SF的現実を前に進める。フィクションが描く未来の現在地。大澤博隆氏インタビュー。
今年、慶應大学にできた「サイエンスフィクション研究開発・実装センター」をご存知か?理系・文系の分野を超えて、SFを真面目に研究する非常にユニークな研究センターだ。ここでは、SFプロトタイピングをはじめとする様々な手法でSFの分析・実装を進めている。
では、そもそもSFとは何か?現在SFが描き出すものは?SF的な未来を生きる私たちは、どのような未来を描けばいいのだろうか?
同センターを立ち上げただけでなく、日本SF作家クラブ会長も務める大澤博隆氏にお話いただいた。
人工知能研究から、SFプロトタイピングに接続するまで。
-大澤さんは、活動が非常に多岐に渡りますが、元々はどのようなご専門なんですか?
大澤:元々は人工知能の研究からスタートしました。博士号を取得したのは「ヒューマンエージェントインタラクション」という分野ですね。
-どのような研究なんですか?
大澤:わかりやすく言いますと、ロボットなどの人工知能エージェントと人間の関係についての研究ですね。
-「SFプロトタイピング」を手掛け始めたのはなぜなんですか?
大澤:遡ると10年ほど前に、人工知能学会誌が表紙をケーブルに繋がれた女性アンドロイドに変えて、海外を含む大きな炎上になったことがありました。その際に、人科学技術社会論の研究者である 江間 有沙さん(現在は東京大学東京カレッジ准教授)、マルチエージェント研究者の服部 宏充さん(現在は立命館大学教授)との交流が生まれたのがきっかけですね。お二方が実施された研究会Acceptable Intelligence with Responsibility (AIR)のイベントの一つで、SFの影響が議論されました。「フィクションの影響」というのは、実は非常に重要なんではないかという議論が進んだんです。
-AIRは、「人工知能が浸透する社会を考える」をテーマにした研究会ですね。フィクションの影響というのは?
大澤:鉄腕アトムやドラえもんといったサイエンスフィクション(以下SF)をきっかけに研究者は、非常に多かったりします。つまり、SFを単純にエンタテインメントであり、現実と違うものと捉えるのではなく、両者の関係を調べ直す必要があるのではないかと。
-あぁ。なかなか真剣に話すということはなかったかもしれませんね。
大澤:特に、SFが未来の技術に与えた影響について、牧歌的に議論されることはあっても、人工知能の暴走のようなネガティブなモチーフがどう影響を与えたかは、工学の場であまり積極的に議論されることはありませんでした。社会を作り上げる要因の一つとしてのSFを真面目に捉えるために、人工知能とSFの関係を考える「AIxSFプロジェクト」が2018年に立ち上がりました。その中で過去の作品を分析するだけでなく、新しいフィクションとビジョンを生み出すための手法として、SFプロトタイピングに着目しました。プロジェクトは研究費の関係で、2022年3月で一度終了しましたが、そこでつながったメンバーや、新しく入ったメンバーを含めて、SFの研究を継続的にしていきました。
慶應義塾大学「サイエンスフィクション研究開発・実装センター」が生まれるまで。
-学術界や企業などでSFプロトタイピングが注目される中、今年、大澤さんを中心に慶應義塾大学「サイエンスフィクション研究開発・実装センター」が立ち上がりましたね。
大澤:「AIxSFプロジェクト」や、その後のプロジェクトに参加してきたメンバーがより自由な活動ができるよう、継続的に後押しできるハコを作りたかったんです。そのため、明確なゴールを設定して、そのためにみんなで頑張るというより、各自が自分の専門性からやりたいことを突き詰め、それぞれのメンバーが活動する中で生まれる問題を共有することを重視しています。
-分野を横断した、幅広いメンバーが参加していますよね。
大澤:「文学グループ」「認知科学グループ」などのいくつかの部門に分かれて、それぞれの責任者を中心に研究を進めています。一例ですが、私は人工知能グループのリーダーを担当していますが、プロのSF作家さんとも協力しながら、生成AIと人間の協調による、人類の新しいフィクションの応用の可能性を探っていますね。
-すごい面白いテーマですね。少し詳しく教えていただけませんか?
