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世界で進む無宗教化と、これからの宗教のあり方。林尭親氏インタビュー。
「日本人は無宗教な人が多い」と聞いたことはないだろうか。現在では、世界中で無宗教者が増えているそうだ。一方で宗教戦争に代表されるように、依然として宗教は、世界に大きな影響力を持っている。
宗教心理学者の林氏は、最新技術も取り入れながら、日本文化が持つ曖昧で複雑な宗教観を研究し、多文化が共に分かち合うための研究を続けている。私たちと宗教の新しい距離感とあり方についてお聞きした。
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↑林氏は当メディアを主催する株式会社インフォマートがスポンサードする「研究を通じて成し遂げたい世界観(研究Vision)」を発信し、新しい価値を創り出すためのチャレンジ「アカデミスト プライズ」にも参加中。
宗教から分かち合う道を描く。
-宗教はある種繊細なお話だと思いますが、読者の皆様もどうぞお手柔らかにお願いいたします。
林:分かりやすいよう、私自身の所感も交えてお話ししたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
-林さんは、なぜ宗教を研究しようと思ったんですか?
林:一つは、小学5年生から中学3年生までタイに住んだ経験が大きかったです。タイは、9割以上の国民が仏教徒なんです。熱心な信者が多く、街のあちこちで寺院や祠に祈る姿を見かけました。日本にいる頃は宗教に対してちょっとネガティブなイメージもあったのですが、宗教が日常に溶け込んでいるタイの風景が宗教の印象を変えてくれました。
-タイは仏教国で有名ですもんね。
林:もう一つの大きな体験が、大学時代にアメリカに留学したことです。アメリカはキリスト教徒の方が7〜8割を占めているような文化で、聖書の記述や、奇跡的な宗教体験、天使の存在などを信じる方が多いのを目の当たりにしたんですよね。私自身は特定の宗教を持っていないので、闇雲に神様を信じる感覚はないのですが、自然と信仰していることに驚きました。
-確かに「神様」って聞くと少し構えてしまいますよね。
林:留学先でできたサウジアラビア人の友達にもごく影響を受けました。彼らには、イスラム教についてとてもたくさんのことを聞きました。「どうして神様を信じるようになったの?」「イスラム教徒から見た仏教やキリスト教徒ってどういうイメージなの?」など、本当にさまざまな話を日々聞かせてもらいました。
-素敵な関係ですね。
林:今でも印象に残っているのは「キリスト教のことは異端だとは考えている。でも、私はイスラム教の教えしか受けていないから、洗脳されていたとしても自分では分からない。だから間違っているかもしれない」って言っていたことです。他の宗教に違和感がありながら、それを頭ごなしに否定しない姿は、すごく印象的だったんですよ。そういった体験を通して、宗教を研究することで、さまざまな文化を分かりあうきっかけになると思ったんです。
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無宗教でも、宗教がOSとして影響している。
-日本って一般的に「無宗教」な方が多いって言われていますよね。世界ではどうなんですか?
林:世界の様々な地域で無宗教者が増えてきていますね。近年では、欧米諸国で国民の7〜8割が宗教を重要だと考えていないというデータもあります。例えば、オランダ、イギリス、ドイツなども少なくともデータ上はそういった傾向が強く見られます。先進国の中では、比較的宗教色が強いと言われていたアメリカもだんだんと無宗教者の割合は増加していて、ある調査では国民の半数が無宗教だと言われることもあるほどです。
-世界でも無宗教が進んでいるんですね。
林:ただし、素朴に無宗教というだけで括ってしまうと捉え方を誤ってしまいます。宗教というのは、文化や国家、個人の思考、私たちの社会を形成するベースなんですね。
-どういうことですか?
