとっているような感覚にもなって。そこで無理を言って独立させてもらったんです。独立したことで、加工に向き合える時間を確保出来るようになりました。
江戸切子の定義とは?
-「江戸切子」と聞いて頭の中になんとなくイメージは出来るのですが、江戸切子に定義というものはあるのでしょうか?
堀口:恐らく一般の方が多く持たれている江戸切子のイメージって「赤と青のなんか細かいガラスの模様でキラキラしてる」といった感じのものだと思います。それは、約180年続く江戸切子の歴史の中で、昭和後期の頃のイメージなんです。歴史を遡ってみると様々な種類の江戸切子が存在していて、今の80〜90歳の方の江戸切子のイメージは全く違ったりするんです。
-そうなんですね。まさしくそのようなイメージを持っていました!江戸切子って何か定義があるんですか?
堀口:あります。実は、定義を明確にしたのは10年ほど前です。
-たった10年前なんですね!どういった経緯で定義を作られたんですか?
堀口:20年前くらいから江戸切子の知名度が上がるにつれて、「江戸切子ってどういったものをさすの?」「江戸切子の定義ってなんなの?」という質問を直接耳にもする機会が増えました。そういう質問に他の職人さんが何と回答しているのか気になっていたので聞いてまわったんですが、返ってくる答えがてんでばらばらで(笑)。
-(笑)。
堀口:「籠目文や菊繋文などの伝統柄が入っているもの。」と答える方もいれば「透明が江戸切子。」と言う方もいらっしゃいました。認識のズレがけっこう大きかった。当時、自分が江戸切子協同組合の理事をやっていた事もあり、「組合でしっかりと定義を定めて打ち出していきませんか?」となったわけです。
【江戸切子の定義】
1. ガラスである
2. 手作業
3. 主に回転道具を使用する
4. 指定された区域(※江東区を中心とした関東一円)で生産されている
※区域の指定は江戸切子協同組合に帰属。
(江戸切子協同組合にて定められている江戸切子の定義)
-どのように定義を決定したんですか?
堀口:まずは、江戸切子の歴史・変遷を調べるところからはじめました。色・形・カットパターン・デザイン・用途…歴史を追うと様々に変化している事がわかったんです。それらを統合して最終的に上の定義に行き着いた。本質は「ガラスを加工して使い手を驚かせて魅了する。」ということなんです。時代に合わせて変化していける、自由度が高い定義になったと思います。
-伝統のある業界だとなかなかそういうことを主張する事自体が難しかったりするのではないですか?
堀口:伝統柄にこだわっている職人さん等からは「そんなの江戸切子じゃない!」って声もあがりました。しかし大正、昭和初期の江戸切子ってこんな感じになるんですよ。
堀口:この頃はアールデコや大正ロマンの時代なので、むしろこういったタイプの切子がメインで存在していた時代なんです。
-いわゆる江戸切子とは、かなり違いますね・・・!
堀口:そうでしょう?先人達の築いてきた歴史に尊敬があればこそ、自由度の高い定義を作ることが大事だと思ったんです。
産業としての道のりが自由度を保った
-定義を作った事で動きやすくなった部分もあるんじゃないですか?
堀口:そうですね。業界全体が多様性を受け入れるようになりました。江戸切子には、「需要があり、売れるものが残る」からこそ時代の流行を敏感に取り入れてきた産業としての側面があります。それを踏まえると令和の暮らしに合わせた新しい切子が提案されるのは、「むしろ江戸切子らしい事」なんだとも言えますね。
-変化の蓄積が伝統を作ったとも言えますね。
堀口:そうですね。よく「伝統」と「革新」という言葉は、対義語というか逆説的に使われがちですけど、自分は小さな革新の積み重ねが結果的に伝統になったと思っています。ニーズに合わせて小さな革新を積み重ねないと、飽きられてしまって、伝統にならなかったと思いますよ。
-工芸品であり、民藝品やアート作品にも近い立ち位置にもいる。「江戸切子」は絶妙なポジションにいますよね。
堀口:ここ10〜15年、私を含め若い職人達の中で、意図的に江戸切子の幅や奥行きを広げようとしています。作品によっては工芸品としてでなくアートとして出す方がしっくりくることもあるんです。実際、民藝や工芸、アートの境目は非常に曖昧なので前提が難しい所ですが、定義を外さなければ「江戸切子」として成立する。
-あぁ、ここでも自由度の高い定義が機能しているんですね!定義の制定は平成後期から令和にかけての大きなターニングポイントなんですね。
堀口:180年の歴史の中で他にもいくつかターニングポイントがありまして。例えば、昭和40年代あたりにカットグラスや切子の業界が斜陽産業であるという指標が出ました。業界では、このままではまずいと思い、「カットグラス」「切子」と呼んでたものを意図的に「江戸切子」と名付けたんです。
-え!?「江戸切子」って昭和40年代に付いた名称なんですね!