大澤:例えば現在の出版文化は、プロの作家が書き、それを出版社が販売するというモデルだけではなくなりました。読み手が読みたいものを作り、それを同好の士と広げる同人文化も重要ですし、インターネットの発達でこうした活動が国内外、オンライン上で広がっています。それに加えて、昨今では生成AIの進歩によって、発想の段階から人間の執筆を手助けしたり、あるいはAIが自律的に物語を生成できるようになってきた。品質はともかく、人間だけが特権的に物語を書ける存在ではなくなった。そうした状況の中で、AIが物語をどう変えうるか、というテーマで研究を進めています。
-AIが当たり前になりつつ今、どのように新しいSFを生み出すかということですね。
大澤:広く言えばそうですが、出来上がった作品そのものだけに価値を置いているわけではないです。物語を作る過程の議論に意味がある場合もある。例えばSFプロトタイピングはワークショップ形式で複数の人々が集まって物語を作る過程に参加することが多いですが、その会話をサポートするアプリケーション開発したりもしています。
-あぁ。人的なワークショップに、テクノロジーも融合してみているんですね。
大澤:高校生達にも使ってもらったりしながら、評価をしています。
SFがビジネスに飲み込まれないよう。
-SFプロトタイピングは、ビジネス業界でも注目を集めているように思います。
大澤:コロナ禍以降の未来が見えない状況で、企業もどうしたらいいか悩んでらっしゃいますよね。”SFの手でも借りたい”という感じではないかと(笑)。
-(笑)。「サイエンスフィクション研究開発・実装センター」は企業との研究も手掛けてらっしゃいますね。
大澤:センターには、経営学グループもあります。企業との取り組みには非常に前向きです。社会貢献的な視点からも、ビジネスとアカデミアが助け合うことは必要だと思います。一方で、バランスにはすごく気をつけていますね。
-バランス?
大澤:多くのSF作品では「企業」や「ビジネス」というのは、ある種の資本主義的な価値観に取り込まれるモチーフとして扱われてきました。利益相反が生まれる中で、取り扱う技術に無批判になってしまうことは避けなければなりませんし、プロパガンダの危険性は認識すべきです。
一方で、資本主義的なものを悪魔化して、いたずらに対立構造を作るのもまた間違いだと思います。企業は人の集合体で、どんな企業にも悩んでいる個人がいます。そうした人たちを手助けすることが重要です。
-SFの立ち位置を見失わないようにありたいわけですね。
大澤:社会に対する学術の機能は、知見の提供です。その観点で見ると、SFがビジネスに有益であるとはどういうことなのか、その点がそもそもまだわかっていないことが多い。まず、その知見を掘り下げていきたい。
-企業側は、なんらかのイノベーションを求めて共同研究をしたいのではないかと思います。
大澤:「SF『ダイヤモンド・エイジ』からインスパイアされてKindleが生まれた」とか「イーロンマスクがSFにインスパイアされて生み出したサービス」のように、なんらかの知的財産が生まれるのは、わかりやすい成功例ではあります。ただし、SFの影響は、目に見える短期的な結果だけではありません。
-どのような結果が生まれるものですか?
大澤:例えば、社員教育などに効果を感じていただけることもあります。経営学グループではSFプロトタイピングとロードマッピングを組み合わせて、経営戦略につなげる手法を模索しています。直接的なプロダクトやサービスに結びつく結果を求めるケースも分かりますが、SFの思考法を人々が身につけることこそが価値だとも思います。
-SFの思考法?