林:私たちは、なんらかの文化の中で生まれて、生きています。近年に至るまで「世界をどのように捉えるか」ですとか「世界のあるべき姿」、「自分の人生のあり方」「他者との関わり方」というような、ある種の道徳的規範、思考様式の多くは宗教が提供してきました。文化を形成する上での土台となってきたんですよ。ですから、宗教は個人の思想・思考における、いわばOSのような役割をしていると考えています。
-あぁ。パソコンとかもOSがないとアプリが動かないように、思考を動かすベースとして宗教があるのではないかということですね。
林:イスラム教・キリスト教・ユダヤ教などの一神教から考えるとわかりやすいかもしれません。この3つは旧約聖書を原典にして派生した宗教なので、構造的にも似ています。ざっくりまとめると唯一神がいて、世界の始まりから現代、そして世界の終わりと終わった後を規定しています。こうした構造は、そのまま社会構造のあり方にも影響を及ぼしています。
-なるほど。なんとなくイメージできる気はします。
林:また、この3つの宗教では天国や地獄の概念を含む死後の世界にしばしばフォーカスを当てています。例えば,キリスト教における千年王国や最後の審判は最も重要な信仰上の概念であり,これらの終末を想定して現在の自分の考えや行動を改めるということが行われます。つまり、「死」もしくは「死後」にフォーカスした宗教です。一方、仏教や儒教、神道や一部のヒンドゥー教は、「現在をどう生きるか」つまりはに「生」に重点を置いた宗教だと言えると思います。ですから、相対的にどの宗教色が強い文化圏に属するかで、日々の暮らしぶりが変わることは想像できるかなと思います。
-そういった構造・主張が文化圏をかたちづくるベースになっていると。
林:ええ、どちらが良い/悪いではなく、宗教ごとの構造や主張というのは、そのまま文化圏の特徴や、家族形成、個人の人格形成にも根深く影響していると思うんです。ですから、無宗教者であっても、困った時に神頼みしたり、縁を信じている人は多いですよね。一概に「無宗教」と括ると、宗教から受けた影響に気がつけなくなってしまいます。
-無宗教者であっても、宗教の影響を多分に受けて暮らしているんですね。
林:とはいえ、組織としての宗教の影響は薄れてきていますから、宗教・宗派ごとの「世界観」は薄れていると思います。私が専門とする心理学ではスピリチュアリティと言われますが、いろいろな宗教の教えを少しずつ引っ張ってきて、個人の宗教的な世界観を自分の中に内在させるようなことが、ある種の本能的な働きとして見られてきているのが現在ですね。
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データから見えてくる日本の宗教への寛容性。
-改めて林さんの研究について教えてください。
林:私の専門はいわゆる社会心理学の一種「宗教心理学」です。社会の中で構築された宗教的な概念をどのように個人が受け入れ、個人の人生に応用していくのか、社会が変化していくのかを研究をしています。特に日本・日本人の宗教観が専門ですね。
-実際には、どのように研究をしているんでしょうか?
林:現状は、日本在住の方を中心に、仏教宗派や神道、キリスト教信者、無宗教者のデータを集めて研究しています。
-どんなデータを集めているんですか?
林:質問紙などでのアンケート調査に加えて、技術的な土台が整ってきた現在は、新しい方法論としてNLP(自然言語処理)を用いた調査もしています。対象者の自由記述や、インタビューから、トピックやデータを抽出できるんですよ。
-データからはどんなことがわかるんですか?
林:例えば、同じ宗教・宗派であっても住んでいる地域によって、その世界観がかなり違うことがわかってきています。
-そうなんですね!どんな違いがあるんですか?
林:少し長くなりますが、大事なポイントですから、実例を交えて詳しくお話しますね。日本や東アジア、韓国や中国などで見られる、特徴的な思考様式として「弁証法的思考」というのがあります。弁証法的思考とは、ある一つの問題の善/悪、矛盾したことであっても同時に存在する、つまり問題そのものをそのまま認識し、受け入れる思考様式です。
-日本でも”清濁合わせ飲む”なんて言いますもんね。
林:一方、欧米の弁証法は、善と悪がしっかりした二元論的な思考様式です。善悪はっきりしない場合は、善と悪を戦わせて結論づけます。
-「弁証法」と「弁証法的思考」って言葉は似てても全然違うものなんですね。
林:著名な社会心理学者たちは、理論的な考察と多数の実験を通じて、弁証法的思考やナイーブ弁証法が特に東アジアで顕著であり、北米の人々とは異なる傾向を持つと結論付けました。現在も多くの実証研究がこの結果を支持していますが、いくつかの点でまだ不足している部分があると考えています。
-どんなポイントですか?
