「正の空想」を働かせること。寂しさと向き合い、足掻くこと。ショートショート作家・田丸雅智氏との対話。
今回は、ショートショート作家・田丸雅智氏のインタビューを掲載する。実は当初私たちが考えていたテーマではなく「お茶でもしながら、話しませんか?」とおっしゃっていただき、田丸氏が考えていることや最近感じていることを色々とお話しいただけることになった。
-今日は、あまりテーマを絞らずに話しませんか?ってご提案いただいてちょっと緊張しています(笑)。
田丸:本当に、たまにはお茶でも飲みながら話すのはどうかなって思っただけなんですよ(笑)。
-前回インタビューさせていただいたのは、コロナ突入直後くらいでしたよね。
田丸:そうでしたね。もう4年前なので驚きです。
-ここ数年、田丸さんの活動のフィールドがどんどん大きくなりましたね。ワークショップや少年院での活動、サロン運営、企業との取り組み…。
田丸:こちらから仕掛ける部分もありはしますが、すべてが自分から狙ってはじめたものでもないんですよ。色々な方から「こんなことできませんか?やりませんか?」と声をかけていただいたり相談いただいたりして、自分の方向性と合っているものに挑戦させてもらっている感じです。ご縁に導かれて活動の幅が広がっているんです。
-ご自身の著作も毎年凄いペースで発行されていますよね。その上で活動もしているのってめちゃくちゃすごいです。
田丸:僕自身はやりたいことや、やるべきことを粛々とつづけているという感じなんですけど、担当編集さんからも活動を追いきれないと言われることもありますね…(笑)。
-どういった思いでそういう活動をされているんですか?
田丸:僕がやりたいことはずっと変わっていないんです。一言でいうと、「空想で世界を彩る」。もう少し分けると、「ショートショートを文化として定着させる」と「人類の空想を解き放つ。空想で世界を彩る」という2つの軸を大事にしています。自分一人だと実現できないことも多いので縁を大切に、簡単ではないこともたくさんありますけど楽しんで取り組んでいますよ。そういう活動をしていたほうが、自分自身が幸せなんですよね。何よりそれだけショートショートの力を信じているんです。
-最近では海外でもワークショップを開催されたり、活動が世界にも広がっていますよね。
田丸:この秋には国際交流基金の企画で1週間ほど中国に行き、5カ所で書き方講座を開催させていただいたんですが、すごくエキサイティングな経験でした。海外での取り組みをおこなうようになって、ショートショートは国境を超えると考えていますね。
-言語の壁を感じないんですか?
田丸:もちろん、細かい表現の違いなどはあると思うんですが、基本的には壁は感じません。海外向けの講座には2種類あって、一つが通訳の方に入ってもらって現地の言葉でおこなう場合。もう一つが日本語学習者の方に向けて日本語でおこなう場合です。今回の中国での講座は後者でしたが、どちらの場合もみなさん問題なく取り組んでくださいますし、最後は素晴らしい作品ができています。翻訳によるタイムラグはあっても、きちんと通じ合えるんですよ。
-へー!
田丸:それまでは、僕自身も文章は国境を越えづらいと思っていたんです。言語は、その枠の中で文化が独自に成熟していくものなので、翻訳のハードルがどんどん上がっていると感じていました。
-あぁ。日本語に限らず、新しい言い回しとか流行語とか増えていきますもんね。
田丸:海外向けの講座をやらせてもらうようになる前は、文章作品は国境を越えづらいよなと思いこんでいました。その点、映像や音楽はいいなぁと。でも、ショートショートはワンアイデアとシンプルなストーリーが基本なので、翻訳しやすいし、伝わりやすいんです。民話とか昔話、神話とかに近い構造なんですね。「桃から生まれた戦士」というアイデアが桃太郎になる…そういうわかりやすさがある作品が多いんですよ。
-「桃から生まれた戦士」(笑)。言われてみれば、ショートショートには昔話のような作品も多い気がします。
田丸:なので、ショートショートは、きっとどこの国でも、どんな年代の方にも親しみやすい。そう考えて、現在は海外の活動にも力を入れたいなと思っています。
-海外ではワークショップ以外にも何か挑戦されるんですか?
田丸:試行錯誤しているところですが、ひとつ、もっと手軽に翻訳や二次創作をしていただけるような取り組みができたらなぁとは思っています。そのために、まずは自分の裁量だけで自由に使用していただけるような、権利がすべて手元にある作品を用意したりもしています。
-それは、すごく楽しみですね。
ショートショートが、文章を街に連れ出す!