大澤:SFと聞くと、いわゆる自然科学技術を扱った世界観を想像される方も多いと思いますが、実際はもっと守備範囲が広いジャンルです。
人種や民族、ジェンダーなど、マイノリティを描く作品や、ファンタジックなものや、社会制度、社会科学的なものを取り扱った作品も多い。SFは、直接的な科学技術ではなく、アイデアを与えてくれる媒介といえます。
-科学だけでSFを捉えているとズレがあるのかもしれませんね。
大澤:「AIを生んだ100のSF (ハヤカワ新書) 」を監修する際に多くの研究者にインタビューしました。そうすると「自分自身の発想をこんなにも飛ばしていいんだ」とSFに勇気づけられた研究者も多かったんです。
-SFの思考法をインストールすることで、自由に発想できる勇気が生まれるんですね。
大澤:「SF」っていうのは免罪符の一つでもあって「まぁこれはSFだからね。なんでもありだよね。」と話しやすくなる。SFを介してお互いの意見を言いやすくしたり、発言できる幅を広げたりできると思いますね。SFを媒介にした議論こそが有益だと思います。
-SFはコミュニケーションに有効だと。
大澤:SFのルーツを辿ると、サイエンスコミュニケーションのために用いられてきた歴史があります。1970年代の大阪万博の頃は、企業とSF作家のコラボレーションも多く生まれていました。
-小松左京さんをはじめ、SF作家が大阪万博に参加されていたりしますよね。
大澤:そこで求められたのは表面的には宣伝ではありますが、本質的には思考を広げるための対話であったのではないか、と思います。
サイエンティフィックな思考。
-先ほど、SFの守備範囲が広いというお話がありましたが、ここであらためて大澤さんの考えるSFってなんでしょうか?
大澤:難しいですね(笑)。例えば1960年代にはジュディス・メリルがSFを「スペキュレイティブ・フィクション(現実世界と異なった世界を推測、追求して執筆された小説)」と定義しなおし、多くの作品をSFとみなしています。SFは科学的な知見だけでなく、思弁的、思考実験的なもの、幻想文学なども取り込んで、その範囲が広がったと思います。
-幻想文学でさえ、SFと言えるかもしれないわけですね。
大澤:色々な考え方があります。例えばSF書評家の橋本輝幸さんは、SFとは一つの強いポリシーで成立しているわけでなく、異なる根を持つ人たちが合わさって活動している分野だという旨を発言されています。これに賛同しつつ、私自身の研究においては「サイエンスフィクション」=科学をベースにした虚構と考えています。ただし、現実の科学との整合性は、比較的許容していて、例えファンタジーであってもそこにサイエンティフィックな思考が積み重ねられていれば、SFと捉えています。
-サイエンティフィックな思考?
大澤:ベースが虚構でも、推論の手法がサイエンス的だということですね。例えば、よしながふみさんの「大奥」は、思考実験的でもあり、社会科学的なSFです。作中に登場する病などは、虚構ですが、それに対しての物語の組み立て方や、設定の作り込みは「サイエンティフィックな思考」と言えます。
-なるほど。荒唐無稽な設定であっても、論理的に破綻しないように積み上げているというようなことですか。
大澤:古典ですが「フランケンシュタイン」なんかはホラー作品でもありますが、サイエンティフィックかつ、思弁的でもあります。「ドラキュラ」もホラーでありミステリー作品ですが、謎を解くプロセスは、論理的でサイエンティフィックなプロセスが描かれています。当時の最先端医療でもある輸血が描かれているのが有名ですね。
少なくとも、科学的な思考法をベースにした作品には、扱うべき価値がある。その点でSFを広く捉えています。厳密すぎると、排他的にもなってしまいますからね。
現在のSFが何を描くのか。
-古典的なSFで描かれてきた「空飛ぶ車」とか「ロボット」のようなモチーフが、現代では夢物語ではなくってきていますよね。現在のSFってざっくりとどのようなモチーフで未来を描いているんでしょうか?
大澤:藤井太洋さん、安野貴博さんのように、科学技術に明るい作家は、いわゆるSF的な大きな未来を描いていますし、エンジニアリングの可能性を追求するタイプの作品は未だ多く描かれています。一方で、オンラインを舞台にしたり、認知科学的領域を取り入れた、ちょっと複雑な作品を描く作家も増えてきています。
-どのように複雑になっているんですか?
大澤:AI作品であれば「AIはなにか」だけでなく、そこに「自分とは何か?」のようなテーマがのってくるイメージですね。科学技術を現実に対比するものではなく、現実に存在するものと捉えている。作者はもちろん、私たち読者も科学や技術への解像度が上がっている影響ではないかと思いますね。
-科学への解像度?