堀口:そうなんですよ。併せて、海外のカットグラスと差別化するために「国産」とか「和」「伝統」「古の技を今ここに〜」というブランドイメージへと意図的にシフトさせた。これに関しては、非常に先人達が時代を読むセンスがあったんだなって思っています。
-意外と近年に作られたイメージなんですね!驚きました。
今、江戸切子職人に求められるスキルとは?
-技術面についてお聞きしたいのですが、言語で説明するのは少々難しいかもしれませんが、職人さんのスキルの差はどのようなところに表れるのでしょうか?
堀口:職人なので模様を切るスキルは、あって当然なんです。例えば堀口切子には経験年数7年目、4年目の職人がいますが、切る技術そのものはかなり高い。難しいのは、適切な道具の選択や工程の無駄のなさ、クライアントとのコミュニケーションや、トラブルへの対処といった部分なんです。特にクライアントワークでは、リサーチからコスト管理、スケジュール管理など「切る」技術以外の能力も求められます。
-一般的に思い描かれているような職人スキルに加えて、色々な能力が必要なんですね。
堀口:30〜40年前だったら江戸切子職人は、加工技術だけを何よりも磨くことで成り立つことができたんです。当時は、クライアントとの間にメーカーさんや問屋さんなんかがいらっしゃって、そういった中間業者の仕様に従って加工することが仕事だったんです。バブル崩壊後に、業界構造が変わることで、クライアントと自分たち職人が直接やりとりすることが増えて、職人に求められるスキルも変わったように思います。
-なるほど。
堀口:加えて、今ではECサイト運営など、色々なことを柔軟に試すことが必要だと思うんです。
↑堀口切子のオンラインショップ
江戸切子が2000年続いたとして。
-江戸切子の未来についてお伺いしたいのですが。
堀口:自分は、江戸切子が2000年続いた未来のことを考えるんです。
-2000年ですか!?
堀口:えぇ(笑)。2000年続く業界だと思えば、現在180年続いてきた伝統ってまだ黎明期として捉えられますよね。黎明期と考えたら、変化するのは当然です。むしろ積極的に変化しないとならない。
-すごい壮大な視点ですね…!
堀口:一方で今ある伝統も、良い形で受け継ぐ仕掛けをしておかないといけない。
-仕掛け?
堀口:例えば、江戸切子には「文様」があります。この文様、実は「菊繋文」「魚子文」「籠目文」など名称はあったんですが、文様の謂れみたいなものは引き継がれていませんでした。
-そうなんですか。
堀口:なので、「魚子文は魚の卵がモチーフ、そこから子孫繁栄を願う文様です。文様を切る時そういう思いで切っています。」というようなストーリーを私たちが創作したんです。現代に自分たちが考えたストーリーが2000年後に残っていると考えると面白くないですか?
- 伝説の始まりを目にしているようです(笑)。時間軸の捉え方がダイナミックというか、黎明期とはいえ180年の伝統をもっている業界ならではかもしれませんね。
堀口:それはあるかもしれません。自分は伝統が出来ていく中のほんの短いパートを担っているだけという感覚があります。たった180年の中でも、30-50年のスパンで伝統柄、モダンな柄…と同じような流行を繰り返しているんです。自分が、そういった長いスパンの中で自分のやらなければいけないこと、できること、残すもの、捨てるものをきちんと見つめていかないといけない。そうすることが結果的に伝統を守り、2000年続く伝統へと繋がると思います。堀口切子の指針として「残す 加える 省く」というのを掲げています。これは道具や機械はもちろん、時には磨いた技術でさえ、勇気を持って取捨選択して、未来に繋げようということなんです。
伝統の近くにいるからこそ流行りには敏感でいる
-新しい事に積極的な堀口さんですが日頃からアンテナの張り方で気をつけていることなどありますか?