-ここ数年、動画は「ショート」が定着しましたよね。時短とかタイパなんて話題も多かったので、ショートショートってすごく時代にフィットしているように思うんですけど、どうですか?
田丸:文章に関しては、ショートショートですら「長い」とおっしゃる方もいるくらいです(笑)。とはいえ、おっしゃる通りショート動画などとの親和性は高いはずなので、ポテンシャルはすごくあるように思っています。
-なるほど。
田丸:ちなみに…ショートストーリーとショートショートのジャンルの違いって分かりますか?
-う…。言われたら良く分からないですね。
田丸:そうですよね。これまであまり明確にされてこなかったということも関係していて、プロでも両者を混同して使っているケースが少なくないんですが、ショートショートではアイデアの有無が肝になります。ぼくはショートショートを、簡単に言うと「短くて不思議な物語」としていますが、もっと言うと現代ショートショートは「アイデアがあって、それを活かした印象的な結末のある物語」としています。たとえば、男女が恋の駆け引きの会話をして終わる、という短いお話があったとして、もちろん作品としてはよいわけなのですが、アイデアという意味では弱く、これはショートストーリーにあたるんですね。俳人の方は「季語のある俳句と、そうではない川柳くらいの違いがありますね」と言ってくださることもあるのですが、アイデアが入っているのがショートショートというわけです。
-あぁ。分りやすいですね。
田丸:もちろん最後は明確な線引きをすることは難しいですし、分けすぎることで窮屈にもなってしまうので適度にというのが大切だと思いますが、もう少し独立したジャンルとして知られたらいいなと思っています。
-ライトノベルみたいに、書棚が別だったら探しやすいですよね。
田丸:そうなったらいいですねぇ。そもそも長いものと短いものは長距離走と短距離走くらい違う別の競技だと思っているので、広め方=読者の方への接続方法も違ってくる可能性があるんじゃないかなとも思っています。
-スポーツとeスポーツの差、みたいな。
田丸:ですです。それで、そんな考えで取り組んでいることのひとつが、「物語を街に連れだす」というコンセプトの「スキマジャック」です。
-「物語を街に連れだす」?どういうことですか?
田丸:例えば、レシートをジャックしての「レシート小説」や、ビールのラベルをジャックしての「ラベル小説」など、ちょっとしたスキマの空間にショートショートを掲載する活動です。短いテキストだからこそ、ちょっとしたスペースに全文掲載できるのは強みですからね。本になじみのない方に届けるために、そういう場所に物語がみずからどんどん出ていくことが大切だと思うんです。
-書籍以外の可能性を秘めているんですね!
田丸:えぇ。個人的には書籍という形にはやっぱり愛着があるんですが、接点として、そうでない「本」のあり方もあるんじゃないかなと考えています。例えば、バーの片隅のガラスケースに「キンキンに冷えた作品どうぞ」って、ラベルに物語が掲載されたビール缶が並んでいたら面白くないですか?ショートショートならそういう展開ができると思うんですよ。
-凄い面白いですね!「小説家」みたいな枠でなくて、YouTuberみたいな全く新しい仕事ってことですよね。
田丸:「ショートショート作家」という肩書きがそんな感じになっていったらいいですね。ショートショートの可能性って、まだまだこんなものじゃないんですよ。だからこそ、親しんでくださっている皆さんとスクラムを組んで、もっと色々なことを試しながらジャンルとしての立ち位置を作れたらいいなと思っています。
世界から注目されているのは日本の感性。
-中国をはじめとする海外での活動を通して、日本の見え方は変わりましたか?