大澤:例えば数十年前であれば、巨大なコンピューターで我々が支配されて、楽園になるとかディストピアになるとか、我々とは切り離した存在として考えられた。しかし現代では、誰もがスマホを持って、ある意味では巨大なコンピューターに支配をされている世界になってしまったわけです。
-あぁ。SFが現実になりつつあるわけですね。
大澤:私はそういう言い方は誤解を生むと思うのでしませんが、現象を見ればそのようにも見えます。実際に我々は、テクノロジーにある種の「支配」をされているわけです。
しかし、極端な楽園にも、極端なディストピアにもなっていませんよね。現実は、ある程度自分自身の情報とベネフィットをトレードしながら、バランスをとって私たちは社会を形成しているわけです。結果現在の作品中で「コンピューターに支配される世界」を乱暴に敵視しても、あるいは称賛したとしても、そこにはリアリティがない。
-確かにそうですね。
大澤:例えば、林譲治さんは、宇宙スケールの大きなお話を描かれますが、その中に現代的な組織論が盛り込まれていたり、現実的な視点が読み取れます。そういう両方の視点から楽しめるのが、現在のSFの面白い特徴だと思います。
-SFではディストピアが多く出てきたり、ポジティブな未来のイメージってあまりないように思います。
大澤:作家さんによると思いますし、ポジティブなものは結構ありますよ。ただ、SF作家や評論家でも、SFがネガティブすぎるんじゃないかと議論されることはあります。作中でなんらかのトラブルが起きた方が、モチーフとして描きやすいというのはあると思います。警鐘を鳴らす意味でもカッコいいですからね(笑)。
-(笑)。
大澤:一方で、ホープパンクという明るい未来像を描く動きもあります。作家さん側から「希望を書くんだ」という姿勢を見せていることは興味深い。
-希望も描かれ始めているんですね。
大澤:ただ、現在の状況で希望や幸福を描くのは、非常に難しいことでもあると思います。「全員が幸せになる」ハッピーエンドの裏で見落とされる問題や、切り捨てられる人々について、誠実に描かれることが求められているように思います。
-あぁ。希望の裏で、虐げられる人はいないのだろうかと。
大澤:世の中の多くの人が楽しむようになり、価値観の違いが現れることが増えました。そのため、さまざまな立場の読者の視点が現れてきている。そういう問題をクリアしてかつ、ポジティブで希望に満ちたSF作家はいます。
-今、大澤さんご自身がSFで注目されているのは?
大澤:例えばVG+のように、特定の地方を舞台にしたり、野球など特定のテーマを中心に作品を集めているのは面白いと思います。リーチする手段を探されている。
SF全体でも賞が整備されて、新しい賞も増えているので、若手作家も増えてきています。
-すごく盛り上がってきているんですね。
大澤:メジャー流通だけでなく、文学フリマなどでも作品は数多く発表されているので、色々な方向で接点が増えたと思います。古典的なSFも素晴らしいと思いますが、私自身は、新しい作品に注目してほしいですね。その方がSFらしいというか、古いことにこだわりすぎないのは大事かなと思います。
日本のSFのあり方。
-SFの地域差みたいなものをお聞きしたいと思います。近年だと、中国SFに代表されるように、地域によって描かれる未来に差があることについてはどのようにお考えですか?
大澤:特に中国は「三体シリーズ」の隆盛以降、色々な作家さんが注目されていますよね。
中国のSF業界は、日本の70年代万博前後のような盛り上がりを見せているのではないでしょうか。一緒に行った野尻抱介さんが述べていましたが、科学技術への夢をまだ直球で書けるリアリティがあると感じます。
-作品だけでなく、SFプロトタイピングをしたとしても、そういった地域性が反映されることもあるんですか?