林:東アジアでは、長い歴史の中で仏教や儒教の影響が根付いてきました。その影響をベースに、弁証法的思考が強まったと考えられています。しかし、それが本当に特定の宗教と深く関係しているのかは、まだ明確には証明されていません。
-ふむふむ。「弁証法的思考は仏教や儒教などを背景に東アジアで広まった」と言われているけど、実証はされていないと。
林:私はこの仮説を検証するため、日本に住むキリスト教、曹洞宗、神道、無宗教の4つのグループを対象に、弁証法的思考の傾向を調査しました。その結果、曹洞宗や神道の信者は弁証法的思考が強く、一方でキリスト教信者、特にプロテスタント信者はその傾向が低いことが明らかになりました。
-特定の宗教が弁証法的思考に影響があるかもしれないということですね。
林:そうですね。こういった、日本国内というような同一の文化内での比較データは、今まであまり検討されていなかったんですよ。
-同一文化内の比較から分かることも多いんですね。
林:さらに、この結果を北米での先行研究データと比較したところ、日本のキリスト教信者は北米のキリスト教信者よりも弁証法的思考の傾向が高いことがわかりました。つまり、同じ宗教を信じていても、その世界観は地域によって大きく異なる可能性があります。これは、地域ごとの文化や思考様式が信仰のあり方にも影響を与えていることを示唆しています。
-同じ宗教、同じ教義であっても地域差があるのは面白いですね。
林:他にも、日本のキリスト教信者を対象にアニミズム(人間や動物、植物、無生物など、あらゆるものに霊魂が宿っているという思想や信仰)傾向を取ると中間点より高いスコアになる方が結構多い。そもそもキリスト教の教義から言えば、基本的にはありえないはずのアニミズムを自然と受け入れているんですよね。
こうした研究から見ても、日本人は多様な宗教に対して非常に寛容だと言えます。この寛容性、複雑曖昧でユニークな思考様式を、例えば分断が進むアメリカ社会に応用できないかと考えています。アメリカでは、宗教心理学の研究がすごく進んでいますから、日本人としても何かしらのプレゼンスを示せる可能性があると感じています。
日本人は、個人主義なのかもしれない。
-現状、林さんが研究を通して捉えている日本の宗教観とか世界観はどのようなものですか?