田丸:ひとつ、いわゆる「配慮」ですとか「謙虚さ」「奥ゆかしさ」みたいな感性が世界から注目されているのだなと知ることができました。日本に来た海外留学生の中には、言語やスキルの習得以上に「謙虚さ」「奥ゆかしさ」といった心のあり方を学べたことが一番の財産になったという人が少なくない数いらっしゃると聞きます。日本が誇るべきところだし、僕自身も心地よさを感じます。でも、そういう面がある一方で、国内の同調圧力みたいなものは依然として強くあるような印象はありますね。閉塞感や諦念のようなものが漂っているとも感じます。
-確かにそれはありますね。
田丸:ただ、誇るべきところはやっぱりたくさんあって、空想力やアイデアにおいて、日本には自分たちでも気がついていないポテンシャルがあると思っています。僕は、日本人は「空想ネイティブ」だと言っています。小さい頃から漫画やアニメ、ゲーム、絵本、物語など、空想にごくふつうに接してきた人が多いと思うんです。それは確実に強みだと思いますね。
想像力は、萎縮しやすい。
-一方で、国内だけ見ると同調圧力は確かに強まっているように感じます。
田丸:まさにそうで、空想することや想像することを阻む要因になっているように感じて危惧しています。想像力って、委縮しやすいんですよ。「それは変」「ふつうとは違う」などと強く言われたら一気に縮んで、特に初心者の方の場合は二度と戻らなくなる可能性も大いにあります。さらに今はSNSの影響でネガティブな声が直接届きやすく、想像力はいっそう委縮しやすい環境になってしまっているのではないかと感じます。
-確かになんか気軽に作って出すのは怖いですよね。
田丸:もちろん、周囲からの厳しい声が良い意味で刺激となったり暴走への抑止となったりすることはありますけど、現在はちょっと暴力的な面が強くなっているように個人的には感じます。何かを想像したり、作ったりする、最初の一歩が踏み出しにくいのではないかと。
-そうした状況に閉塞感を感じている人は割と多い気がしますね。
田丸:少なくとも僕が関わっている書き方講座やサロン、コミュニケーションの場などでは、精神的な安心感を覚えてもらえたらなと思って活動しています。よほどの悪意がない限りは、全肯定の「いいですねぇ!」が基本姿勢です。そんな環境で、まずは楽しみながら創作を続けてもらう。その上で、たとえ何かを言われて縮んでも自力で戻ってこられるような「タフな想像力」を少しずつ身につけていっていただければいいなと思っています。
-場に可能性を求めてるんですね。
田丸:いわゆるコミュニティと言えるのかもしれませんが、そういう自分たちの居場所を作ることが一番の近道なのかなぁと感じています。村社会を作りたいわけでも、鎖国をしたいわけでもないので、オープンではいたいと思いつつ、安心して想像できる場所を作りたいんです。
-すごく分かるんですが、そういうコミュニティって、こだわりの店っていうか…一度入っちゃえば居心地がいいんですが、入るまでのハードルがめっちゃ高いみたいなイメージがあるんですよ。
田丸:いや、ほんとそうなんですよ(笑)。やっぱり外からみたらちょっと入りづらいですよね。内輪のノリっぽく見えたり。ただ、少しでも分かり合える人がいるのは、やっぱりちょっと救われるような気分になると思いますので、ぜひ気軽にのぞいてもらえたらなぁと願っています。
僕自身もそういうコミュニティに依存するのではなくて、ちょっと充電できる場所という感覚なんです。そうするとまた色々と頑張れるんですよね。
-それくらいのバランスだとヘルシーな気持ちでいられるのかもしれませんね。
AIはショートショートを描けるのか?
-ちょっと話題を変えて。AIを使った創作が話題になっていますよね。ショートショートって、テキストも短いし、すごくAIで作りやすいように思うんです。田丸さんはどう考えてらっしゃいますか?
田丸:僕は共存したいと思っています。少しずつ使ってみてるのですが、電卓とかエクセルみたいな感じかなって。ブレスト相手になってくれたり、やりたいことのアシストをしてくれる存在だと考えています。
-アイデアそのものや、最初の方向性は人が考えるべきなんですかね?
田丸:べきとまでは言いませんが、個人的にはアイデアの根幹をAIが作ることに違和感を覚えはするでしょうか。ただ、今後はAIごとに個性が生まれたりもするでしょうから、アイデアそのものも自分の感覚とピッタリ合うものを生成してくれるAIが出てきて、アイデア部分もためらいなくAIに任せてしまうような未来が訪れるかもしれません。そうなると、アイデアを考えたり執筆したりするのとは別の部分に人としてのアイデンティティを見出す時代が来るかもしれませんよね。
-どういうことですか?
田丸:創作の話とはちょっとずれるかもしれないんですけど、例えば身体的な部分や、その人個人の感情、感覚みたいなところがますます大事になるような気はしています。誰かに会いにいくとか、そういうリアルな行動に回帰するのかもしれませんね。
-あぁ。なんか分かりますね。
田丸:僕が怖いなと思っているのは、AIによって空いたリソース…時間や心の余白で、さらに先のことを考えたり新しいことに挑んだりする方向にいけばいいんですけど…空いてラッキーで終わらせて、それ以上は何もしない、考えないという方向に転がっていくことです。AIのおかげで便利になったからこそ、もっと考えたり、足掻かないとマズいんじゃないかなぁとは思っています。
-足掻く?