堀口:江戸切子はファッションやデザイン、コスメ等と違って、5〜10年同じ物を作り続けていたとしてもなんとなく成立してしまう業界だと思うんです。しかし裏を返せば、そうやって胡座をかいているうちに、20年後には取り返しがつかないほど遅れてしまう危険性も孕んでいます。なので流行は常に意図的に追うようにしていますね。この前も工房でClubhouseの話題になって、とりあえず登録だけしとくか!って(笑)。
-(笑)。
堀口:一回りずつ世代が異なるスタッフ(堀口さんが40代、三澤さんが30代、坂本さんが20代)で堀口切子を構成してるのも、世代を超えた情報を交換するためです。私はFacebookをよく使用しますが弟子達はInstagramの方が身近だったりと、SNSだけでも世代格差がありますから。
↑堀口切子instagram
堀口:堀口切子のスタイルは他の工房に比べると少し特殊かもしれませんね。ファッション、広告、メディア、食事、演劇など自分たちの好きなものから柔軟に影響を取り入れて進化させたいと思っているんです。弟子達にも入社した時から自分の好きなものややりたいこと、夢や目標に堀口切子の成長をうまくリンクさせていって欲しいと伝えています。
- すごくバランスのいい組織だと感じます。
堀口:自分自身の夢も叶えながら、弟子達の夢や目標を叶えてあげるのが会社のミッションです。去年、弟子の三澤が堀口切子内に自身のブランド「SENA MISAWA」を立ち上げました。
堀口:これは、会社としてもすごく嬉しいことですし、彼女がどんどんと夢を叶える姿には刺激も受けますね。
↑SENA MISAWA Instagram
-なんというか、堀口さんはとてもオープンマインドで、想像していた職人像と違いますね。
堀口:いやいや、弟子達に聞いたら、親方めちゃめちゃ頑固ですよ。と言うと思います(笑)。譲らないとこは絶対に譲らない。でも、一方で柔軟に考えないといけない部分もある。そのバランス感覚は大事かなと思うんです。
伝統工芸と海外
-海外での展開についてはどうお考えですか?
堀口:切子のルーツを辿るとヨーロッパ、特にイギリスから日本に入ってきた技術なんですね。明治初頭にエマニュエル・ホープトマンというイギリスの技師が、日本の職人達に指導してくれたカット技術が今まで活きている。
-そうなんですね!
堀口:今、イギリスのカットガラス業界は下火なんです。なので、今度は日本から何かサポートできないかと思って、去年あたりからスコットランドのエジンバラ大学と交流を持ち始めています。明治時代の恩返しと言えば大袈裟ですが、ライフワークとして取り組みたいと思っていますね。
-なるほど。販路の拡大というよりかは文化交流といったかたちなんですね。
堀口:そうですね。商売の部分で言ったら、全世界に発信はするけど、物自体は日本に直接買いに来てもらいたいと考えています。ECなども可能性はありますけど、輸送コストなど考えると、直接日本に来て実際の江戸切子に触れていただいたほうが、より深く私たちの文化を知っていただける。今はコロナ禍なので難しいですが、世界の距離はだいぶ近くなった。直接日本に来て、体感してもらえる事が理想ですね。
これからの世界で失いたくないもの。
ーでは、最後の質問です。堀口さんがこの先の世界で失いたくないものは?
堀口:豊かな気持ちですかね。自分たちの作る江戸切子って「必需品」ではない。災害時・緊急時に、どうしても必要な物でないことは重々わかっています。でも、それがあるおかげで少し豊かな気持ちになったり、人生を少し素敵にする力をもっています。そういうものに、自分たちの人生を懸けて命を吹き込んでいるので、「人の豊かさ」はずっと残って欲しいなと思っています。
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「伝統」どうしてもハードルのある言葉を、慎重かつ軽々と超えていく堀口氏の姿。時に2000年未来を想像し、目の前の技術や流行を見つめ直す。今ある伝統にストーリーを創り、技術を磨く。その姿は、目の前の仕事や暮らしに捉われすぎてしまう私たちにもとても必要な姿勢ではないかと思う。
(おわり)