林:所感にはなってしまいますが、意外と日本は宗教を持っている方が多いと思うんですよね。例えば、無宗教の方の回答を見ていても、神様的な存在や何かしらの高次の存在を信じていたり、お参りやパワースポットが好きな方も多いですよね。私が取ったデータを見る限り、無宗教者でも自分の中で大切にしてる思想や思考法なんかは少なからずあります。
-ジンクスとかも近いものがありますよね。
林:無宗教者の印象的な回答があります。
「特定の宗教を信じてるわけじゃないけれど、お参りなどを広義の宗教と呼ぶなら自分は宗教を信仰しているかもしれない」
「キリスト教の世界の始まりと終わりを規定するような考えっていうのは受け入れづらいけれど、人に対して寛容で許して愛する点は、私の人生においても大切にしている」
こういった回答から見ると、日本ではさまざまな宗教の要素から、自分にフィットするように取り入れているように思うんですよね。
-まさに自分自身にマッチする形で宗教的なものが創られていると。
林:無宗教者の中で、ある種ラディカルに「宗教は絶対忌避するべきもの」と考えてる人は体感ではありますが、10%ぐらいかなと思います。もちろん、年齢差とか世代の違いはあると思います。
-例えば現在の40代は、思春期に地下鉄サリン事件があったり、宗教に対してちょっとアレルギーがあるような気がするんですよね。
林:年代ごとの研究って意外と少なくて、あっても高齢者/若者/その他、くらいで研究されているんですよ。いわゆる30代から60代くらいってあまり深く分類されていないので、研究すると面白いかもしれませんね。日本は「宗教アレルギー」っていわれることもありますが、研究をしているとそう感じることは意外と少ないんですよ。
-あまりアレルギーだと思わない方がいいのかもしれないですね。
林:個人的には、日本人は単純に何かを信じることが得意ではないイメージがあります。
社会心理学では集団主義/個人主義という論じられ方があります。”日本人は欧米人に比べて集団主義で人の目を憚りながら生きている”というような語られ方をするんですね。
-なんとなく「和をもって貴しとなす」みたいなイメージはありますね。
林:私としては意外と根底は個人主義なんじゃないかと考えています。日本人は、一人ひとりが個人主義を追求した結果"集団主義的に動いた方が得"と考えているように思うんですよね。
-確かにルールくらいは守ろう…という感じかもしれませんね。
林:表面上は割と集団主義的で世間の考えとかモラルを受け入れてはいますが、そういった行動が実は自分自身のコアな部分にはそれほど影響がないのが日本人なのではないかと考えています。
例えば、初詣やお墓参りというような宗教的な実践に関しては多くの日本人が割と日常的に取り入れています。ですが、仏教や神道などが本来提供している思想や考えまでを、取り入れているという日本人は多くないですよね。これは、無宗教化が進んでいるのと関係ない話でもないと思います。
-確かにお参りに行ってる瞬間は何かしら神聖な気持ちになるんですけど、それだけって感じもしますよね。
林:アメリカの友人に「日本人は集団主義ってよく言うけど私から見ると個人主義にしか見えない。日本人は個人主義的だけど集団主義的に振る舞う人たちに見える、アメリカ人は内面も振る舞いも個人主義的だから中身は結構似てるんじゃない?」いわれたことがあるんですよ。
-振る舞いが違うだけで、内面は近いのかもしれませんね。
宗教は、形を変えて日常に存在する。
-日本だけでなく、世界中で無宗教を選ぶ人が増えている、つまり宗教離れが進んでいるのは、なぜだとお考えですか?
林:一般的には、世界が豊かになると宗教が必要なくなるといわれています。そういったマクロなデータもあります。例えば、世の中が不安定で自分の人生に意味を見出せなかったり、戦争のような悲惨な出来事がたくさん起きるような状況では、やっぱり死後の世界に希望を寄せる人が多くなると思うんですよ。ですから、そういった世界観を提供してくれる宗教はすごく影響力が大きかったわけです。
-以前に比べると豊かになったことが原因だと。
林:あとは、現代ほど情報社会になる以前は、自分の属する文化圏以外の宗教以外の情報は手に入りづらかったのではないでしょうか。現在は、多様な宗教を知ることで、どれを信じていいかわからないような状況が生まれてしまったのかもしれないと考えています。
-確かにそうかもしれませんね。
林:ただ、気をつけないといけないのは、全体の傾向として宗教離れは確かなんですが、宗教が盛り上がっている特定の文化圏や地域があることも確かです。他にも、現在のアメリカでのトランプ大統領への支持の集まり方ってある種の宗教的な感じがしますよね。特定のナショナリズムや保守的な思想を闇雲に信じる傾向は少なからず見受けられます。単純に宗教の形が変化しているだけで、人間の本質は変わっていないように思いますね。