田丸:えっと…ちょっと丁寧に話しますね。僕は最近「正の空想」「負の空想」ということを考えています。負の空想っていうのは、ネガティブな方向に想像する力が使われて、邪推や曲解などが生まれるというイメージです。例えば陰謀論なんて言われるようなものもこの負の空想から生まれているのかなと思うんです。もちろん負の空想は悪いことばかりじゃなくて、リスクを回避したり不正を暴いたりすることに役立っていると思います。なのですが、昨今はそれがちょっと過剰に感じるといいますか…それに、放っておくと人は負の空想を自然とおこなって、どんどん引きこまれてしまう傾向があるのではないかとも感じています。なので、足掻かないといけないのではないか、と。
-なるほど。あまり考えない人が増えて、負の空想が働いているから、ネガティブな言説が多いのかもしれませんね。
田丸:それに対して、「正の空想」はたとえばアイデアを考えたり、相手の事情や背景に思いを馳せたりといったようなポジティブなことに想像力を使うというイメージなんですけど、「放っておいたら自然とおこなっている」というよりも、ある程度能動的に考える必要があるものなのではと感じています。これはすごくしんどいことです。自分自身できちんと脳を使ってがんばって想像しないといけない。本来は、AIをはじめとする便利なツールによって空いた脳のリソースを、そんな正の空想に使えたらいいと思うんですが、自分も含めてちゃんとできているかなぁと。
-だからこそ、ネガティブな批評が巻き起こっているのかもしれませんよね。
田丸:負の空想のスパイラルから抜け出せなくなると、自分を見失ってしまうことにもつながるんじゃないかなとも感じています。いずれにしても、僕は活動を通じて正の空想をもっと世の中に広めたいなと思っています。それもある意味、足掻きかもしれないんですが。
-あぁ。必死で足掻いているんですね。周囲から見ると、田丸さんってもっと器用に色々やれる人って思われてしまうんでしょうね。
田丸:いやあ、そう見られることはありますねぇ。本当にそんなことはないんですけどね…。たとえば書き方講座にはじまって、法人向けの取り組みですとかサロンですとか、「いい稼ぎ方見つけましたね」のような感じで言われてしまうこともありまして。もちろん食べていかねばなりませんし、経済的な側面を自覚しているかどうかでいえば、してますよ。でも、それが最初の動機では決してない。根本にあるのは、いつだって自分の持っているもの、培ってきたもので誰かのお役に立てる幸せなんです。その上であきらめずにいろいろ地道に泥くさく足掻いている感じなのですが、なかなか伝わらないものだなぁとは思いますね。
-名だたる企業や、金融機関のトップにワークショップを実施したり、みんな嫉妬しているんじゃないですかね。
田丸:どうでしょうか。ただ、多才ですねとか、手広いですね…とかでまとめられちゃうと、ちょっと悲しくなりますね。どっと疲れて、数日落ちこむ、なんてこともざらにあります(笑)。僕はただ、足掻いているんです(笑)。
これからもずっと失いたくないもの。
-最後に、田丸さんがこの先の世界で失いたくないものはなんですか?
田丸:僕のもっとも奥底にあるのは、「寂しさ」なんですよね。もうちょっというと、「行かないで」という感覚です。
子供の頃にみんなで遊んでいたはずなのに、だんだんとみんないなくなってしまう。僕はもっとみんなと遊んでいたい…みんなで泥遊びや工作をしていたいんですけどね。どこかで見切りをつけてみんな卒業して行っちゃう…。時間も止まることなくどんどん過ぎていって、老いも含めて周りのいろんなものが変わっていきます。別に、自分の周りに人を囲っておきたいとかではないんです。何をしても行ってしまう絶対的なものに対して、それでも行かないでくれよ、と。そういう寂しさが小さい頃からずっと根底にあるんですよ。
でも、その寂しさのおかげで自分の創作や活動が生まれて、誰かとつながっていけていることも事実です。なので、その意味ではこの寂しさは失いたくないなと思いますね。いや、失うことができたら満たされて幸せなのかもしれないのですが(笑)。それはさておき、自分の作品や活動を通して、寂しさを抱えながらもそれに抗いつづけていきたいですね。さまざまな場面で、少しでも誰かとつながっていきたい。自分の作品も読んでほしいし、あなたの作品も読ませてほしい。そういう血の通った温もりや肌触りが欲しくて、活動しているのかもしれませんね。
Less is More.
対話の果てに「寂しさ」についてストレートに語る姿がとても印象に残っている。カッコ悪くても、子供じみていても「寂しい」と言えること。寂しさを拗らせないこと。そんな大切さを改めて感じさせてくれた。
それぞれ場所で、寂しさを抱えながら「正の空想」を保ち続けることができたならいいなと思う。
(おわり)