大澤:ある程度の影響は感じます。米国のSFプロトタイピングは企業が扱うものが多いですし、欧州は行政主体の物が多いと感じます。印象ですが、中国は広報的な役割に重点を置いているように見えます。
ですが、そもそもグローバル化の世の中ですし、世界の人々はお互いを見ています。SF作家は、世界基準の作品を手掛けたいと考えているでしょうし、世界の若手の作品を見ていると、興味の対象は似ていると感じます。結局、どの国の作家も、ネットでつながった現代を生きていることに変わりはないですし。
日本は作家も読者も、面白いものに目がありません。文章から映像、インタラクティブなゲームに至るまで、フィクションの幅が、すごく広いと感じます。こと日本においては、世界中のSFの影響を支障なく受けられるというのが、地域の特徴と言えるかもしれません。
-世界中のSFの影響を受けているんですね。
大澤:日本は経済や人口規模の割には、世界に影響を与えるフィクションの量が多く、歴史的な蓄積もあります。日本SF作家クラブも60年以上の歴史があって、作家さんのバリエーションも多い。手法においても、小説だけでなく、漫画やアニメ、実写、ゲームなど多様です。評論や考察を手がける人も多いので、文化としてはかなり成熟しています。
-ある意味では、世界中のSFと接続してきたのが日本のSF界なのかもしれませんね。
大澤:SFを中心とした生態系があるといいますか、少なくともアジア圏では長らくトップでしたし、今でも中国の次に大きいと思います。
例えば、コミックマーケットの源流の一部にはSF大会があります。SFを中心に文化が接続してきたようにも思います。日本における、SFの地域性があるとしたら、そういう幅広さではないかと思いますね。近年注目される韓国SFにも、日本のSFから影響を受けた作家さんがいらっしゃるんですよ。
-日本のSF、ちょっと心強いですね。
大澤:悪ノリもありますが、ファンコミュニティの結びつきが強いので、ちょっと変わったことも認め合う雰囲気はあると感じます。
-偏見でしたら申し訳ないのですが、そういうコミュニティって、一般的に入りづらくも思っています。
大澤:コミュニティに入るハードルは少なからずありましたね(笑)。ただ、現在はジャンルが広くなりすぎて、全てをカバーできているファンがいないという言い方もできます。小説には詳しくてもゲームは知らないとかね。先行作品に敬意を払うことは重要ですが、それに囚われすぎず、今の作品を楽しむことも重要だと思います。
「SF学」に向かうセンターのこれから。
-慶應義塾大学「サイエンスフィクション研究開発・実装センター」も立ち上げた今、大澤さんがこれから考えてらっしゃることを教えてください。
大澤:小松左京さんが生前に「SF学というのがあるべきだ」とおっしゃっていたそうです。SFを中心に人文・理工系の知識が合わさった学問を作るべきだと。なかなか壮大な目的なので、そこまで到達していませんが、SFに関する教育を進めていきたいと思います。
-SF教育とか、あったら楽しそうですよね。
大澤:研究者やビジネス分野の方とお話ししていると、例えば、SFのイメージが古かったり、ちょっともったいないと思うシーンもあるんです。
科学技術政策の中でも、未だに鉄腕アトムの話が出てきたりする。とても素晴らしい作品ですし、真面目に捉えるべきですが、流石に60年昔の作品を未来のビジョンとして批判なく使うのは、少し無邪気かと思いますし、手塚さんが生きていたらやらないでしょう。
-未来像が止まってしまっているんですね。
大澤:2018年に研究プロジェクトを始めたときは「想像力のアップデート」という言葉を基盤に置きました。想像そのものではなく、想像するための力をアップデートするということです。だからこそ、今のSFにも着目して欲しいし、前に進めなきゃなという意識が強くあります。私達研究者自身の発想力も、現在進行形のSFの想像力に追いつけるといいなと思っています。
これからの世界で失いたくないもの。
-では、最後の質問です。大澤さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
大澤:「物語」かな。AIでも物語は書くことはできますし、人間よりも上手く書ける可能性も十分あります。ですが、それができることには、実はそもそも意味がないのかもしれないと思い始めています。
「物語」はその言葉通り「語る」ものです。本質的に言葉だと思います。「この人が語ること」を聞きたいと思いますし、だからこそ、人間がやるべきことだと思う。物語は失われて欲しくないですね。
Less is More.
「AIの書く物語には、そもそも意味がない」AIの研究者でもある大澤氏の言葉に驚いた。
フィクションは、完成品だけでなく、アウトプットに至るまでの対話や思考、そのプロセスこそが価値であることを忘れずにいたい。
(おわり)