-確かに、すごい熱狂しているイメージはありますよね。
林:政治は専門外なので余談ですが、アメリカがいわゆる分断する様子を見ると、やはり先ほどお話しした善と悪をはっきりさせる欧米の弁証法を感じますね。そもそも選挙の構造からして、共和党/民主党のどちらかしか選べませんからね。こういう構造的なゼロサム方式は欧米の多くのシステムに浸透しているように思います。日本は「弁証法的思考」的でバランスしながら制度調整していくイメージはありますね。
-よくも悪くも調整に時間がかかるケースが多いような気もしますね。
林:誤解を恐れずに言うと、キリスト教もイスラム教もユダヤ教も、構造的にゼロサム思考と結びつきやすい気がしています。逆に仏教的な思想って曖昧さや不確実性をそのまま受け入れる側面がある。これからの時代に必要な考え方なんじゃないかと思いますね。
-ああ。そうかもしれませんね。
林:ただ、元々ゼロサム/二元論的な思考をベースにした欧米人が弁証論的思考を取り入れると、かえって不安で心理的にネガティブな状況になるという研究もあるんですよ。どの思想や宗教が絶対に良いということではないので、うまいこと双方の良いところを取り入れていくといいのではないかと思いますね。
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AIは神になり得るか。
-最後に話題を変えてお聞きしたいのが「AI(人工知能)」についてです。AIを神として崇める宗教団体などもできたりしていますし、何かしら今後AIが神として扱われるようなことってあると思いますか?
林:アナロジー的には理解できます。人間では理解できない賢さを持った、全知の存在という意味では神に近づくのかなとも思います。ですが、自分自身も研究で活用していても、ツールにすぎない感覚はありますね。
-ツールであると。
林:ただ、AIは確かに「人間とはどういう存在であるか」もう一度考えるきっかけではあります。近年に至るまでは、そういった命題には、宗教が答えて来たように思います。それに答えるのがAIへと変化することで、必ずどの宗教も「AIをどう考えるべきか」という声明を発表しなきゃいけない時が来ると思うんですね。その結果、宗教はどんどんもっともらしいアイデンティティを提供できなくなっていく可能性はありますね。
-AIが神様にならずとも、宗教の影響力は薄れるかもしれませんね。
林:宗教というのは、教会やお寺、行事や祭祀などを通してある種のコミュニティも提供していたと思います。そういったものはAIには代替しづらいのではないかと思う一方、宗教が持っていた婚姻などのマッチング的機能に関しては、AIが代替することになってきていますよね。AIマッチングには一定の信頼感を持つ方も多いと思います。
宗教の持つ機能をどこまでAIが代替できるか興味深くもあり、危惧もしてはいますね。
-ちょっと怖くはありますね。
林:危惧はしつつ、私も含めて不安に捉われた結果、闇雲にAIを信じるようなことが起きないといいなと思いますね。
何かを闇雲に信じると、原理主義のように争いの火種になることもありますからね。私の研究モチベーションの根幹には「宗教間の争いが、なくなって欲しい、少なくとも減って欲しい」っていう思いがあるんですね。宗教が違うからといって争いを起こすようなことはない方がいい。
冒頭に話した通り、自分自身も大学で宗教観の違う親友ができた経験があります。お互いの理解を深めるためにも研究を続けていきたいと思います。
これからの世界で失いたくないもの。
-では、最後の質問です。林さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
林:私が失いたくないのは「不幸」です。何か悲しいことが起きた時に、それにきちんと向き合ってきた方って、何かしらの深みがありますよね。私自身そういった方にすごく惹かれるんです。宗教というのは、悲しみが訪れた時にどうやって自分を壊さないようにアイデンティティを保つためのものでもあるんです。それが一番大きな機能なのではないかって思うんです。だからこそ「不幸」「悲しみ」に正面から向き合っていけたらなって思います。
Less is More.
宗教。なかなか繊細で語りづらくもある話題だからこそ、私たちはもう一度この話題をきちんと話し合うことで、分かりあう道があるのかもしれない。
この問題にきちんと目をむけることで私たち日本人とはどういうものか、もう一度自分自身を見つめ直すことができるように感じた。
(おわり)